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Le Laboの歴史と成長背景

今回は、Le Laboの歴史と成長背景について簡単に調べてみました。
Le Laboは2006年に、エディ・ロスキーとファブリス・ペノによってニューヨークで誕生した100%ヴィーガンで構成されているラグジュアリー香水ブランドになります。2014年にEstée Lauder Companies社(エグゼクティブ・グループ・プレジデントのジョン・デムジーが買収責任者として)によって6,000万ドルで買収され、現在は、Jo MaloneやTom Fordなどの他のフレグランスブランドを統括しているEstée Lauderのグループ社長であるジョン デムジーによって統括されているブランドとの1つとなっております。

創業者のエディ・ロスキーとファブリス・ペノは、Le Laboを創業する以前からフレグランス業界では有名でした。2人とも、元々ロレアル社のアルマーニの香水部門で同僚だったのは有名な話です。

エディ・ロスキーは、大学では化学工学を学んでいたこともあり、学位取得後は、楽しく、化学に関係していて、薬を使わなくても良い仕事をしたいと思っていたことから香水製造に興味を持ち始めました。偶然にもジュネーブのフィルメニッヒで友人が働いており、フィルメニッヒに話を聞きに行ったところ、ロスキーの化学工学のバックグラウンドを持っていることを気に入られ、そのまま入社しました。一方で、ロスキーは製品開発部門ではなく、アカウント・ディレクターとして販売部門に配属されました。北アフリカと中東市場(スーダン、シリア、アルジェリアなど)を担当し、主に粉末洗剤、柔軟仕上げ剤、シャンプーなどの機能性香水で構成される製品を担当しました。その後、MBAを挟み、ロレアルへ転職し、ジョルジオ・アルマーニの香水部門に配属されました。アルマーニの香水部門で、元々フレグランスメーカーのシムライズで働いていたもう一人の創業者であるファブリス・ペノと出会いました。

2人は、アルマーニの香水コンセプト全体を開発していました。クライアントと共有したいストーリーを特定することから始まり、ボトルのデザイン会社や香水の調香師へのブリーフィング、そのストーリーがジャーナリストにどのように伝えられるかを想像し、販売店や流通チャネルに設置するまで、何もないところからビジョンの言語化、ボトルの製造と販売までを担ってました。

一方で、アルマーニでのクリエイティブな自由のなさに息苦しさを感じた2人は、2006年に独立し、Le Laboを立ち上げました。ペノとロスキーは 、10万ドルの自己資金に加え、4人の友人から3万ドルを借り、ロッシーが住んでいた1Rに引っ越しソファでの寝泊まり生活から始めました。結果、最低限のコストで生活しつつ、香水業界向けのコンサルティングでキャッシュフローを稼ぐことで、マンハッタンに店舗を構えるまでキャッシュが貯まりました。ただ、少しでも香水に投資を行いたかったこともあり、本来であれば、店舗設計を行うために、建築家や業者に20万ドルほどの支払いが発生するはずだったところ、ニューヨークのル・ラボ1号店の内装は自分たちで行ことでコストを抑えたそうです。

また、店舗デザインは、エディと私は、工業デザイン、香水、そして日本の哲学である「わびさび」(無常の芸術)への愛を融合させるといった世界観で設計しているそうです。

NY1号店(https://tile-park.com/wpcms/?p=7446)
NY1号店(https://tile-park.com/wpcms/?p=7446)

香水製造は、確立するのが容易なビジネスではなく、市場は飽和状態にあり、競争は激しく、ニッチなブランドにとっては口コミが成功の鍵を握る市場です。ソーシャルメディアが爆発的に普及する前の2006年、マーケティング予算を持たないという選択はリスクと言われてましたが、ロッシーとペノは、ネットワークさえあれば、適切な調香師(かつて所属していたシムライズとフィルメニッヒから)、適切な場所(マンハッタンのトレンディな地区、ノリータに店舗を構える)、適切な報道(『W』誌にオープンを取り上げた独占記事)を得ることができ、ブランドをヒットさせることができることを確信してました。フレデリック・マレのような高価な香りのメゾンが、ジョー・マローンのように主成分の名前を冠し、イソップのようにスタイリングされた店舗で販売され、ヒップスターとニッチのハイブリッド・メゾンを創り上げました。

2006年のル・ラボの最初のオープンのために、フィルメニッヒの調香師フランク・ヴォエルクルとサンダルウッドの香水を作りましたが、どの処方にも満足できませんでした。その代わりに、このサンダルウッドの香りの下書きを使い、キャンドル「Santal 26」を作りました。最初の2、3年は、このキャンドルが売り上げの70%を占めていたようです。

二子玉川店舗で撮影

ふたこその後、配合を見直し続け、9つの香りを開発しました。その中で、ROSE 31は突然ベストセラーになりました。このフレグランスは、彼らの初期において象徴的なフレグランスであり、当初からブランドの評判を確固たるものにしました。非常にアンドロジナスな種類のローズで、繊細でありながら遍在し、非常に長持ちし、男性にも女性にも反応します。ブランドを発展させ、新しい店舗をオープンし、クリエイティブな自主性を守る手段を与えてくれました。

遂にはろうそく依存の経営から脱却し、本来目指していた香水ブランドとして、売上の約60%を占めるまでにローズ31はブランドに貢献しました。今日に至るまでベストセラーのひとつです。その後、「少し深みのある、より快適なものを目指し、配合を重ね、Santal 33が登場しました。

HP

Santal 33は、アメリカのカウボーイの神話にインスパイアされた香りです。ユニセックスを売りにしている香水と香水メゾンにしては、説明文は男性的な方向を大きく指し示しており、タバコ、焚き火、カウボーイのサドルの革など、火と煙を連想させるものになっています。ベースノートはカルダモン、アイリス、バイオレット、アンブロキサン、シダーウッド、オーストラリア産サンダルウッドなど。オーストラリア産サンダルウッドこそが、Santal 33を他の香水にはないものにしているのです。

サンダルウッドをクリーミーでミルキーなベースノートとして伝統的な役割を果たす代わりに、Santal 33はオーストラリア産サンダルウッドのドライでシャープな性質とシダーのドライさを組み合わせ、バイオレットリーフの厳しさを拡張し、香りに特徴的なシラージュを与えている。サンタール33の天才的なところは、サンダルウッドをソフトな要素ではなく、ハーシュな要素として使っていることだ。このノートに見事なひねりを加え、マイソール産サンダルウッドが絶滅の危機に瀕してから、再び収穫できるようになるまでの待ち時間のスナップショットとなっているのです。

また、これを作り上げたのは、同社の当時の調香師であるフランク・ヴォエルクルです。ヴォエルクルは、他にもBaie Rose 26 Chicago、Benjoin 19 Moscow、Iris 39、Limette 37 San Francisco、Musc 25 Los Angeles、Tabac 28 Miami、The Noir 29 、 Ylang 49など多くの同社ブランドの調香を手掛けてきました。

2019年になると、Santal 33に対する潮目が変わり始めました。カルト的な人気からメインストリームの成功へと成長する商品と同じように、無骨なクールさから完全にベーシックになった香りというような名前の記事が出始めたのです。かつて都心のプロフェッショナルの代名詞だった香りは、今では学校の下校時に母親から、食料品店のレジ係から、地球上のあらゆる朝の通勤時間帯の満員電車の車内から香るようになり、より多くの層に受け入れら始めました。今となっては、Santal 33と、キャンドルベースのサンタール26は、現在の売上の少なくとも3分の1以上を占めていると言われるほど、代表的な製品になるまで人気となりました。


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