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ネット物販で南の島暮らし 1

 空港の自動ドアが開いた途端、ムッとした熱気が流れ込んできた。飛行機の中の乾燥した冷気にこわばっていた体を、湿気を含んだ優しい風が包み込んだ。
「はぁ〜、緩むわぁ〜。」
思わずそんな言葉が口からもれてしまった。
 ドスン!いきなりお尻のあたりに衝撃を感じた。
「すみません!ほら、しっかり前を見てなきゃダメでしょ!」
 見ると、年長さんくらいの女の子がよそ見をしていたようで、空港入り口近くに立っていた私に衝突したのだった。家族旅行でやってきて、これから帰りの飛行機に乗り込むところだろうか。お母さんの後ろからは大きなスーツケースをカートに積んだ父親らしき男性が続いていた。
「あぁ、ごめんなさい。ほら、お姉さんにちゃんと謝って。」
「ぜんぜん大丈夫ですよ。気をつけてねぇ。」
 女の子に手を振ると、少し照れた様なそぶりで手を振り返してくれた。
家族旅行かぁ…私にとっては憧れの光景だった。そう、なにせ私は一人旅。
 
 ここは沖縄県の石垣島。
一ヶ月前に三年間働いていた契約先から突然「契約を終了させていただきます。」と通知され、三十路の独身女は真っ青。おまけに時を同じくして、もうすぐプロポーズかと期待していた彼氏からも「ごめん。君との未来が思い描けない。」というチャットメッセージが送られてきた…はぁぁ、やってらんない!…
契約終了日の翌日、私はスーツケースひとつをゴロゴロと引きずって、朝イチの石垣島行きの飛行機に乗り込んでいた。
 
 とにかく、逃げ出したかった。全ての事から。
数字と向き合うだけのルーティーンワーク、ただ惰性で続けてきた人間関係、ただただ変化することが怖かっただけで続けてきた全ての事から。
 海外でも良かったのだけど、パスポートの期限も切れていたし、できる限り東京から離れたかったので思い浮かんだのが石垣島だった。
 東京からは二千キロ以上離れていて、沖縄本島からも二百キロ以上離れたまさに「離島」。日本本土よりも台湾の方が近い島…少しでもこの憂鬱な日常から離れたかったのだ。
 
 いつ帰るかは、まだ決めていない。
とりあえず契約社員ではあったが、質素に暮らしてきたおかげで、そこそこの蓄えはあった。
先のことはわからないけれど、ちょっと人生をリセットしてみようと思っていた。巷では『風の時代』なんて言葉を聞くようになり、「なんとなく自分の人生にも変化を起こすタイミングなのかなぁ?」と、そんな期待と不安が入り混じったような気分。
 
 宿泊先は、ご夫婦二人で経営している女性専用のドミトリーにした。以前、女友達と二人で旅行した際に利用して、気さくなお人柄のご夫婦の居心地の良さと、一泊3500円というコストパフォーマンスを重視しての選択。(涙)
とりあえず、一週間の滞在で予約は入れてある。でも、その後は…流れにませよう。
 バスを乗り継いて、なんとか宿に到着。でも、バスは一日に数本しか通っていないところなので、車はなんとか確保しなきゃだな。(汗)
数年ぶりにお世話になる宿の奥さんの紘子さんが迎えてくれた。
「いらっしゃい。バスで来たのねぇ。時間かかったでしょう。」
「はい。待っているだけで、汗だくになっちゃいました。」
「あらら、まぁ、まずはこっちで飲み物でも飲んで。」
紘子さんが、併設している飲食店『サンセットカフェ』に案内してくれて、冷たいさんぴん茶(ジャスミンティ)を出してくれた。
…ゴク、ゴク、ゴク…
キンキンに冷えた液体が喉の奥に流れ込み、「フ〜〜っ」やっと一息つくことができた。
 カフェの中には、先客がいた。Tシャツ、短パン、サンダル姿の小太りのおじさんだった。平日の日中なのだが、仕事をしている風でもなく、アイスコーヒーを飲みながら外の景色を眺めている。旅行者だろうか?
「智恵ちゃん、バスで来たんでしょ?しばらくいるなら、車ないと困るでしょう。」
「ええ、こっち来てから、格安のレンタカーを探そうと思ってました。原付とかでもいいし…」
「ねぇ、プーさん。」
紘子さんが、先客のおじさんに声をかけた。
「この前、車欲しい人いない?って言ってたわよね?あの車ってまだあるの?」
「ん?まだあるよ。」
おじさんが答えた。
「ねぇ、その車、この人に貸してあげれないかしら?」
「あぁ、いいよ。」
「あら、よかったじゃない。これで車の心配なくなったわ。」
と、紘子さんに振られ
「えっ、あっ、でも…、あのレンタル料とかっておいくらくらいですか?」
「いや、いいよタダで。別にレンタカー屋じゃないし、ちょうど誰かにあげようと思っていたやつだから。」
「え、いや、でもさすがにそれは…」
「いいのいいの、もうだいぶ乗ってる車で、新しい車買って、廃車にしようか誰かにあげようか迷っていたやつだから、気にしないで。まぁでも、事故には気をつけてよ。」
「いや、それはもちろん。…でも、さすがにタダってわけには…」
「大丈夫よ。この人、お金には困ってないから。なんか、インターネットの仕事で儲かってるらしいから。」と、紘子さん。
「(笑)はい。おかげさまでそこそこ儲かってます。」
「なんだか、一日30分程度で、仕事終わっちゃうらしいのよ。だから昼間っからふらふらビーチ散歩したり、海もぐったり、うちきたりしてノンビリやってるの。毎日。」
確かに、単なる無職のおじさん…という感じではない。服装は、黒無地のTシャツにグレーの短パンに、ビーチサンダル。髪の毛は、短く刈り込まれ、少々の無精髭。だが、切れ物という雰囲気でもなく、人の良さそうなニコニコしたおじさんだが、そこはかとなく【ただ者ではない】といったオーラを醸し出している…かもしれない…
「移住するわけじゃないんでしょ?」とおじさん。
「はい。」
「じゃぁ、あと三ヶ月くらいで車検なんで、それまでは好きに乗ってていいよ。」
「えっと、あの…じゃぁ、そういうことで、よろしくお願いします。」
「はーい。」
「ね、よかったじゃない。これで足が確保できたわね。」
「はぁ…ありがとうございます。」
あまりの急展開に、目が点…。まぁ、この幸運をありがたく受け取りましょう…って、ホント大丈夫かなぁ? ま、流れに身を任せてみましょう。
 
「じゃあ、うちあそこだから、後で車とカギを撮りに寄ってね。」
おじさんが、カフェから一〇〇メートルくらい離れた平家の家を指差した。
「はい。ありがとうございます。ホントにいいんですかぁ?」
「いいのいいの。石垣島、楽しんでいってね。」
 
…それが、プーさんとの出会いだった。この出会いが私の運命を変えることになろうとは…その時の私には知る由もなかった。
 

 

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