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砂の城

彼女は、澤井ゆかり。45歳のシングル。お酒も飲まない、タバコも吸わない、お洒落やメイク、ブランド品にも疎く、二十歳の時にチェック柄と土星のようなモチーフが気に入って買ったヴィヴィアンウエストウッドの財布を20年以上使い続けている。
人並みに恋もし、結婚を考えた人もいたけれど、なぜか、2人になることが幸せではなく窮屈と思ってしまう。
だからといって、愛だの情がわからないわけではなく、逆に溢れるほどの優しさと愛にあふれるひと。
しかも、仕事は順調、貯金もたっぷりあり、腹を割って話せる親友もいる。何でも自分で考え決断出来るのし、1人でご飯も食べられる。そうなると甘えるだけのパートナーは必要なく、可愛い甥っ子がいるから溢れる母性の行き先だってある。

世間ではそんな40代を負け犬だの、終わってるだのいうけれど、彼女は道行く誰よりも楽しく、自分らしく幸せに生きている。
時折訪れる寂しさや孤独との付き合い方も心得てる。
ただ、恋をすることを卒業しただけのこと。
ただ1人でいるのが心地いい。
それだけのこと。
これが彼女のストーリー。

そんなある日、彼女の前にずいぶんと年の離れた青年が現れる。
彼は29歳。容姿端麗、頭脳明晰、なんとも言えない魅力的なオーラを放っているけど、子犬のような人懐っさと、ふっと見せる美しい横顔がとても印象的な人だった。
そんな彼がまるで一目惚れをしたかのように愛を語りだす。
突然繰り広げられる出来事に、
「何の罰ゲーム?」
「新手の詐欺なの?」
と、口に出してしまった。
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そして彼にもストーリーがある

東京のオフィス街にある小さな洋食屋。誰もが懐かしさを感じる古き善き雰囲気を残すこの店は、週に数回、わずか3時間しか営業しない。

そんな店にいつも一人の女性が来店する。
彼女はお気に入りの窓側の端の席に座り、必ずオムライスを注文する。
オムライスが運ばれるとパチパチと写真など撮らずにスッと両手を合わせ
「いただきます」
と言う。
そして美味しそうにオムライスを頬張っていく。
その姿を厨房から見ている一人の男性がいる。
それが彼だ。
頭脳明晰な彼は学生時代に会社を立ち上げ、どんどん大きくしていき今は時代の波に乗るベンチャー企業の社長である。
そんな彼がなぜ小さな洋食屋の厨房にいるのか。

彼は幼くして両親を失くし親戚の家で育てられた。そう聞くと不幸な生い立ちのように思えるが、叔母の家で1つ年上のいとこと兄弟のように育ち、叔母夫妻を親のように慕い、その後産まれた妹と本当の兄弟のように、温かい家庭で幸せに育ってきた。

今や社長となった彼が洋食屋にいる理由。
それは天国の母親との唯一の思い出を守るためである。
彼の記憶に鮮明にある母親との思い出は、食卓でオムライスを前に向かいあい、手を合わせ声をそろえて
「いただきます」
と言って頬張る幸せな瞬間だった。
そんな幸せのオムライスを作り、母親を感じる時間のために彼は厨房にいる。
わずかな営業時間の中でたくさん訪れるお客様の中で、唯一彼女だけが「いただきます」と、手を合わせ、幸せそうに頬張るその姿に、どこか母親の面影が重なる。
そんな彼女に興味を持ち、いつしか視線が彼女を追い続け、もっと知りたくなっていった。彼女が自分の会社の向かいのオフィスビルに勤めていると知れば、彼女の退勤時間に合わせて待ち伏せし、絶妙な距離感で最寄りの駅まで歩いたこともある。
彼はその後も、近くのcafeで背中越しに座ったり、電車で向かいに座ったり、彼女を見続けていた。

そして彼はついに行動に移す。

自分の会社と彼女の会社とのコラボレーションを企画し、社長として彼女の前に現れる。いつも通り名刺交換をし、よろしくお願いいたします。と挨拶をした彼女に

「こんにちは、ゆかりさん。あなたに会いたかったですよ。」

そう言いながらいきなりハグをしてくる彼の行動に、フリーズしてしまった。彼女にとっては初めましての社長なのだから「?????」なのは当然のこと。デスクに戻り冷静になってやっと名刺に目を落とす。

「桜井春馬」

風変わりな青年のこの名前がなぜか脳裏に刻まれていた。
初対面からアプローチしてきた彼は、その後も毎日のように愛を語り続け、
純粋な彼の一言、一言に、乾いた心が一滴、一滴と瑞々しさを取り戻していき、真摯でまっすぐな想いに、忘れていた少女のようなときめきを呼び起こされた。
けれど、先に生まれた・・・。ただそれだけなのに、きっと彼の未来を奪ってしまうだろう。「何かの罰ゲーム?」「新手の詐欺かも?」「ただの暇つぶし?」と自問自答したりして、悩みに悩み抜き立ち止まろうとする反面、心が彼を求めてしまう。
慎重な彼女でさえも彼を愛するのに時間は必要なかった。真っ直ぐな彼の思いは、倫理や秩序というブレーキをかける彼女の檻をぶち壊す。

もう恋をすることなんて無いと思ってた。
誰かにときめいたり、ドキドキすることも無いと思ってた。
乾いていた心に、通り雨が降る。満たされていく自分を愛しく感じる。
ならば、誰も認めてくれない愛だとしても、たとえ悲しいエピローグが待っていようと、これもきっと赤い糸なんだと禁断の果実を口にする。
罰を受けるのが自分ならそれで構わないと。

そんな満身創痍の彼女に追い討ちをかけるように、世間が彼女を断罪する。まるで大罪を犯したかのように。
ある人は、騙されてる、何か裏がある。
ある人は、若い男に溺れた恥知らすだと。

それでもこの愛を貫くことを決める。たとえ2人の未来が風に吹かれ脆く崩れる砂の城のようだとしでも。
繋いだ手の温もり
抱きしめられた腕の強さ
唇から伝わる熱い思い
抱かれるたびに知る本当の幸せ
その全てを信じてゆく
ただ人を愛しただけ。
それの何が悪いんだと。
そうして彼女は世界一幸せで、愛される罪人になる

彼にとってはかけがえのない愛。
でも、彼女にとってはきっと罰を受けるだろう愛。
たとえ形や思いが違えどこれも純愛である。
決して繋いだ手を離さないことが、気まぐれなアフロディーテへの復讐になるだろう。

「 あなたにとって彼はいったい何なのか?」
いつか神にそう問われたら、迷わず私はこう答えるでしょう。

【 共に生きたい人ではなく、一緒に死んでもいい。
そう思える唯一のひと】だと。

そう書いた日記を閉じて今日も彼に逢いに行く。彼が好きなルージュをさして、お気に入りの靴を履いて。
真っ白なページが彼色に染まり続けるように。
あと何回この瞬間があるかなんて考えたりしない。

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