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noteに来れてよかった

 noteに来て、驚いたのは、スキとかフォローと言う仕組みでした。ぼくはアメブロのブロガーでしたが、応援してくれるコメントをもらったりしていましたが、しっくりきませんでした。

 noteは皆、真剣に作品を書いていて、目が覚めるような努力をしている方もいました。アメブロのサーバーが(多分ですが)エラーをたくさん起こすようになり、ああ、これはnote一本にしろとの導きだなと思いました。

ナイス選択でした。毎日書くことができるまでは試練でしたが、落書きでもいいとかかきなぐりでもいいとか、とにかく毎日書いて、文章力とか表現力を上げることを目標にして下さいとあり、生活の一部にするように勧められていました。

 161日目。毎日、ここで書けて、読んでもらってうれしいです。応援してくれる方も少しずつ増えていますし、貴重な時間をぼくの記事を読むことに使ってくださることに心から感謝しています。

 書いていて思うことは、自分の中にはたくさんの表現したいものがあるのだなと気づいたことです。本来なら読む皆さんを喜ばせる努力が必要なのかもしれません。でもね、続けるということは自分の好きな分野を書くということなんです。

人の目とか考えは正確にはわかりません。病と闘っている人とか、何か勉強したことを分かりやすく教えて下さる方とか、自分の人生を書く人とか、

いろんな人がいますよね。それは栄養があっても味とか形が違う果物に似ている。どんな味でもいいんです。文章の味もそうだと思います。

ぼくはバナナが好きですが、他の人の作品はメロンであることがあります。おいしいですよね、メロン。

 noteで頑張る。なんか違うな。自分の好きなサイトに来た。書きやすく、親切な方の応援がある。いい文章を書くというより、自分らしい文章でしょう。怒り。書いていて出て来ることがあります。

怒り。憤り。そんなマイナスを肯定することも自分らしさです。人間には光と闇があって、そのふたつを統合しないとおかしくなるそうです。

 ぼくにとって光は書くことであり、闇は病であり、過去の宗教団体での生活記憶。どちらも利用すべき資源であり、過去を肯定することは、双極性障害を軽くすることです。病であっていい。

社長さんや作家さんは双極性障害が多いそうです。よく気付き、動ける。消して悪いものではありません。ただ、医師から見ると病気の症状なのです。ぼくたちは病人ですが、ぼくは全く関係ない人から「病気に見えない」とたまに言われます。

noteと言う大好きなことをしているので、だいぶ回復してきたのかもしれません。うつ病も、統合失調症も双極性障害も感情を抑えます。書き出し、ネットに公開することで、仲間の気遣いを感じながら、

孤独だった人生が救われて、本来の自分に戻っていく。病気はある医師曰く、「あなたの考えが病気を作っている」であり、病的な考えを健全な考えに置き換え、日常を楽しく、きちんとした生活をおくることで、

回復が進んでいく。自分の考えの進歩と快適な環境。安定した規律ある生活。ぼくもここまで来るのに約25年(=闘病歴)かかっています。不可能と思えることももがくなら、援助を受けるなら可能になります。

 どうか、あきらめませんように。どうか、努力してくださいますように。

皆さんの努力が大きく報われ、闇の世界から、光の世界へと生活が変わりますように^^

note作家
masa

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