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【タロット記8】駄々っ子?いえ、もはやクレーマー

■タロット記■

これはタロットカードと、自分の体験と、そこから気づいたことの記録です



「8.力」から考える

■頭隠して尻隠さず状態の心のライオン

私にとって「力」のカードは、「自分はこう思ってたんだ!こうしたかったんだ!」を気づかされることの多いカードの1枚です

普段私は、大人になろうと本音を隠して生きています
でも実は私の中に隠しきれていないライオンが住んでいます

ひっくり返ってお菓子が欲しいと泣いて暴れたり
帰りたくないと大声で店内で泣き叫んだり

子どもの時はすぐこのライオンが姿を現していましたが、大人になるとそれを隠して「大人のフリ」をするようになりました

ただこの「大人のフリ」というのがよくない
「よくない」というのは、フリなので全部隠しきれてないから…ということで

頭隠して尻隠さず状態のライオンがいるということです
というか、隠すことなんて私にはできないんです

■そもそもライオンとはなんなのか?

草薙龍瞬さんの『反応しない練習』を読んだ時、私はライオンの姿を見た気がしました

人間の心の状態は「二者択一」です。私たちの人生は、「快か不快か」の二つの間を揺れ動きながら、進んでいくのです。

「反応しない練習」/ 草薙龍瞬

 ― 喜びや楽しさ を感じている心の状態が「幸せ」です。
不快 ― 怒りや恐れ、満たされなさや不安など を感じている心の状態が「不幸」です。

「反応しない練習」/ 草薙龍瞬

この心の状態で「幸」「不幸」を定義できると著書には書いてあります
人は「幸せ」になりたくて「快」を感じようと、両者の間で揺れている、ということです

書籍には、幸せになりたいなら「快の反応」
不幸になりたくないなら「不快な反応」をしないよう努力しようとありました

つまり、「快の反応」を大事にしようということです

では、「快の反応」を大事にするとは、具体的にはどうすることでしょうか。
生き物が快を感じるのは、欲求が満たされた時です。

「反応しない練習」/ 草薙龍瞬

ようするにライオンとは、生まれた時から私の深部にある
「快の反応」を求めるために「欲求を満たしたい」という気持ちであり

生きるために必要な「本能」ということがここからわかります

お腹が空けば泣いて不快を訴え、それが満たされれば快を感じて満足する
赤ちゃんの時から一緒に育ってきているのがライオンなのです

■ライオンと共存して歩き続きける道

だから、欲求を素直に、否定することなく、満たしてあげることが、幸せへの近道ということになります

「反応しない練習」/ 草薙龍瞬

とある一文の、「欲求」を「ライオン」をに置き換えるとわかりやすいと思います

私の中のライオンはしょっちゅう「認められたい」と訴えています
いわゆる「承認欲求」です

誰かに自分の何かを認められることは、私にとっては大きな自信になるし活力にもなります

でもそれがなくなると、逆のことが自分に降りかかります
自信をなくし、活力も枯渇していきます

これをうまくコントロールする方法として、「ライオンを手懐ける」という象徴がこの「力」のカードには描かれています

Smith-Waite Centennial Tarot Deck

私がよく思う「人からよく見られたい」「褒められたい」「評価されたい」という気持ち
その根本にある「承認欲求」も活かし方次第ということです

「ライオン」を懐かせて私が主導権を握り
その先にある「快」を感じるために、やる気や活力にしていくこと
それを書籍の中ではこう言います

欲求を生きるエネルギーに変えて「快」を感じるのは、合理的です。

「反応しない練習」/ 草薙龍瞬

こうして私がイラストを描いたり文章にして自分の気持ちを発信して
それを「褒めて」もらえたり、「評価」してもらえたりする

そうすると私は「快」を感じて「幸せ」を感じる
そこで私は「これが私なんだ!」と改めて実感できる

だからもっと描こう、伝えようと思う
この時の「ライオン」は大人しく「猫のようなライオン」になっています

でもそれをせず、自分の気持ちを内包したままでいると
静かに寝ていたはずの「猫のようなライオン」がだんだんと声を荒げ
しまいには暴れて手の付けようのない「凶暴なライオン」へと変化します

ただ子どものように駄々をこねるだけならまだ可愛いものですが
店員に理不尽に大声で怒鳴り喚き散らすクレーマーになったら面倒です

さらにこじらせてしまったら、もっと扱いが難しくなってくるので
そうならないよう「猫のようなライオン」にしておきたいと、私は常々思っています



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