【日記】生きたい
プロローグ
僕は昨日、「やりすぎ都市伝説2022春」をTVerで視聴し、放送直後配信もライブで見ることが出来た。
番組を見てない人は前夜祭配信、番組(TVer)、放送直後配信という順で見て欲しいと思う。
関暁夫と言うと、すぐにはいはいオカルト、スピリチュアルってバカにされるかもしれない。それはそれでいい。
僕は僕。他人は他人。
いつも読んでくれる人、たまたま見つけてくれた人
これを読んでくれた全ての人に届けたい。
昨日、関さんが警告を出してくれた。
本当に日々追ってきてくれた人に感謝してるからこそ、1人でも変わってもらいたいからこそだとすごく感じた。
当たり前なんかじゃない。何事も。
僕は情熱を持って、それに応えなきゃいけないと思う。
関さんは常々、「考えろ」「情報を掴みにいけ」「俺が点を投げるから」と言ってきてくれた。
だけど途中から見てきた人は本当に分からないし、意識して見始めたのがココ最近だった人たちもいるという現実も重々承知だから20日にしっかりみんなで心通わせて、理解を一致させるタイミングを作ってくれるらしい。
20日の詳細に関しては関さんのSNSをチェックしてみてね。
僕はこれが本当に最終警告なんだと思うし、ここが本当に己の道で助ける人になれる最後の瞬間なんだと思う。
だからみんなにも届くように、こうして書くことにしてる。
刺さったこと。
関さんは配信の中で「怖いのが、本気で人間 脳ミソ飛ぶぞ。記憶が飛ぶからな。」と言っていた。
記憶が飛んだとしたら、僕らになにが残るだろうか。
どう生きていくのだろうか。
考えれば考えるほど、難しくなるのかもしれない。
きっと誰もが「信じたくない」と思うだろうし、「怖い」とか「オカルトの類だ」と思ってしまうのかもしれない。
僕の感覚では、それは死ぬということにどこか近いのかもしれないと感じた。
どういうことかと言えば、分からないから怖くなるし、不安要素が込み上げてくる。理解できる領域を超えるからこそ、苦しくなるような感じだ。
そうじゃなくて。現実問題それが迫っていて、じゃあどうするのどう対処するの、どう生きていくのってことを行動していくしかないんだぞ。って話。
記憶が飛んだら
記憶が飛んだらどう生きて生きますか?
大好きだったもの、大好きだった人、大切な人、大切な場所そういうものすらも忘れてしまうかもしれない。
もちろん自分だけじゃない、周りにいる人が自分のことを忘れてしまうかもしれない。
思い出してくれる手がかりがあったとしたらそれは何なのだろうと考える。
微かな記憶の断片が残ってくれていれば、それを手がかりに思い出せるかもしれない。
でも本当に記憶が消えちゃってたとしたら、何が残るだろう?
生まれてから今日まで、全ての記憶があったことなんてない。きっと無くなっていくものなんだと割り切れるかもしれない。
でも、なんだか「わくわくする」悲しくて寂しくて「ぎゅっと苦しくなる」嬉しさのあまり「ドキドキする」という不思議なものに僕らはずっと出会ってきて、今でも鮮明に思い出せる。
僕はそういう心の声はきっと記憶を失っても残っていくはずだと思う。
だとしたら、今どうやって生きていくべきなのだろう。
僕はやっぱり情熱をもって生きていきたい。
仲良くしてくださいと言われたら、仲良くしたいし、ライブ見に来いと言われたら、ぜんぶ予定をキャンセルして行きたい。
それが情熱。それが本気。それが愛だと僕は想う。
行動は結果を裏切らない。
本当に。
出会った人、これから出会うすべての人に感謝して、同じ時代に生まれることが出来たということに運命を感じて生きていきたい。伝えていきたい。
これは親にも兄弟にもしっかり伝えていかなきゃと思うし、可愛がってくれる先輩たち、仲良くしてくれる同級生、慕ってくれる後輩にも届けなきゃいけない。
当たり前なんかじゃないよ。
関さんが幾度となく伝えてきてくれた「愛」「情熱」「団結」「目覚め」そういうものにも繋がってくる。
精神テクノロジー文明。
僕は昨日やっと理解出来たというか、本当に重要なものはヒューマンプラスなんだと感じた。
高度な技術が次々に登場する中において、人として必要とされるにはー。
とても貴重な時間でした。
本当に届けていこう。届けないと。
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