マガジンのカバー画像

雑考堆肥

40
日々のこころのもやもやと雑感を堆肥化してく
運営しているクリエイター

記事一覧

生活と芸術のあいだの行為を考える: わたしにとってのサッポロ一番はなにか

東京に出張できている。そういえば会社をつくったばかりのときは、東京にいくたびにアポをいれ…

Masafumi Kawachi
2週間前
17

ごっこのような。失われる想像力。

昨日仕事でやっていたワークショップのなかでも、こどもの力って半端ないんですよ、ほんとに。…

Masafumi Kawachi
3週間前
11

エネルギーをかけるとは、共に苦しむこと

躁鬱をもち、落ちてるときはひたすら過眠してしまい起きられない。起きられなくてバイトの面接…

Masafumi Kawachi
1か月前
9

生活と芸術のあいだの行為を考える

最近はデザインということばよりも、もっぱら芸術のことをかんがえることが多い。仕事でおてら…

Masafumi Kawachi
1か月前
24

稲川淳二や模様替えやイマジナリーフレンドからみる、生きるわざ

最近は、ずっと技や技法ということについて、考えている。ずっと考えている、という表現をする…

Masafumi Kawachi
1か月前
7

日記や記録を書くなかでの、どうしようもなさ

昨日は朝7時すぎに家を出た。東京・下北沢で11時から打ち合わせの予定だった。少し余裕をもっ…

Masafumi Kawachi
2か月前
16

ないなら、つくることで生き延びる

世界に道具にされてしまう、という強い言葉が頭のなかに反芻している。 労働の歯車と化すこと、働けないものは道具として役に立たないと、勝手にどこか思ってまってはいないか。子どもを産めないのであれば、生殖器として機能しない、といったような政治家の発言。 仕事を辞めて2年間、留学していた間は、とにかく不安でしかたなかった。自分が働いてないから、社会に価値を生み出せていないのではないかと思った。その不安は、道具としての価値を帯びない自分はいてもいいのだろうか、という不安でもあった。と

魂を傷つけることと、おっさん穴にすぐ入ること

漫画『バガボンド』が大好きなのだけど、特に主人公の宮本武蔵の幼少期の「おっさん穴」のくだ…

Masafumi Kawachi
2か月前
9

暮らしの技の消失と、じぶんという存在の萎縮

鷲田清一さんの『生きながらえる術』を読んだ。生きながらえること、いきいきと生きること、死…

Masafumi Kawachi
4か月前
13

反逆のあらわれとして行為の崇高さに宿る狂気

guca owl というラッパーのDifficultという曲に、 「とっておきの暴言の為に、真面目な本を読…

Masafumi Kawachi
4か月前
14

石、猫、植物、枕。いろんな存在へ、生と心を交わすケア

人は、一人だけではいきていけないし、支えられている。ケアとは、生きるために切り離せない相…

Masafumi Kawachi
8か月前
6

日々に蠢く無数の感情とふるまいを

「本当にその日を生きる」ってどういうことだろう、と思う。朝起きると、冬の朝はほんとうに暗…

Masafumi Kawachi
4か月前
8

身体と死という有限性から、一瞬を汲み尽くす

有限性、という言葉はいろんな角度から見直されるべきかもしれない。限りがなければ、人は思う…

Masafumi Kawachi
5か月前
17

終わることで更新される関係性

昨日、終わりや別れ、死をテーマにしているスタートアップの方とお話しをしていた。彼は、離島の集落に住んだことから、なくなっていく集落がたくさんあるけど、当人たちは少なからず負い目を背負っている、と言っていた。それは「自分たちの代で終わらせてしまう」負い目だそうだ。 でも、中にはそれを一つの自然の摂理だね、って捉えて、受け入れられているひともいる。この終わりと別れへの向き合い方が、とても大切だと感じて、会社をつくったという。素敵だなと思った。 亡くなったひと、終わったものごと。