詩 ってなに?


詩をかいている、そんなつもりでいますが、その詩について。乳川おどる、なりの、詩とは何かをここにかいていこうと思います。

現在の考えでいうと、平たく、大雑把にいうと、純度100%以上の言葉だと思っています。おい、お前本音で話せよ、みたいな。         

詩をかいている人は皆そうじゃないかと思いますが、普段言えないことをノートとかにかきだすのが始まりな気がします。           自分は中学の先輩が、326さんの詩を持っていて、かっこいーよねー、って言っていたので、詩をかいていることがカッコいいと短絡的に解釈してかきはじめました。ふ、不純…。       思春期の頃に326さんと出会い、自分の気付いてなかった心をズバズバ言い当てられるので、ある種ヒーローのように感じていました。     西暦前進2000年、という歌の詩で、「人目なんてどうでもいいよ、ずっとボクは大切だから」という言葉があるんですが、あ、この人の言葉は詩なんだなとリアルに感じれるのが、うわっ、この人気持ち悪い、って感じたり出来る詩があるからなんだと今頃になって気付きました。 

自分は割と冷めてる人間なので、他人の深い愛情をどこか気持ち悪いと思ったり、小馬鹿にしている節があります。              そんな自分がそういう深い愛情に焦がれるているのが恥ずかしいです。気持ち悪いと思ったり小馬鹿にしたり、それが恥ずかしいし、みっともない。でもそれは、これからも変わらなそうなので、そんな自分で人と付き合ってるし、詩の部分では素直でいようと。でも詩をかき終わればまた可哀想に、人を馬鹿にしたり、気持ち悪いと思う人間に戻ります。  

谷川俊太郎さんの物事の見方が好きで、それをはじめて知る度に自分がそれと同じことに安心していました。もちろん違うところもあれば、わからないところもありますが。今は自分の物事の見方を確かめながらも発掘している途中です。

すこし脱線しましたが元のレールに戻ります。 詩は言葉、文字を使った魂を写す鏡なんじゃないかと。だから意味不明な羅列や擬音、その人だけのニュアンス、教科書にのってない文脈なんかも必要になってくるわけですね。                    わかりやすい例でいくと、          秦基博さんの、ひまわりの詩。 という歌。                    「どうして君が泣くの、まだ僕も泣いていないのに」という出だしです。           国語の正しい文に直すと、          まだ僕が泣いていないのに、か、       まだ僕は泣いていないのに、になるはずなんです。僕も泣いていないのに、だと君も泣いていないということになってしまいます。      現在の国語の教科書では表現できないとこなんです。普段他の歌で目にする歌詞を見ていると、こういう細かいとこにあるニュアンスがただの間違いなのか、国語を超えたのか考えてしまいます。自分はひねくれているので、ちゃんとした日本語使えよって思います。自分は変な言葉いっぱい使ってるくせに。

純度というのは、かこうとしたものではなく、あふれた、ものなんではないかと。思わず言ってしまった言葉。魂の殻を壊して言葉が出てきた。綺麗な言葉だけじゃなくて、暴言もそう。綺麗事というのは上っ面という意味でもあるので、醜い人は醜さも曝けないと詩はかけないんですねー。綺麗なとこだけ写すっていう方法もあるけど。あふれたもの、という意味では初期衝動とか、はじめて知る気持ちなんかは思わずペンをとりたくなる感じです。そして、思うようにかけなくてがっかりするんです。

詩というのは何もノートに綴る文だけじゃなく、純度100%を超えた言葉を伝える瞬間、その人は詩人なんです。これは谷川俊太郎さんの考えを共感として半ばパクリました。          だから、例えば一番たいせつな人から、ロマンチックな言葉、言葉そのものはなんでもよくて、伝えたすぎてあふれた言葉なら、それはとても響くのではないかなーと。繋がりというか絆?があって、心と心が糸電話で繋がれている状態なので、言葉にこもった意味や感情も届いてしまうんではないかと。それがどんなに冷めてる人でも。

子供はまだ語彙が少ないので、感情が優先されている気がします。だから常に純度の高い言葉を話しています。歳をとると、それがうっとおしく感じる人もいると思います。自分はうまく返せなくて、対応に困る人です。見てる分にはかわいいんですけど。                 そういう意味で詩人じゃなくなってきた子供がかわいくなくて、うわー、大人ぶってんなー、って思ってしまいます。一言でいえば苦手です。世の中を知った気になって、なんでも見下してるというか。人の見た目、性格、本人ではなく取り囲んでいるもの、その人の歴史に世間的な値段をつけて、自分より上、下、なんてやってる人が苦手です。できるだけ関わりたくない。単純に一緒にいたい、いたくない、それだけでいいだけのはずなんだけど。コンプレックスがおおきい人ほどそうな気がします。たぶんコンプレックスを抱えていること自体気付いてない。それが爆発して、他人を笑う、叩く、貶す。自分が下にいる感覚がそれをさせるから、相手を下に設定して攻撃する。自分もそういうとこはあります。なかなか思うようにはならない。  

自分で自分のかいているものは詩とはおもってないです。一番言葉の中で近いものが詩なので、詩ということにしています。名前をつけるなら、日記の方が近いかもしれない。あと感想文とか。伊藤サチコさんというシンガーソングライターがファーストアルバムの一曲目の感想文という曲で「この世の中の感想文」とうたっていました。    

とりあえず今(2020.3.19)はこのくらいまで。また考えが変わったりしたら編集であとから追記します。詩についてかくつもりが愚痴にもなってしまった。                   長文になりましたが、お付き合いいただきありがとう。ぶい。


ねぶい。



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