「なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?」(松村嘉浩)

読んだ本について、読んだ内容や考えをまとめるためにも、感想や思ったことを書いていきたいと思います。

今回は「なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?」を読んだ。

この本は、現在の日本、そして世界が直面している経済、政治問題について教授と学生の対話形式で述べている本である。内容はわかりやすくかみ砕かれていて、とても分かりやすかった。その中でも特に印象に残った4つを取り上げようと思う。

一つ目は、先進国経済はすでに成長の限界に達しており、先進国は定常型経済を目指す必要があるということを著者は述べていた。定常型経済とは、成長しない世界を良しとし、物質的な豊かさから精神的な豊かさを求める経済体制のことである。確かに「失われた20年」を嘆くよりも、社会が成熟したと考えれば特に悪いことでもないと感じた。しかし、そこでの問題は成長を前提とした現在の社会だと思う。特に年金など社会保障制度は人口が増え、経済が成長していくことを前提として成り立っているので、そこの再構築が必要だなと感じた。それ以外に定常化経済を否定する理由は何かあるのだろうか??特にほかに思い浮かばないので、何か考えがあれば教えてください。また定常型経済は、江戸時代がお手本になるという。日本は19世紀の半ばまでは欧米の資本主義に組み込まれておらず、成長を前提としない社会だったため、その経済について学んでみるのもおもしろそうだと思った。

二つ目は、これまで「中核」が「周辺」を搾取し成長してきたことを批判していた。これは欧米諸国が経済成長のためにアフリカ、アジアを低開発化したという近代世界システム論をもとに主張されている。ここでは、なぜ覇権国は覇権国となり、そして衰退していったのかを少し考えてみた。

覇権国が力をつけた過程には様々な要因が重なっており、絞って説明するのは難しいと思った。しかし衰退するのは同じような道をたどっているのではないかと思う。それはすなわち戦争である。16世紀でのスペインでは、カルロス1世からフェリペ2世の時代に多くの戦争を経験し、戦費が財政を圧迫した。それにより国家が破産し衰退していった。17世紀のオランダは、度重なる英仏との戦争により国力を衰退させた。イギリスに関しては、第一次世界大戦、第二次世界大戦の戦費の増大や国土の荒廃により衰退していった。アメリカの覇権が危うくなってきたのも、ベトナム戦争とそれによる巨額の軍事費の出費からであろう。それぞれの戦争の背景にはより複雑なものがあると思うが、戦争は国家を衰退させる要因の一つではあるのかなと感じた。以前、「国家はなぜ衰退するのか」を読んだとき、その中で国家が衰退する理由は政治的収奪が経済的収奪と結びつき、それが創造的破壊が起こった時に既得権益が崩れ去ることから衰退がはじまるとあった。戦争と政治的収奪、経済的収奪が結びつくのかも少し考えてみたい。

3つ目は、貨幣の起源と本質を抑えたうえで、現在の日本の金融政策に批判をしていた。著者は貨幣の根源は古代メソポタミアの会計制度であると考えている。古代メソポタミアにおいて、手に入れたいものがあるときは、神官官僚に借用書を作成してもらい、商人などからモノを手に入れていた。そして借用書を手に入れた商人は、なにかほしいものができた時に、その相手から借用書でほしいものを購入していたという。すなわち、会計でいう「債券・債務」、さらにいえば譲渡可能な抽象的な「信用」が貨幣の本源であると述べていた。これをより多くの人に一般的に使えるようにしたものが貨幣らしい。そしてこのシステムが現在に引き継がれているのが銀行の融資である。お金を借りたい人は、過去の財務状況などの「信用」を通して新たなお金を手に入れられる、そしてその繰り返しで市場に流れる貨幣の供給量が増え、お金が循環する好況を伴ったインフレになるという。それゆえ著者が批判していたのは、中央銀行が量的緩和を行い、マイナス金利を導入しても、実体経済には影響がほとんどなく、それによって動くのは金融経済だけであるということだ。金融経済の変動を特に受けるのは、一般の人々よりも数少ない資産家の人であろう。私自身、専門的な経済には詳しくないので実際に影響がないかどうかの判断は難しいが、説得力のある意見ではあると思った。

4つ目は、現代アートの市場化と貨幣化について。ここでは現代のアートの産業化と市場化について述べられていた。まず現代のアートの産業化に関して、アメリカではアートが一つの産業として少しずつ制作してきた。ニューディール政策では公共事業の一環として失業芸術家支援が行われ、ヨーロッパから芸術家も流入し、多くのパブリック・アートが制作された。そして第二次世界大戦後、アメリカに亡命してきた大在のユダヤ系アーティストの下で抽象表現主義が発展した。抽象表現主義が発展していく中で、美術評論家によって徐々に理論的権威もされてきた。つまり抽象画は高尚な人間が見れば、すごい価値があるという主張だ。それからアメリカの大衆の「アートを家に飾る」という需要ができ、多くの”アート”が作成されるようになった。欧米の現代アートは、抽象画が中心である。それゆえ他文化圏の芸術(イスラム圏のモザイク画など)については、このようなギャラリーは少なく、市場的な価値も相対的に低い。きっとここで「アート界での評価」というとき、それは非常に偏ったものになるのだろう。アートの価値とはいったい何なのだろうか。私は市場が決めた値段よりも、自分自身の感性でいいと思ったものを自分の基準で選べるようになりたいと思った。

いろいろと考えさせてくれる、いい一冊だった。

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