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【タロット記10】掴んだ手を離すにはまず気づかなきゃ

■タロット記■

これはタロットカードと、自分の体験と、そこから気づいたことの記録です



「10.運命の車輪」から考える

どうして自分の行動パターンがわかっているのに、同じ過ちをしてしまうのか…

そう思ったことはないでしょうか?
私はしょっちゅうです

たとえば、

やめたほうがいいのについお酒飲んじゃうのか
甘いもの控えた方がいいのに食べちゃうとか

あとは、

わかったつもりになって人に確認しないとか
できると思い込んで自分1人で対応しちゃうとか

他にもいろいろありますが、こういうなんかいっつもおんなじような失敗とかヘマとかって、やった後には気づくのに、その最中にはなぜか気づかない

どれもこれも私の場合、自分の目先しか見えていないから
一歩引いたところから自分を観れていないから、です

「適応障害」だとわかってからも、その失敗パターンを私はまた重ねようとしていました

それが、

体調悪いから休むしかないないのに、別のところでとりあえず稼げればなんとかなるかもしれない…という訳のわからない思考です

もちろん、

なんともなりません

はたから見ても休む時だとわかるのに、至って私は本気でどうにか動けばどうにかなると思い込んでいました

そういう癖のような思い込みや、繰り返してしまう悪しきパターンの裏にあるのは、そのどうにもならない状況に身を任せたくないという悪あがきです

仮に、出口のない迷路に入ったとします
迷路の中にいる私は出口があると思っているので、出口を探そうと躍起になるでしょう

でも、その迷路を上からも見れていたとしたら?

出口がないことに気づいて、出口を探すことをあきらめるでしょう
だって疲れるから

自分を一歩引いて俯瞰して見れるというのは、

必要な「あきらめる」も選べるようになるということです
逆に、無駄な「執着」を手放せることにもなります

私が「適応障害」になっても持っていたのは、無駄な「執着」でした
手放すには勇気や覚悟が必要でした

でも、手放した今だからわかります

手放したから、新しい選択肢が増えました
手放したから、新しい自分になれました

きっと「執着」したまましがみついていたら、今こうしてこれを書いている私はここにいないでしょう

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