思考の寄生
最近、ふと考えることがある。
それは、「自分の思考は本当に自分の中だけから生まれたものなのか」ということ。本来、自分の思考は外の情報に干渉されず、自分の中の価値観や経験から生まれてきてほしいと個人的には思っているけど、それも違うんじゃ
ないかと考えることが増えてきた。
その中で生まれてきた考えは、「自分の思考は環境や流行の影響を多分に受けるものである」ということ。周りの人の意見や、ユーチューブの広告、テレビのニュースなど、日々多くの情報に触れる中で、自分の中に「皆が思う正解=自分の考え」という思考回路で出来ていくのを感じる。
それは自分が自分でなくなっていくようで、自分という入れ物が知らぬ間に未知の寄生虫に頭も心も侵食されていっている気がしてならない。その寄生虫は、生活の至る所に生息していて、電車に乗っているとき、仕事をしているとき、家で動画を見ている時に心に入り込んでくる。それは自分でも気づかないし、変化していることにも鈍感になる。
こんな時代でなければ、こんな情報にまみれた世界でなければ、自分は自分を保つことが出来ていたのだろうか。あの頃の純粋無垢な心を忘れずに済んだのだろうか。こんなに「自分」という存在が大きくならずに済んだのだろうか。
だけど、こんなふうに時代のせいにするのはもっと嫌だ。環境のせいにするのも大嫌いだ。
だから抗ってみようと思う。この高まりきった自意識と自己愛を少しづつ剥がしていきたい。「自分が大事虫」は自力で退治してみようと思う。