食事をこじらせる。添加物批判。
この世界には添加物批判って、あるなーと思う。
これ、個人的にとても不思議に感じる。
衛生概念同様、添加物と冷蔵庫のおかげで、人は食事を謳歌してるのに、添加物には批判が走る。
電磁波出してる冷蔵庫は同じように批判されてるのだろうか?
周知の事実で、添加物と冷蔵庫がないと、食べ物の寿命は縮まる。
添加物と冷蔵庫のおかげで、食品は安くなるし、流通する。
それでも合わない添加物は、口にすると、舌がヒリヒリする。
唇は腫れる。
あれは本当に不快な経験だ。
それでも私は添加物を否定しない。
ちなみに、強い肯定もしない。
それは私が微食者で不食者だからかもしれない。
要は、生きるために食べる量が少なくても平気だからなのかもしれない。
不食者に憧れて餓死した人の話を聞いてから、
あまり食のネタは書かないようにしてるんだけど、
微食や粗食や不食を考えずに添加物を否定するのって、
なんだか珍しいような…不思議な感じがする。
「あまり食べなければいいのでは?」
は、通用しないのだろうか?
食べることは、何かの義務なのだろうか?
私は一日一食以上の食事を数日続けると、体の調子が悪くなる。
だから、動物のように、食べたい時に食べるし、
食べたくなければ食べない。
だから添加物の影響も受けにくいのかもしれないし、
添加物と冷蔵庫のおかげで、食材を無駄にせずに済んでいるようにすら思う。
(それでもヒリヒリする感じは嫌いだから、肯定するわけでもない。)
そうやって、食事の量をコントロールすれば済むのではないか?
どうして「添加物」と名指しで戦うんだろう?
これは食生活の選択の問題ではないのだろうか?
とてもとても、不思議に思う。
でも、きっと私の気持ちを理解してくれるのは少数はだけ。
だから誰も読まないブログにそっと書く。
勝手な想像なのだけど、
添加物を否定する人は、一日に数回食事をする文化を持っている常食者なんじゃないだろうか?
彼らがわざわざ欠点を見つけて文句を言っているように見えてしまうのは、私が不食者だからだろうか?
どうして「添加物」の揚げ足を取るのだろう?
拗らせた恋愛の揚げ足を、わざわざとっているようにみえる。
食事は恋愛同様、選択の問題ではないのだろうか?
相手の欠点をわざわざ挙げて愚痴を言うなら、内輪ですればいいのではないか?
それを公の場ですることは、とても興味深い。
久しぶりに難しい問いに出会った。
面白い。
すぐに答えが出てこない。
おやすみなさい。
良い夜を。
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