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【読書録13】致知 2021年11月号 「努力にまさる天才なし」感想

 早いもので11月である。致知11月号が届いてから1か月が経つ。今回で3号目となる『致知』を読んでの感想を書いていきたい。

総リード 「努力にまさる天才なし」

「努力」成功の秘訣として良く聞く言葉である。ここでも多くの言葉が引用されている。

・ゲーテ「天才とは努力し得る才である」
・森信三「一すじの道を歩み手留まらず命の限りつらぬかむとす」
・平岡興先生の座右の銘「努力努力また努力」
・坂村真民「一に求道 二に求道 三に求道 四に求道 死ぬまで求道」
・野村克也「若いころの一時期、自分が好きな対象に溺れるほどに熱中するのは、絶対に必要なこと。その中でカンであれ何であれ、一流の基礎が養われる」
・山本益博「成功者は若い頃に寝る間も惜しんで一つのことに打ち込み、その総数が一万時間を超えている」

 若いころから何かに無我夢中になるということは、ほとんど無かった。大学受験もなんとなく受かるであるところを受験、その後も目指すことは浮かぶも特段その道を極めずここまで来ている。頑張っている姿はあまり人に見られたくないが、努力が嫌いというわけでもない。だが自分の粘りの無さは、努力するということを習性にしてこなかったことに原因があるような気がしている。

改めて、「努力にまさる天才なし」という言葉を突きつけられてそんなことを考えた。

最後の言葉も、素晴らしい。こうありたいものである。

常に目指すものを持ち、全力を尽くす人生でありたい。

さて今号も魅力的な記事が多い。その中で以下2つを取り上げたい。

世界の頂点に立つ条件

対談 金沢景敏・村田諒太

ロンドン五輪金ペダリストで、現在、WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太氏と、京大アメフト部出身でプルデンシャル生命で、世界の生保営業パーソンとして伝説的な成績を残した金沢景敏氏の対談。

対談は「弱さを認めることが本当の強さ」という話から始まる。コロナ禍により、何度もタイトル戦が延期になった村田氏は、5度目の延期が決まった直後に、「引き潮の波に抗わずに、流れに身を任せながら、呼吸はちゃんとして、いざという時に陸に向かって泳げるように準備します」という言葉を残す。

自分にコントロールできることとできない事を切り分けて、コントロールできることに集中して努力していくということであろう。

 金メダリストやスーパー営業マンも本当は、メンタルが本当は弱く、弱さを受け容れることで変わっていくのだという。

このコロナ禍で、プロボクサーも大変な状況であるが、「ボクシングができない自分と向き合っているこの時間」というのをネガティブに捉えず過ごしているという。今の状況を受け容れる心が強さの秘訣であろうか。

今月号のテーマである「努力」に関して言うと、対談中の以下の言葉が印象的である。

結果に囚われないと結果は出る
金沢氏 結果に囚われていない人が結果を出す。今日一日をやりきろう、目の前の人に精一杯尽くそう、そういう思いでやっていると結果が出る。
村田氏 執着と離れるというか、距離を置いたときに結果がでる

結果は「出す」ものではなく「出る」もの(金沢氏)
・僕が保険業界で結果が出た理由は、たぶんどんな営業マンよりも人にあっているから。
・コツコツ努力する人を神様は見ている。もうひと踏ん張りを積み重ねてきた分だけ、奇跡的なことができる。結果って「出す」ものじゃなくて、「出る」ものだなという感覚は凄くあります。
成長って不快な場所にしかないと思っていて、自分がやりたいことをやれるようになるためには、やりたいやりたくないに関係なく、目の前のことを一生懸命やる。誰もやりたがらないことを誰よりも圧倒的に突き抜けてやる。そこをちゃんと通って来た人にしかチャンスは来ないと思っている。

努力を努力と思わない(村田氏)
努力を努力と思ったら成功しないでしょうね。本当に叶えたい目標、達成したいものに突き進んでいるときって無我夢中ですから努力している感覚はありません。いうなれば、自然と気力が沸き上がって一生懸命やってしまう。努力したからと言って、必ず報われる訳じゃないですけど、努力しない限り報われないですし、努力は絶対に無駄にならない。

 冒頭、私は無我夢中になるものはなかったと書いたが、思い返してみると、努力という意識はなくとも、後から振り返って自分の力がついたなあと思う経験は何度もある。それは、大きなものではないかもしれないが、たしかに夢中であり、たいていそんな時は、不快な場所だった。成功の場というよりも挫折の場のような感じ方である。そういう経験をさらに重ねられると成長できるのかなと思う。

人生という河を最後まで泳ぎ抜く 

関本クリニック院長 関本剛

がんになった緩和ケア医が語る人間の尊厳。
緩和医として、千人以上の患者をみとってきたご自身が、ステージⅣのがんに。
がんが発覚してしてから2年立つ今も、緩和医として、ほぼ以前と同じペースで働くという。
9歳の長女、5歳の長男にも、自分の病気のことを包み隠さず話したという。

自分がそのような状況に置かれたときにどうなるであろうか?絶望とともにかなり取り乱すのではないだろうか?妻や子供にきちんと伝えることができるだろうか?
関本氏の支えになっていること言葉に、淀川キリスト教病院理事長・柏木哲夫先生の「人は生きていくように死んでいく」という言葉がある。

「人は生きてきたように死んでいく」
日頃から不平不満ばかり言ってきた人は、不平不満を言って死んでいく。感謝の言葉を繰り返してきた人は、最後も感謝の言葉を胸に旅経っていく。

また上智大学のアルフォンス・デーケン教授の言葉にも勇気をもらったという。

「人は生きている限り成長できる。死ぬ瞬間まで精神的に成長し続けることができる。」
ドイツでは、、人間の死を「シュテルベン」、人間以外の死を「フェアエンデン」と使い分け、最後まで成長し続ける姿勢を崩さないことこそがシュテルベン、すなわち人間にだけ与えられた生を全うすることである。

どちらも重い言葉である。

死を前にしても、「いま・ここ」を大切にして生きて行けるであろうか?

著者にとっても、自然と自分の病を受け容れられたわけではなく、様々な言葉や周囲の励ましに支えられ現在のような心境にたどり着いた。

 自分のことを案じてくれる人、祈ってくれる人。気の利いた言葉は出てこなくても、ただ私のために泣いてくれる人。こうした人がいてくれたおかげで、最後まで生き抜こう、死ぬ瞬間まで楽しみ抜かなければ損だと、気持ちを切り替えることができたのです。

坂村真民さんに、「鳥は飛ばねばならぬ人は生きねばならぬ」という作品があります。渡り鳥が大海を次の目的地まで飛び続けなければならないように、人間もがんになったからといって「溺れるもの」になったわけではなく、人生という河を向こう岸まで泳ぎきってこそ己の命を全うできるし、泳ぎ切る力を持っているのが人間だと思います。

生きるとは何か?自分にとって大切なものは何か?

そんな問いが生まれる。

円覚寺の横田南嶺老師は、「仏」は、自分の中にある。「拝む」のは、自分の中の仏心に拝んでいる。なので清らかな心になる。観音さまは、自分の心の中にいる。という。我執から離れ、自分の心に帰ることで、真の自分と会える。生きる意味や自分にとって大切なものの答えも自分の中にあるのであろう。全力で生ききることで答えが見えてくるのかもしれない。



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