Masafumi Kawachi
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エネルギーをかけるとは、共に苦しむこと
躁鬱をもち、落ちてるときはひたすら過眠してしまい起きられない。起きられなくてバイトの面接にもいけないし、スーパーでの買い物もうまくできない。『生きてるだけで、愛。』には、そんな主人公・寧子の様子が描かれる。
寧子とひょんなところから同棲している菅田将暉が演じる彼・津奈木もまた、小説家を目指していたのにゴシップ記事を書いて日々を過ごす。毎日、家で寝ている寧子にお弁当を仕事帰りに買ってくる。
焼きそ
生活と芸術のあいだの行為を考える
最近はデザインということばよりも、もっぱら芸術のことをかんがえることが多い。仕事でおてらにて芸術祭をやろう、となっているのでそれもあるのだけど、やっぱり生きる営みから切り離せないと感じる。
じぶんはふとした瞬間に「死にたい」と感じたり、こころが追いつかなくて、からだが動かなかったりすることがままある。これはぼくの固有の問題でもありながら時代の空気としても、似たような生きる大変さを抱えるひともいるの
稲川淳二や模様替えやイマジナリーフレンドからみる、生きるわざ
最近は、ずっと技や技法ということについて、考えている。ずっと考えている、という表現をすると、四六時中ずっと寝食のあいまにも研究しているすごさ、みたいなものが滲みでる。けれど、密度はうすく、それでも長い期間にわたって、ぼんやり自分の身体の内側にうずまいていたり、外側をふわふわ漂っている。そんな感じだ。
そういうテーマは大体、自分にとって向き合わなければ前に進めないものがおおくて、ふとした瞬間に目が
ないなら、つくることで生き延びる
世界に道具にされてしまう、という強い言葉が頭のなかに反芻している。
労働の歯車と化すこと、働けないものは道具として役に立たないと、勝手にどこか思ってまってはいないか。子どもを産めないのであれば、生殖器として機能しない、といったような政治家の発言。
仕事を辞めて2年間、留学していた間は、とにかく不安でしかたなかった。自分が働いてないから、社会に価値を生み出せていないのではないかと思った。その不安は
魂を傷つけることと、おっさん穴にすぐ入ること
漫画『バガボンド』が大好きなのだけど、特に主人公の宮本武蔵の幼少期の「おっさん穴」のくだりがとてもいい。武蔵は天下無双を目指して、強者をどんどん切っていく。ただ切ったものたちからの怨念があったり、終わらない戦いの無限連鎖のようなものに絡み取られていく。
そんなときに、昔、山の中でただ無心で刀を振るっていたときの記憶を思い出していく。小さな洞穴で武士の白骨死体の傍らで、ただ愉しくただ刀を振るう。人
暮らしの技の消失と、じぶんという存在の萎縮
鷲田清一さんの『生きながらえる術』を読んだ。生きながらえること、いきいきと生きること、死なないこと..そのためにいろんな「わざ」や「すべ」を身につけていくこと。じぶんのことばになりきらない関心に対して、鷲田さんはいつもうまくことばをあてがっている。
実存的な不安は、歴史の中で先人がどうだったのかは知らないが、現代社会ではこれまでにないくらい渦巻いていると思う。ただ生きててそれでいいのかなと思った
日々に蠢く無数の感情とふるまいを
「本当にその日を生きる」ってどういうことだろう、と思う。朝起きると、冬の朝はほんとうに暗いことを知る。夜明けまでにこんなにも時間がかかるのかと知る。もうすぐ、冬至だなと思って調べたら、明日だそうだ。
ねむたい目をこすりながら、ベッド脇のスタンドライトを灯す。人工的な光は、この時間に起きると目を突き刺してくるようだ。
「本当にその日を生きる」ってことは最近ふとよく考える。それだけ、毎日が慌ただしく
受け取るためには、気づくこと。贈与としてのバトンを受け取る。
何かを「受け取る」ということは、とても日常的な動詞であると同時に、宗教的な位相まで深みを持ちうる。
郵便物を受け取る、メッセージを受け取る、好意を受け取る、プレゼントを受け取る、フィードバックを受け取る、バトンを受け取る…。
こうして用例を並べてみると、それらが向こう側から「やってくる」ものだということがわかる。そして、やってきたときに受け取ることが難しい類のものもあれば、比較的受け取りやすいなと