見出し画像

【読書録76】致知2023年2月号「積善の家に余慶あり」感想

 2月に入り、子どもの中学受験も怒涛の様に終り、ようやく穏やかな日常が戻りつつある。
 一方で、2月に入ってから、あまり読書が進まない。朝も早く起きるという習慣が最近はできない日が多くなってきている。
 子どもの受験の結果や私自身の身の回りのことが要因であるが、もう一度、生活習慣を元に戻さなければと思い返しているところである。

 そんな折にふさわしい、今号の特集「積善の家に余慶あり」である。

総リード 積善の家に余慶あり


 「易経」にある言葉であるという。
善いことを積み重ねていく家には子々孫々まで慶福が及ぶ。

 今回の総リードは、大半を二宮尊徳の「報徳記」にでてくる川崎屋孫右衛門の話に費やしている。
 積善、積不善により禍福吉兆が生じるという話である。人生それほど単純では無いのかもしれないが、本号で取り上げられている記事を読むと、自分に起こることには因果があり、その因果を受け止め、好転させるために、善を積む真正面から全力で取り組むことが重要であると考えさせられた。

 そんな記事の中からいくつか取り上げたい。

仏道の原点因果応報の真理に学ぶ

 
代々木上原禅堂の師家である、窪田慈雲氏の記事である。
紹介文には、「仏道に身を投じて七十余年。卒寿を迎えてなお禅の指導に勤しみ、人々に美御仏の尊い教えを説き続ける」と説く。

 窪田氏の教えでは、道元禅師が説いたという寓話からの話が心に響いた。

 樵が薪を取りに山に入った際に、大雪に見舞われた中、ヒグマに命を助けられたにも関わらず、山を降りた際に、猟師にヒグマの場所を教え、猟師が、ヒグマを仕留める事になる。そして、猟師からお礼にヒグマの肉を受け取ろうとした時に樵の両腕が地面に落ちたという話である。

 窪田氏は、樵がなぜ恩のあるヒグマを裏切ったのか分からないが、「人間とは知らず知らずの内にこうした過ちを犯してしまいがちな愚かな存在であることを、心に刻んでおかなければならない」という。
 昨今の環境破壊に伴う気候変動の話などを見るにつけても、身につまされる話である。

 そしてこう言う。

いずれにしても、因果を晦ますことはできません。それが因果応報の真理なのです。逃げる方法を考えるのではなく、来たものはすべて受け止めるそれこそが、悪縁を良縁に転ずる生き方と言えましょう。

積善、積不善というと、思い当たる節が無いという事もあるかと思うが、このように、人間は知らず知らずのうちに過ちを置かすものであり、その結果、来たものはすべて受け止めると考えるて行く発想は、理解しやすい。

 最近で言うと、私は、会社でチャレンジしていた選考試験に合格できなかった。何の因果か分からないが、正直、私自身の力不足を感じた所であるし、これを真正面から受け止めて、精進を重ねていかないといけない。いつまでもフワフワしている場合ではない。

そんな私にとって、窪田氏の次の言葉も心に響いた。

「大難到来す、いかにせん」と問われた趙州和尚が一言、「恰好!」と答えたという話があります。私はこの「恰好!」という言葉を、「よし来た!」と解釈しています。良縁がくればそれを独り占めせず、身近な人と分かち合うことが福をもたらします。その一方でいかなる苦しみが訪れようとも、「よし来た!」と決然と受けて立つ。因果の道理からは決して逃れる事ができないと肚を括り、己に降りかかるすべての試練に敢然と立ち向かっていく。それこそが運命を開く最善の道なのです。

 そして、子どもの中学受験である。
憧れていた第1志望の学校は、2度受験し両方不合格。次の志望校も残念ながら、不合格。何度も涙し、落ち込んでいる場面もあった。合格したのは、受験まで見学にいけなかった学校。親としてもなぜ、運命の神様は微笑んでくれなかったのかと落ち込んだ。
 しかし、子ども自身は、合格した学校での中学生活にむけて前を見つつある。子どもの成長を感じた2週間であった。
今回のことも必ず意味があると考え前を向いて頑張ってほしい。

そうじの力で運命を開く

 
 そうじの力社長/組織変革プロデューサーの小早祥一朗氏の記事である。

 独立前は、不満だらけのサラリーマンだったという小早氏。
独立後に出会った黒田先生からの言葉に自分の今までの至らなさを反省する。

 その言葉は、「転原自在」(てんげんじざい)

転原自在とは、物事を転ずるもとは自分にある。自分が動けば物事は変わるということです。
 サラリーマン時代の私は、目の前の問題を他人のせいにするばかりで、自ら動いて改善する意識に欠けていました。別の言い方をすれば、会社や仲間を批判しつつもそこに寄りかかっている依存人格の持ち主でした。そんな私に黒田先生は、自ら動いて状況を変えていく自立人格の持ち主になるよう説いてくださったのです。

 この「依存人格」「自立人格」という考え方。自分を起点に考えていくということ。これは人生において最も重要といえよう。
 自ら動いて物事を変えるということ。
まずは、動くこと。これが総ての起点である。
私自身、ここのところ停滞していたが、改めて気を取り直して、動いていきたい。

運命の軽車に乗る


 今日は、2月12日。
致知出版社の「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」では、坂村真民先生の「運命の軽車に乗る」の日である。

私の一番好きな記事であるが、中でも、トランプ占いの名人が真民先生に言ったという言葉は私が心の留めておきたい言葉である

「おれは駄目だ駄目だと言うて、運命の車が乗れ乗れと言っているのに、乗らんのや。先生は自分を自分で駄目にしている。花の咲くつぼみを、先生は自分で踏みにじってきたんですね」

 本号の特集に通じるものがある。
自分に降りかかる試練に挑むことは、運命の軽車に乗ることである。そして、他人に寄りかかる依存人格ではなく、自立人格で生きていくことである。

 私も前を向いて、進んでいこう。
最後に、田口佳史氏が本号対談記事で語っている言葉を紹介する。

善悪のいずれにしろ、小さな習慣の積み重ねが大きな結果に繋がることを考えると、日々自分を磨き高める修養を忽せにはできません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?