品田遊『止まりだしたら走らない』を紹介する


 『止まりだしたら走らない』は、中央線を舞台として、個々の思考を綴っていくオムニバス小説である。ダ・ヴィンチ・恐山としても活躍する小説家、品田遊のデビュー作。


 この小説について、ネタバレを避けつつ、以下に紹介する。


 そこには、すぐに逃してしまうような感覚や、忘れていた感情が、生々しい質感をもって言語化されていた。年齢も性別も職業も背景もバラバラな人たちが、中央線という一つの軸で少しだけ交わっている。その中心から、著者の視点を通して眺めることができる。そのあまりの細やかさに、登場人物の物語に参加しているような心地を味わった。

 私が特に気に入っているのは『逡巡』という短編だ。一人の、ユーモアを交えたくだらない思考に追随するのが楽しい。無意味で口に出すまでもない、描くまでもないような些細な空想に絵を与えられ、そこに生きていると感じた。

 この本の登場人物である、都築と新渡戸はオムニバスを束ねる「中央線」となっている。二人のテンポの良い会話は、さらりと流れるようでいて、それとなく短編の要素を拾い、つなぐ役割を果たしていた。また、彼らがいることで、重い思考の束を軽やかにまとめあげている。

 全体を通して、とことん人間のリアルを追求し、懐疑的・皮肉・現実へのカウンターであるように思えるかもしれない。しかし、じつは、純粋でロマンチックで、人の希望や成長を描いた作品であると私は感じている。この「中央線」は、誰もが一度は抱え、飲み下せなかった重苦しい心の行き先を提示してくれているのではないか。著者にそのような意図はなくとも、私はあの日の自分が昇華されるような気持ちになった。

 余計な装飾のない簡潔な文体は、短編集であることも加え、読みやすい。それぞれにきちんとした区切りがあり、舞台が一貫していたからか、短編集に時折ある頭の切り替えの難しさは私には感じられなかった。透明感に鋭い刺激が同居しているような感覚がある。読後感はさわやかで、それでいて何かを残していく。

 止まりだしたら、走らない。ふと立ち止まって、周りを見渡してみる。すると、たくさんの人がひしめき、思考し、動いている!そこに気づき、動けなくなる瞬間がある。しかし、やがて折り合いをつけ、ゆっくりと歩き出すことができるようになる。

 短編集でありながら、ひとつの大きな機構が形作られていく美しさ。無数の心を乗せて揺れ動く車体。あなたも、登場人物の一人である。この小説を通して、いつのまにか失くしていたあの日の感情の行方を探してみてはいかがだろうか。


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