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第3章 『原発危機と「東大話法」』

『原発危機と「東大話法」』(明石書店、2012)の書評文


 同書が刊行されたのは、2011年と云う10年も経過しているわけですが、同書で安冨さんが分析され、批判した内容は未だに生き続けているように思われます。

 安冨さんは同書の中で、福島第一原発事故後に被害をなるべく過小評価しようとする言説が噴出し、それを「東大話法」と命名したわけですが、同書はかなり複雑な構造となっています。
 まず第1章では、論語の「名を正す」を引用したあと、原発の危険性を指摘した学者たちの主張を参照しています。日本の原発関係者は彼らの意見に耳を傾けてこなかったのではないか、と述べています。
 第2章と第3章では、香山リカさんと池田信夫さんを中心に知識人が原発事故後に行なった言論について分析しています。私自身、3.11時は中学生でしたので、当時の言論界の雰囲気については実感がわかず、同書を読んで本格的に知りました。私自身、両氏の名前は知っていましたが、比較的にリベラルな言論人だと認識していました。香山さんは90年代から著作を刊行され、2002年には『プチナショナリズム』と云う著作を出し、本格的に社会評論を行なっています。私が知っている範囲では、右派的なナショナリズムに対しては批判的で、実際に本人も市民運動に深く関与しています。

 池田さんも著作は読んだことはありませんが、「アゴラ」についても知っていました。もともとブログだったのですね。私はYoutubeでの池田さんの対談や講義動画を視聴しており、かなり面白い内容だと思っていました。





 第4章と第5章では、上記の言論人たちや原子力関係者が使っていた「東大話法」の思想的な背景について分析しております。「東大話法」の背景に存在するのは「立場」を中心に思考をする「立場主義」と云う思想であり、近現代日本では普遍的にみられる事象だと述べています。


 私が気になったのは、「東大話法」と安冨さんが名付けた言説は平成時代の言論人がかなり行なっていたことです。評論家で社会学者の後藤和智さんが「言論の差異化」と呼んでいた現象と重なります。後藤さんは安倍政権を支えていたのは右派系の論壇以外にも実は「若手」のリベラルな論客たちではないか、と指摘しています。彼らが行なっていたことは「逆張り」と云う行為でした。後藤さんが指摘しているのは、「批判」と「逆張り」はまったく異なると云うことです。「批判」ですと、具体的な対象がいますが、「逆張り」だと具体性がなく、漠然としたイメージが先行します。後藤は「従来のリベラル」との差異化で、「若手」の論客たちが「自分たちは新しい存在」と云うことをアピールしたかったのではないかと批判しています。



 後藤さんが指摘している「逆張り」はかなり根深いものがあり、安冨さんが同書の中で指摘した「東大話法」と瓜二つです。実は、與那覇潤さんの『知性は死なない』で、言論人としてデビューしたとき、周囲の同年代の言論人たちの間で「左だと思われたら、終わりだと云う空気があった」と述べています。後藤さんは「アンチレフト」と云う言論文化が支配的であったからこそ、安倍政権が長期化したのではないかと述べています。

 第5章で、「オカルト」と「原発推進」が根底ではつながっているのではないか、と云う分析で、私が想起したのは安倍昭恵さんでした。安倍昭恵さんは原発に反対で、TPPにも反対しています。一方で、森友問題で注目されたように、右派的な価値観にも共感を持っています。一見すると、相矛盾するような思想を持っているように思えますが、実は本人の中ではつながっているのではないかと云う指摘があります。政治学者の中島岳志さんは「自分とは何か」と云う問いから「スピリチュアル」と「愛国」に接近したのではないかと述べています。


 まさにそれは同書の中で安冨さんが批判的に述べていた「神秘」「語り得ないもの」を語ろうとする行為なのではないかと思います。



最近、熱いですね。