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遠野をめぐる_関わることで魂をおいていく

6月の最初の週末は、高知で友人の結婚式があった。そのまま翌日に、飛行機で羽田に飛ぶ。少しだけスタバで時間を潰して仕事をしたあと、前乗りのために遠野に14時過ぎの電車で出発した。ここから4時間半か…と思いながらもうたた寝をしつつ割とすぐに時間は過ぎた。

当日予約していた民宿・おとぎ屋は駅のすぐ目の前にあった。天気がどんよりしていたので、余計に雰囲気がある、というか妖怪が出そうだなと思った。おとぎ屋のwebサイトを見ると、ご主人がとても民話や伝承に詳しいそうで、話を聞けるのを楽しみにしていたが、ロビーには壁一面の文献が並んでいた。

翌朝、ご飯を食べながらご主人が話しかけてくれて、小一時間ほどお話しした。遠野物語の8話には「寒戸の婆」という神隠しの逸話がある。寒戸のある家の娘が、梨の木の下に草鞋を残したまま行方知れずになった、というもの。そして、老いた姿である日突然、もどってきたという話。ご主人は、ウチで本を借りた女性がそのまま消えて、10年たって戻ってきたんだ、と実体験を話してくれた。

午前中は、ハヤチネンダのこうたろうさんと森の手入れをするために、森を埋葬地にしていく現場を案内してもらい、打ち合わせをした。

人や光や水や鹿や馬や空気が移動する道をつくる

小一時間弱、森のさまざまな道をあるく。「道」というのも考えれば面白い。最初は、鹿が通る獣道を手がかりにして人もとおる道を選んでいく。獣道は最短ルートや効率的な移動を可能にする野生の知恵でもある。一方で、道をやたらに増やすことは、踏み固められる地面が増えてしまうことになる。土が踏み固められると、根が締め付けられ、根を伸ばしづらくなる。

そうすると水や養分を吸収できなくなる。また、風でやってきた種子は、土が硬いので土にうまく発芽できない。ミミズも棲みづらくなり、土がさらに耕されなくなる。これは結果的に土砂崩れにもつながるそうだ。

だから、道をつくるときは慎重になる必要がある。人の道ができるだけで、つまり歩くだけですでに土や植物、土中生物とぼくたちはかかわりあっている。影響をおよぼしている。人が自由に歩くことは、必ずしもその他の自然界における自由につながらない。

馬とともにある風景

そんなことを一緒に歩きながら、考えていた。ハヤチネンダさんはクイーンズメドウという施設で5匹の馬を放し飼いにしている。馬が森を一定、歩き回れるようにしている。夏山・冬里ということばがあるように、さまざまな植物が生い茂る夏の季節には、馬も小山にあげていく。そうすると、ある程度馬が葉をたべることで、草刈りの手間が省ける。

一方、シソをはじめ馬が食べない植生はより繁栄していく。馬だって生態系に手を入れて、風景をつくっている。かつ、歩きながら下の写真のように、ボロ(糞)があちこちにされている。これらはもちろん森の養分になっていくんだろう。「雄の馬は、マウンティングのため、他の馬のボロの上に積み上げるようにするんだそうで」とこうたろうさんは教えてくれた。その山から、きのこや新たな植物が生えてきたことに驚いた。もう土になっている感じ。排泄が死に近い森的な風景だと思った。


ボロ(糞)のうえに生えるきのこ

その後、森の手入れをする。この時期、植物の繁茂の勢いが凄まじいため、道はすぐに飲み込まれる。そこで、選択除草という、特定植物だけを刈っていく作業をする。以前、屋久島でも大地再生の手法に習って、風の草刈りをやった。明らかに風景が変わる。スッキリして、人も通りやすくなるが、草が刈られることで、光が差しこみ、風も通りやすくなる。風が通りやすくなれば、植物がゆられ、根が土を耕し、水も通りやすくなる。「道」とは、人がとおるだけではない、鹿も馬も風も太陽も水も、通り道を必要としているんだろう。

ぼくたち人間は動物であり、動かないと死んでしまう。拘束されることが辛いのは、動けないからだ。この動きや移動を「流れ・めぐり」で考えたらスッと入ってくるかもしれない。坂口恭平さんは「自分の薬をつくる」という本のなかで、ぼくらは情報過多になりすぎてインプットばかりだが、手を動かし作るアウトプットは少ない。そうすると、どんどん蓄積されて苦しくなる。ご飯をたべてもうんちがでないようなものだ。排泄も情報も「流れる」ことが大事であり、それは生態系においても水や空気が流れ、めぐることが健康につながる。そんな「流れめぐるための通り道」は、一方で先の踏圧のように人が無闇に移動することと、時に対立する。いま、鹿も馬も風も太陽も水も、ながれめぐるための道が必要なのかもしれない。

