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【LUNA SEA】セルフカヴァ―アルバム『STYLE』全曲レビュー⑦1999⑧END OF SORROW⑨DESIRE

◆『MOTHER』全曲レビューはこちらから

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◆【LUNA SEA】セルフカヴァ―アルバム『STYLE』全曲レビュー⑥FOREVER&EVER

続けて書いていきます。

◆1999

この曲は90年代に思春期を過ごした身としては、懐かしい気持ちになってしまう。
「1999年に世界が終わる」というノストラダムスを信じていたわけではないけれど、数年後の未来に何が起きるかなんて確信できた人などいなかった。
高校生の私を含め、世の中の人は、うっすらと、20%くらいはあるかもしれない未来として認識したうえで日常を過ごしていたと思う。

事実、90年代は「世界が終わる」というような歌が流行ったし、来ないかもしれない未来のために大切な現在を犠牲にして努力をするなんて馬鹿らしいという風潮もあった。
「現在をどう生きるか」それだけが大事だという認識があったのが90年代だったように思う。
現在を燃え尽きさせるほどに、生きていることを満喫する。そんな価値観はもう遠い過去のものになっているけれど、その時は向こう数年の大真面目な現実だった。

LUNASEAは多く聖書のモチーフを引用しながら世紀末の都市について、黙示録的な曲を書いている。彼らもその時代を生きて、うっすらと信じていたのだと思う。でなければ1999なんて曲のタイトルにつけないだろう。

世界が終わらなくても、1999年が2000年に切り替わったとき、何かは終わったような気がする。それは終末的な時代の空気だったのかもしれないし、現在に納得のいっていない終末に救いを求める人たちの希望が失われた瞬間だったかもしれない。

そこから時代の空気は一気に明るくなった。
痛々しいほどの空元気と笑顔で踊るアイドルたちが希望の歌を歌い、無理をしてでも楽しもうとする時代が2000年代の空気だったと記憶している。

LUNASEAは1997年の一年間のソロ活動を経て、1998年にバンド復帰し、アルバム『SHINE』をリリースして、ミリオンヒットを記録するなど絶好調の最前線での活動を続け、1999年には十周年ライブを行い、世紀末を乗り越えて、2000年にはアルバム『LUNACY』をリリースし、同年末に東京ドーム公演をもって終幕(解散)に至っている。

音楽と時代の空気というものは、度々論じられる。
好きな音楽やバンドに対しては、「古くなった」と思われたくない心理から「時代とは関係なくて、たまたまこの時代だった」と思いたくなるのもわかるけれど、音楽は時代の空気を最も反映させたものが結果として残っていく。
終幕に至るまでのかつてのLUNASEAも、終末的な空気の中で生きた存在だったのかもしれない。

曲のレビューのはずなのに、話が大きく逸れてしまった。
今回セルフカヴァーされた「1999」は、今回のMOTHER/STYLEの中で最も原曲に忠実だったと言っていいのではないかと思う。
録音やミックスで、音像に奥行きや立体感や落ち着きが出ているという点はあるものの、アレンジも音の作り方も、当時そのままではないだろうか。
タイトに刻む音圧は閉塞的で暗くて狭い場所で神経を尖らせている感触を変えていない。
ただ、空気の色が変わっている。奥行きが変わって、神経の張りつめさせ方が少し変化している。

Awake, parasite, blood, the end

3年後に来るかもしれないこの世の終わりを覚悟していた1996年と、世紀末も終幕もはるか昔に乗り越えて、強く大人になった2023年現在のLUNASEAの違いを最も如実に表す曲かもしれないと思う。

(It was the image of the weak minds)

When the losers are lost, they jump off the building roof one after another
If there was strength to love one through at the time
If you were there to love me through
If there was a dream stronger than hate
敗者たちが残されたとき、彼らは次々に建物の屋上から飛び降りた
もし、あの時、愛を貫く強さがあったなら
もし、あなたが私を愛してくれたなら
もし、そこに憎しみよりも強く夢があったなら

