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高校生の時の就職活動での挫折

 14歳からゲームをパソコンで作り勉強しています。あれから40年。その間にいろんなバイトをしたり、父の自営業の手伝いでいきなり20歳で専務になったり・・・

 工業高校入学した時に、母がへそくりでX1と言うシャープ株式会社のゲームをつくるのに向いているというマシンを買ってくれました^^

 友人で同じ機種の人がいて、ゲームを借りて遊んだり、BASICという開発言語で、パソコン雑誌に載っているプログラムリストを打ち込んで動かしたりと、完全にマニアになっていました。


プログラム命

本屋でX1マシン語入門と言う本を小遣いをはたいて買いました。マシン語というのは、コンピューターが直接理解できることばで、

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みたいなものです。それを使うと、BASICでやるより高速で動かせます。皆さんは分からないと思いますが、例えるなら外人さんは英語が母国語の場合、日本語を聞いても、なんとか解釈して、理解します。これがBASIC。マシン語は例えるなら英語。これなら直接理解できます。

外人さんがどっちが早く行動をできるかと言うと英語ですね。コンピューターも英語に相当するマシン語は即実行なんです。

17歳当時、クラスメイトの大半もパソコンを持っていましたが、エロゲーのコピーにはまっていて、しかもPC-88mkIISRとかPC-98とかが大半で、自分でプログラムを組んでいたのはOくんだけでした。

ぼくは同じ趣味の人がおらず、電気科の先生に相談しましたが、「わからない。S原はパソコンぼうやだな^^」と言われる始末。学校から帰ってからはレポートをやった後、X1と夜中まで向き合いました。


好きな飛行機コンコルド

 パソコンサークルのOくんともうひとりと一緒にT&Esoftと言うゲームメーカーに遊びに行きました。Oくんのコネです。

営業さん?が対応してくれて、会社を案内してくれました。ある部屋で知的障がい者?のみなさんがパッケージにシール張りしていました。

ぼくは気分が悪くなりました。

それでも思い切って、営業さんにX1でマシン語組めるんですけど、サンプルを持ってきたので見て欲しいと言いました。

営業さんはしぶい顔をされました。何回も見て欲しいとお願いしましたが、
「それは無理です」
と言われました。常識が無かったのもあるけど、残念だったです。

それから、「PC-98のプログラム組める?X1はあまり出しても売れないんだよね。ゲームを売るとは売れている機種に出すということなんだよ」

はっきり言われてショックでしたが、長いものに巻かれろの意味をつかみました。

営業さんにこうも言われました。「今、ゲーム業界は落ち目なんだ(1987年当時)。建築関係は儲かるという話だよ」

親切にクルマで最寄りの駅まで送ってくださいました。今は感謝しています。
営業さんの預言?どおり、父の家の修理の仕事をすることになり、10年手伝いました。仕事言うものを教わり、パソコンマニアから脱却。社会常識を覚えました。

今、2024年。10月にゲームクリエイターの会社を興します。生活保護に頼った、生活保護企業です。段階的に儲けて段階的に生活保護を切ります。生活保護はロケットで言うブースターです。


H3

好きなことを仕事にする喜び、高校生の時は就職は挫折でした。ですが、54歳をまもなく迎える今、他の仕事で経験を積んで、1回起業に失敗し、2回目の起業で好きなことを仕事にするという挑戦は心地いいです^^

願いは何らかの形で叶うんですね。

長文を読んでいただき感謝します。

note作家
masa

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