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無課金に思うこと

今もまだ、たまに見かけるのですが
無課金者も平等に扱え…みたいな主張の方を。

個人的な意見ですが、無課金者を課金者と同じような扱いにする必要はないと思っています。
というのも、無課金者がいくら多く存在してアプリ登録者数が多くとも
結果として残るのはアプリのダウンロード数だけであって、
それでサーバー代やゲームを制作してきた費用がバックされるわけではないと。
課金があってこそ、運営は儲かるわけです。

というと、無課金者の方から「我々が宣伝するから課金者がいる」などと言われる方も居ますが、いえいえ貴方がたが課金すれば良い話の事と思ってしまうのですね。

私は、個人的に新規のアプリには課金します。
面白くなければ即座にアンインストールしますし、1週間は遊んで様子見るか、と判断すれば月額制の課金タイプがあれば課金しますし、なければスタート限定の課金をするようにしています。
これは私自身が物を作る事がどんなに大変か、そしてそれを売るのが大変かを理解しているから課金するのです。

無課金者の人が悪いのか?と考える人もいるかも知れませんが、
悪いとは思ったことありませんし、それもプレイスタイルだと思います。
しかし、課金者と同じ対応をしろというのは誤っていると思います。
お金を払っている人が優遇されるのは当たり前の事なのです。

しかし、それをどうしてか理解していない人がちらほら。
自分がお金をかけて物を作って、いくらかで売るものだったとして買ってくれる人は、当然ありがたいと感じますよね。
それを『無料で配るべきだ!』『お金を出さない人にも平等にしろ』と
ただで要求してくる人をありがたいと感じるのでしょうか。

宣伝になるというのは、最初だけです。
しかもそれは『無料で』という宣伝です。
そこに利益は存在しません。生まれるのは無料で配っているという宣伝
どんなに自分が制作費をかけてもお金という利益は発生しないのです。
それでは作る意味がない。


制作側が無料と謳っているのは『無料で遊ぶ事』のみであり、
その他のサービスは課金者が優遇されると言っているだけです。
無料で遊べる事にたいしては『全てのユーザーに平等』です。
スタートの時点で既に平等な対応は完了しているわけです。

全てのサービスを『平等』にするべきという主張は
その時点で平等ではないのが理解していない事に疑問を感じます。

無料で遊べるだけでも良い事なのに、
それ以上の欲望を制作側にぶつけるのは筋違いです。
そしてそれに応えないと罵詈雑言の批判の繰り返し。
おかしいなって感じて、もう何年も経過しました。

しかし、制作側にも問題があると感じます。
何でもかんでもアニバーサリーを作りすぎなんですね。
それじゃ、ユーザーの欲望が絶え間なく続くわけです。
変にサービスを増やしすぎるのは悪手にしかならないと感じます。

そろそろ両者ともに成長する必要があるのではないかなと感じるのが
今日このごろ思う事というそんなノート。

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