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受け手によって変わる真実〈43/1000〉

【ラジオ体操348日目】
『ニコチンレス生活69日目』

今日は『正義も悪も受け手次第』というテーマで書いていきたいと思います。


皆さんは、ネットのニュースで情報収集したりしますか?


恥ずかしながら、私はほんの数年前まで、どんな内容であってもネットに掲載されているものは信用出来ないと決めつけていました。
#フェイクニュースが多いから


今でも、新聞に掲載されているニュースとネットニュースなら、新聞の方が信憑性は高いんじゃないかと思っていますが。。


とはいえ、メディア間での差なんてほとんど無いんだということは分かってはいます。


そもそも同じ情報を色んな角度で切りとって発信するのがメディアの役割なので、記者の主観は100%入ってきます。
#読まれやすいように脚色
#クリック数が成果


ということで、その情報の真偽なんて受け取る側が信じるかどうかに全てが懸かってる。


今日は、ネットで見かけた記事の内容に悪意を感じつつ、受け手次第で悪にも正義にもなりうるんだと感じた話です。


ゴシップ大好きな皆さんは1度考えてみて下さい。

記事への違和感

さて、私が今回の記事を書こうと思ったきっかけは、尊敬している”ある方”に関する記事を見たから。


テレビにはあまり出てこないものの、ネットニュースでしょっちゅう炎上してしまうこの方は、好き嫌いが大きく分かれると思います。


そして、私はめちゃめちゃ尊敬しているし大好きです。


この方の考え方も、行動も、作品もいつもチェックして、たくさんのことを学ばせてもらっているんです。


この記事では、この方が久々にテレビに出演したことをきっかけに、過去の発言や行動を批判していました。
#批判記事の方が反応が良い
#記者としての仕事


ただ、この記事を読んだ私の感想は、”え?記者が全然理解してないだけじゃない?”という感じ。


日常的にこの方の発信している情報を目や耳に入れて、学習している私から見たこの記事は、とても的を得ているとは言えないものに感じられました。


頭の中に浮かんでくる記事に対するたくさんの否定的な意見。


で、ここで気づいてしまいました。


この記事が悪意によって書かれたものであったとしても、そうでなかったとしても、受け手がどう捉えるかによって、評価が分かれるんじゃないか。


そもそも記事の真偽など受け手にとってはどうでも良くて、何を信じたいかが重要なんじゃないか。

正義か悪か

今回、ネットの記事を読んだ時に、私の中に生まれた感情を客観的に考えてみた結果、新しい学びがありました。


正義と悪、正解と不正解など、何かの判断をする際、絶対的な評価軸など存在しない。


同じ情報に触れた時、その情報をどう判断するかは、受け手がどう受け取りたいと思っているかによって変わる


つまり、受け手次第でコインは表にも裏にもなる。


分かりやすく例を挙げてみます。


好きな人と嫌いな人が、全く同じ悪いことをしたという話を聞いた時、好きな人のことは庇いたくなるし信じたくなりますよね。


逆に嫌いな人のことは、四の五の言わずに徹底的に批判したくなる。


この場合、何をしたかは重要じゃなくて、誰がしたのかが重要になります。


情報の受け手である自分が、相手のことを好きかどうかという感情が行為の正悪をねじまげる。


上手く伝わってるでしょうか。。


今回の気づきを得たのには、何かしらの理由があると思います。


noteに自分の言葉で整理して落とし込んだので私の中にはかなり明確に落とし込むことが出来ました。


今後、何かしらの判断を求められる際、自分自身が受け手として情報をどう受け取っているのか、どう受け取りたいのかを冷静に把握しようと思います。


判断ミスが減りますように。

じゃ、またね!

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