過去形で民衆の悲劇を描く詞の半面で、この曲はライブ映えをする一面も持つ。
タイトにユニゾンする楽器の厚みと、一言ずつ刻まれる「Awake, parasite, blood, the end」の叫びが客席の理性を失わせる。

後半の女性の声による英詞の朗読に重ねられるスペイシーな響き。
悲鳴のような軋みを含んだギターは幻のように、いつのまにか消えて、祈りの言葉だけがその場に残される。

原曲も同様の構成になっているが、原曲は上記の英詞が、「過去形の悲しい物語」という印象だったが、今回の1999の同部分については、取り残された言葉が「祈りの言葉」に聞こえる。そこが一番印象が違う点かもしれない。

◆END OF SORROW

幾千の星に抱かれて ロマンを叫び続けて
さびついた時は流れて 君は確かに震えていた

1996年のSTYLEに先行するシングル「DESIRE」「END OF SORROW」「IN SILENCE」の第二段にあたる。当時、発売日にショップに予約を入れて買いに行き、熱心に聴いたことを憶えている。
余談ではあるが、このシングルのカップリング曲である「TWICE」を、先日のDUAL ARENA TOURの名古屋で耳にして、聴けると思っていなくて震えた。

この時期にはLUNASEAは東京ドーム公演を成功させた押しも押されぬ最前線のバンドとなっていた。MVにも当時の映像が含まれていて密封された時代の空気に胸が熱くなった。

恐れないで 明日を信じて

曲頭の「I need you」に始まり、「END OF SORROW」と題しながらポジティブなメッセージを伝えるこの曲をシングルリリースに決めたことにバンドの姿勢の変化のようなものが見て取れた曲だった印象がある。

原曲との違いは、音の厚みと、細部の解像度だろう。
アレンジはほとんど変わっていないと思う。

Jのベースの表情豊かさに引き込まれたと思うと、
SUGIZOソロの鮮やかさに目を奪われ、
真矢の繊細なシンバルとドラムに我に返り、
RYUICHIの歌の表情と、
重ねられるINORANの象徴的なアルペジオに息を呑む。

熟知している曲だけに、新旧の違いとしては細部に意識が行ってしまう。
大きな違いは、当時と今の、メンバーたちの表情であるかもしれない。
神経を張り詰めさせていた1996年、20代半ばの若者だった彼らと、2023年の50を過ぎて屈託なく笑う現在の彼ら。
それを無意識に重ねて思ってしまう。

◆DESIRE

何故 時は墜ちてく 何故 恋に墜ちてく
怖いくらい just lose my mind

LUNASEAがこれほどストレートで明解で情熱的なラブソングを発表したのは、DESIREが初めてではないかと思う。

激しく胸が張り裂けそうさ 心奪われすぎてく
激しく切り刻まれることも 恐れない
どれだけ心が壊れても たとえキミを壊しても
激しく息もできないほどの 今口づけを

言葉の激しさに沿った演奏の激しさが、当時新鮮だったことも憶えている。
有名曲『ROSIER』も激しいラブソングではあるが、どちらかというと都会の世界観の中での情景描写が主軸だったと言ってもいい。これほどストレートに恋愛にフォーカスした題材の曲は、それまでの硬派で神秘的な世界観のLUNASEAから一歩も二歩も足を踏み出す挑戦だったのではないかと思う。

とはいえ、私はDESIREの曲がめちゃくちゃ好きである。
一番熱心にLUNASEAのシングルを聴いたのは多分DESIREだったはずだ。

烈しさとまぶしさに、すぐに我を忘れてしまうけれど、27年前に死ぬほど聴いたこの曲と大人になった今、再会できたことが何よりもうれしい。

RYUICHIの歌が深く優しくなっていることが、気を張り詰めさせていた原曲との一番の違いではないかなと思う。

続きます

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