選択除草して刈った

畑をやっているので、たしかに畝間に生えてきた雑草を適度に刈ることはも小さな道作りといえるかもしれない、と考えさせられる。でも、森でやったときほどには、道作り感は少ない。なぜだろう。都市にすんでいて「道」をつくる感覚を得られることは中々ない。コンクリの道路はひび割れ補修が必要なことはあれど、植物に飲み込まれることはない。

ただ、被災した土地であれば、瓦礫をどかして道をつくることはありそうだ。森で草木に覆われて道が飲み込まれることも、瓦礫に埋もれることも、自然の猛威を感じる。草を刈っても1ヶ月したら元通りだろう。人間の脆弱さを感じる。だから、コンクリで埋め立てるのかもしれない。移動インフラの様式は自然の猛威をおさえつける、支配=コントロールしている。そうではない、道の作り方を都市部でならば、いかにできるのだろう。
インドのメラネシアでゴムの木の根で橋をつくっている民族がいるが、そんな話も頭をよぎる。

森に手を入れる、関わることの分霊性

30分弱、草を刈ると、あきらかに風景をが変わる。刈った草はバイオネストとして人所に集積する。集積すると、分解者たちが気付いてくれやすくなるので、一気に集まってきて、分解が促進される。刈った草が、彼らにとっての棲家であり、食料になる。どうやって見つけてくるのが、分からないすごい。

集積されたバイオネスト

森のあちこちにはバイオネストが集積されていた。こうたろうさんは「これが人がここに関わっているサインにもなっている」と言っていた。人が関わることが見える。完全に自然生態系によっている目線からはこんな言葉が出てこないと思う。人が森に関わりあうことを大切にしているからこそ、「関わっているサイン」があることで、他者が足を運んだ時に人の気配を感じて安心する。人気のない森にただいるのは、やはりちょっと怖くもある。
手入れしながら、また終えた後にお話していた。ハヤチネンダさんの取組みは、森の一部を埋葬地にして、いのちが還っていく場所がここにある、と感じられる場所をつくることだ。古くから、日本は死んだらお山に還ると言われている。

そして、その場所を多くの人が関わることでともにつくっている。実際、30分だけでも草を刈ることで、あの場所の風景が変わったことや関わった記憶が身体に刻まれている。そして、なんだか”気になる”場所になってくる。どこかに関わり続けることって、魂の一部を、自分の分身を、そこに置いてくることなんじゃないか。そう思う。もちろんたった1回しか、関わっていない。なので、ぼくにとってはこの森は「関わりつづけられる場」としては少し難しい。遠野、とおいしね。ただ、「関わりつづけられる場」があると、そこがやがて大切な場になっていく。

ある人が昔話をしていた。品川駅の近くに住んでいたが、駅ができる前は下町だったそうで、人が行き交っていたが駅の発展とともにその風景が消えてしまい、心理的な距離ができた、と。「もう地元じゃないな」という感覚になったという。これは、下町で行き交う人々が気軽に関わりあえることで、自分の分身がそこにあったのではないか。ぼくの地元でも、通っていた駄菓子屋が潰れた時の記憶が蘇る。

この土地を見守る駒形神社のお社

こうして関わる場所がどんどん少なくなっていく。こうたろうさんは話の中で、「都市部では場所がどんどん移り変わる。人の時間スケールよりも明らかに短い。だから関われなくなってしまったし、死生観にも影響を与えているのではないか」といった視点を共有してくれた。いま、闇雲にあちこちを動き回れる。コロナで制限されていた状況はとうの昔のできごとになり、その当時から”よかったコロナ以前にもどる”という変化を受け入れ適応するでもない、逆流したい動きが強く出ていたが、元通りな感覚がやはりある。一方、それは無限の自由に苦しみ、選択肢を自分で見出さないといけないからこその大変な状況でもある。

そのなかで、「関わりつづけられる場」が少しでもあるといい。そうすれば、いろんなところにこころが置ける。ハリーポッターのホークラックスのように、分霊していく感覚だ。”よりどころ”とは、そうやってできていくのだと思う。たくさんの足で立つことができるようになるはず。よりどころの別の言い方をすれば「心を置ける場所」だ。心をいろんなところに置く。そんな置き場がないから、「私」でいっぱいいっぱいになり、孤立感が生まれ、苦しくなるのだと思う。

以前書いたことともリンクしてくる。

その2へつづく。

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