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【読書録80】今も昔も同じ組織を率いるものの心得~安岡正篤「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」を読んで~

 以前に購入し、パラパラとめくってはいたが、その後、積読となっていた本。4月から異動になり、従業員2,500人規模の会社の取締役に就任することになったため、改めて手に取ってみる。

今の時期に読めて良かった。これも縁であろう。

一言、感想を言うと、今も昔も、「人や組織は変わらない。」ということ。
リーダーかくあるべしというのを学んだ。

「重職心得箇条」とは、佐藤一斎が、自分の出身の岩村藩のために選定した藩の十七条にわたる憲法である。

そして、本書は、安岡正篤師が、住友生命で行った講義の筆録がベースになっている。

ページ数は、それほど多くないが、内容はかなり濃密である。今の私なりに、心に残ったことなどを中心に書いていきたい。

部下の力を引き出す

第2条であり、ここは、今までの自分ができていなかった事であり名言が多い。

もし有司の了簡より一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず

 もし自分の部下の考えより良いものがあっても、さして害のない場合には、部下の考えを用いる方が良い。
部下を引き立てて、気持ち良く積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが重要な職務である。

この観点は抜けがちである。部下の足りない点を補うという点で見てしまいがちであるが、確かに自分自身でいうと自分が思ったことを主体的に取り組んでいる時が一番活き活きとしている。
誰でもそうなのだと心得たい。

人々に択り嫌なく、愛憎の私心を去て、用ゆべし。自分流儀のものを取計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平綺嫌ひな人を能く用ると云ふ事こそ手際なり

これも頭で分かっていてもなかなか実行できない。
管理職になり上位職になればなるほど、自分の好きな人で組織を固めがちである。
diversityの観点でも、「水へ水をさす」同質性の高い組織では、成長の余地が少ないのである。

時代の流れをよんで変えるべきは変える

「時世につれて動かすべきを動かす」

「祖先の法」と「仕来仕癖」を対比させている。企業で言えば、企業理念や行動指針と慣習であろうか。
 前者は、その組織の存続の根本であり守るべきものであるが、慣習などは、時代の流れに合わせて変えていくべきという。
一度始めたこと、根付いたものを変えるのは難しいのは、今も昔も一緒。
ただ時代の流れに合わせて変えていかないと「大勢経たぬ」すなわち、大きな時勢に遅れてしまう

別の箇所では、「応機」、機に応ずるという事が大事と言っている。

形式に拘わらず、今やるべきことは何か、目的や大義はなにか、に拘って進めていくという事であろうか。

手間を省く事が重要

14条にある。

「役人の仕組事皆虚政也」

「いろいろな役職にある人間はとかく慣習、因襲にとらわれて内容のないことをしてしまう弊害がある」と佐藤一斎は書いている。

これは、今も昔も一緒である。ブルシット・ジョブ(くそどうでもいい仕事)とはよく言ったもので、事務仕事のほとんどがこの「内容の無いこと」と言っても良い。
 言い換えると付加価値を生んでいない。

そして「手数を省く事肝要なり」と言っている。

そのあとの、安岡師の解説が秀逸である。

論語の「吾日に三たび吾身を省みる」の「省」は、省(かえり)みると読んだのでは五十点であるという。

「省」という字に少なくとも二つの大事な意味がある。一つは、省(かえり)みるということ、もう一つは省(はぶ)くということです。反省し、省みることによって、不要なこと、むだなことを省いていく、これが「省」という字の逸してはならない二つの大事な意味です。

この「省」の二つの意味から、「しょうす」もしくは「せいす」と読むべきであるという。

そして更には、役員の仕事を複雑にする性質から、省(かえり)みて省(はぶ)か無くてはならないから、役所の名前に「省」をつけたという。

漢字の意味からここまで話を膨らませられる博識さ、そして、この「省」すことの重要さがこの解説で腹落ちがする。

忙しいというな

第8条

「勤務繁多と云ふ向上は恥ずべき事なり」

これは全く同感。どんなに仕事が忙しくても忙しいと言わない。これ重要。

「心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也」

心に余裕がないと、こせこせと小さな事に心を奪われて、大問題、大事に気づかない。

これも全くこの通りである。
常に心に余裕を持ちたいものである。

気骨+知識・見識・胆識


第7条の解説からである。安岡師の有名な知識・見識・胆識について。

人間学、人物学で申しますと、まず元気、意気、志気、気骨というものが第一要素であります。これがあって、そこから人間の知能、見識というものが出てくる。

知識というものはごく初歩というか、一番手近なもので、知識がいくらあっても見識というものにはなりません。見識というのは判断力です。見識が立たないとどうも物事はきまらない。見識の次に実行という段になると、肝っ玉というものが必要となる。これは実行力です。これを胆識と申します。

知識や判断力があっても実行する肝っ玉が無いといけない。そして、そのベースとして元気、気骨が必要という点は、確かにその通りだと思う。
常に心身ともに健康でいるのが第一である。

そして、本書は、こう締める。

これを熟読され、折にふれ事に臨んで活用されますと、単なる知識でなく、大いに見識を養うことになり、また難問題に取り組まれる時は、見識のもう一つ上の胆識、すなわち実行力を身につけるうえで役立つことになります。

重要な職務に当たりますと知識を持つだけでは何にもならないので、知識に基づいて批判する、判断する、つまり見識を立てて、これを実行しなければなりません。

このように、先哲、先賢の言葉や行い、言行を知る、学ぶ、行う、これを「活学」というゆえんです。

読書録をnoteにつけて、これで80回目になるが、読んで得た知識を活用すること、そして活用する中で、胆力をつけていくことが自分を鍛えていく事になる。

「活学」という視点は、これからの私にとって、もっと重要になってくる。
本書も繰り返し、熟読して、活用していきたい。



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