東大前殺傷事件について思ったこと

 

 
先日、共通テスト(この名前自体がセンター試験という名前でこのテストを受けていた身からすると慣れない)の日に、東大前で愛知県の進学校に通う17歳の男子高校生(二年生)が刃物を振り回し、70代の男性と、受験生二人を切りつけた。三人とも一命をとりとめたとのことだった。
共通テストという日に、しかも17歳の高校二年生がということで随分と注目されている。
自分はこれを見て、またすごいことが起きたものだなと思った。そして、この高校生が特定されようと、どれだけ叩かれても仕方がないなとも思った。
もちろん、自分のことではないのでこの高校二年生に対して怒るなどの感情はないものの、彼が受験生に直接的、間接的に被害を与えたことが許されるべきではないと思ったからだった。
受験日に切りつけられた受験生二人は、その日に受験ができなかっただろう。救済措置が取られるのだとしても、追試となる。追試は多少、本試験よりも難しいというのが通例だ。また、仮にこれを受けるとしても、受験生は自分が受験会場に行くにあたって、または外に出るにあたって、見知らぬ相手から切りつけられるのではないかという不安を覚えることも十分に想像される。この被害にあった受験生たちの心情を慮るには余りある。集中して勉強しようにも、またこの件について思い出すことはあるだろう。
そして、東大前で起こったのは1日目だった。2日目にも、もしかしたらこうした人が出てくるのではないか?とただでさえナーバスな受験生が考えることもあったと思われる。これが間接的な被害の方である。
この男子高校生は、愛知県一の進学校におり、来年は東大を受ける(医学部といっていた気もする)と言っていたらしい。しかし昨年から成績が上がらず、このままでは・・・と思い誰かを殺傷したら、自分もその罪悪感によって自殺できるのではないか?と考えたらしかった。身勝手なのは、この手の犯行では当然かもしれない。
だが、それでも彼は社会に戻ってきてほしくないし、見せしめとして名前も特定され、受験もできず、高校も退学になってしまえばいいのではないかと思うに至った。
それは被害に遭われた人たちのこともあるが、何よりその身勝手さに問題があると思う。
もちろん、受験時はナーバスになるし、彼の周囲の環境や親の期待など彼にとってプレッシャーとなるものはあっただろう。
しかしそれは他の受験生にも言えることで、その受験生たちがこうして他人を巻き込んで自分も死のうと思うか?といえば、答えはノーだ。
彼の頭はおかしい、いや、おかしくなっていたのだ。
だから治療をし、彼については少年法で守って報道をしないで・・・というのも一定の理解はするものの、大半の人がやらない身勝手なことを実行する人間の根本は変わらないと思う。
彼が然るべき処置を受けて社会に出てくる頃に、また医学部を受験しようと思うのかは不明だ。医学部には面接があり、彼が在学している高校までは特定されているので、恐らく医学部としてもどこの誰だということについて把握すると思う。学力があって、テストを乗り越えたとしても共通テストの日に受験生を刺して自分も死のうとした当時の高校二年生を医者にするわけにもいかないだろう。
そういうのもあって、この加害者である高校二年生が社会から完全に排除されてもまったく問題がない話だと思っていた。
今もそう思っている節はあるのだが、たまたまニュースで教育家となっている夜回り先生こと水谷修さんのコメントを読んだ。
以下が内容である
 

東京大学前で、大学入学共通テストの受験生2名と男性が刃物で切りつけられる事件が発生しました。命に別状がなかったことは救いです。
 この犯人は、報道では、名古屋市内の17歳の少年で、名古屋市内の高校2年生の男子生徒と報道されています。現在も、この少年について、犯行動機などが日々報道されています。また、この生徒の通う高校からは、いち早くコメントが報道機関に流されました。父親からも、弁護士を通じて、謝罪のコメントが各報道機関に流されました。
 私は、この事件に関する今までの報道を見て、大きな違和感と危機感を感じるとともに、一部怒りを抱いています。
 まずは、捜査関係者より、報道関係者に、この少年の供述が流されていることです。少年事件に関しては、裁判の公開が憲法により原則となっている成人の刑事事件と異なり、その審判は非公開と、少年法により決められています。この事件に関しては、もしかしたら家庭裁判所から地方裁判所に逆送となる可能性は排除できませんか、現在の状況では、審判の非公開を前提として、いかなる情報も報道機関に漏洩することは許される事ではありません。警視庁は、速やかに情報漏洩を行った捜査関係者を特定し処罰すべきです。
 これと、同様の理由で、この少年が在籍した高校がコメントを出したことも、少年法の規定に反する行為です。少年の特定につながり、少年法により守られている、少年やその家族のプライバシーを侵害する行為です。しかも、高校独自に、だれが判断したのかはわかりませんが、この事件の背景分析まで行っています。単なる想像に過ぎないのに。私は、このコメントを読みましたが、単なる高校による自己弁護としか思えませんでした。
 また、いつも繰り返されることですが、各報道機関から流れてくる情報は、さきほども述べた少年法の趣旨に反するものばかりです。いくつかのテレビでは、同級生や同じ学校に通う高校生への直接の取材を流していました。これは、許される事なのでしょうか。これ自体が、報道機関の取材によってこの少年を特定させるという違法行為なのではないでしょうか。また、その内容も、その生徒の日々の生活の様子や性格について質問し、それを答えてもらうものが多く、あくまで取材対象の高校生の個人的なまた主観的な発言を、何の裏取りもせずただ流しています。当然その内容についての責任は、発言した高校生たちに負わせて。こんなことが許されていいのでしょうか。
 どうぞ、情報漏洩した捜査関係者もこの生徒の在籍する高校の先生たちも、当然取材に当たる報道機関の関係者も、少年法第22条をきちんと読んでください。そして、自らが犯した違法行為について、きちんと償って欲しいと考えます。なにより、いち早くこの少年が特定される情報を報道機関に流した捜査関係者を私は許すことができません。
 確かに、少年であっても犯した罪は償わなくてはなりません。でも、少年は人格的に未熟な存在です。また、それまでの環境や社会状況に影響を受けやすい存在です。だからこそ、その更生と社会復帰の可能性を、少年法により守られています。この少年法の原点が、今回の事件に関して忘れられていると感じるのは、私だけでしょうか。そうだとしたら、私たちの社会は、危険で危機的なものです

 
 
自分の考え方はミスをした個人を徹底的に叩いて、社会から排除することを容認するというものだ
言ってみれば不寛容なのだと思う。こういう他人もいる、そして彼は彼のしたことを償うべきである、そうしたら社会に戻ってきていいではないかという風には思えなかった。自分の他人に対する考え方にも似ている。こういう発想の人が多ければ、多いほど、もしかしたら水谷先生が指摘するように私たちの社会は、危険で危機的なものなのかもしれない。
とはいえ、本当にそうなのか?とも思う。自分は個人的に自身の他人に対する許容度合が低いと思っている。
だが、今回のような身勝手な事件を起こした高校二年生に社会へ戻ってきてほしくないと、受験生でもなければ教育関係者でもなく、関わりのない自分が思うことは危険か?そういうわけでもない気がしてきた。
水谷先生のコメントを、「人に対する許容度合が狭ければ狭いほど、他人に攻撃的になるし、自分も生きにくくなる」という教訓として受け取ることはできるが、言ってしまえばこうした「異常者」をも受け入れる(それは少年法に基づいているという話とは別に)というのは、特段の経験でもないと難しいのではないか、そんな風に感じてしまった。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?