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「いい子」とは何か?

「いい子になんかなるなよ」
これが僕の育った時代のスローガンだった。

「大人は嘘つきだ」「奴らに服従したら終わりだ」・・なんて。
当時の漫画やドラマや歌謡曲にはそんなメッセージで溢れていた。

80年代後期にはそんな若者の抵抗も薄れていくのだけど、僕と同世代の尾崎豊は最後まで「大人」に抵抗していた。
彼は「学生運動の最後の花火」みたいに僕には見えた。

その後、尾崎豊はあっけなく死んで、チェルノブイリが忘れられ「不良」は劣化してDQNとなり、大人への抵抗は「中2病」と冷笑され、戦後日本の「思春期」は終わった。

その後の日本社会は、若者が「不良」になる余裕さえなく、バラバラにされた個人はそれぞれの「生存戦略」に迷い、結果的に「公務員」や「外資系」あるいは「上手く儲けてる(かに見える)新自由主義のカリスマ」などに向かった。

もはや「危うい自由」なんかより「組織内での地位向上」の方が現実的な生存戦略だ、という時代になって久しい。

つまり「いい子」になるしか生きられない時代になったのだ。

いや・・そういう雰囲気が蔓延しているのが今の日本ということだろう。

「いい子」でも「満足のいく闘い」ができない。
かといって「不良」では生きていけない。

そんな中で「報われない、いい子」が日本中に溢れている。
みんな不安で泣いている。

僕にはそう見える。

【いい子とは何か?】

しかし、そもそも「いい子」とは何だろう。

かつての「いい子」のイメージは「大人の言いなりになっている人」だったと思う。

「こうすれば大人に褒めてもらえる」というのが1番大事で「自分の考え」はない。

そんな人達を当時「いい子ちゃん」とか呼んでいたのだ。

勘のいいヤンサンファミリーの人ならもう気がついたちと思うけど、そうです。

「いい子たちの世界」が描かれた「ワールドトリガー」では何度も「自分で決めるんだ」というセリフが出てくるのです。

主人公の1人「遊真」の父は「正解は1つではない」と言い「親の言うことを信じるな」とも言っている。

つまり「自分で決めろ」と言っているのだ。

それは、あの頃の「いい子ちゃん」になるな、という意味でもある。

【どんな抵抗が可能か?】

自分で決められない「いい子」は抵抗もしないので、世の中が劣化して理不尽に苦しめられても何もできない。

「自分1人が何をしても意味がない」と思わされていたりする。

でも、本当に何もできないのだろうか?

「投票」くらいはできるだろう。

そんな「投票には意味がない」「効果もない」「応援する政治家もいない」とかつての「いい子たち」は言っていた。

「いい子たち」は政治の話をしない。
「反抗」も「抵抗」もしない。

その間に消費税と保険料はバカみたいに上がって、社会保障費と法人税が下がっている。

11兆もの税金が「よくわからない誰か」に勝手に使われている。

海外では禁止されている添加物や農薬がガンガン入ってくる。
マスコミは政府の広報機関みたいに成り下がってる。

【バイクは盗まなくていい】

それでも僕らは「いい子」を続けていていいのだろうか?

何も銀行を襲撃したり、盗んだバイクで走らなくてもいい。

無茶苦茶な政治をした「今の与党」ではない政党に投票すればいいだけだ。

それでもどこを選んだらいいかわからなかったら、少なくともこの殺人的な「消費税」に反対している政党を選んだらいいと思う。

それがたとえ「死に票」になっても、その行為は無駄ではない。
「自分は抵抗した」という事実は、この後の社会に地獄が来ても「やれる事はやったのだ」と、自分を責めないですむ根拠になるのだ。

自分で決めよう。

自分と大事な人達のために。


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