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【体験談:不登校】【+タロット視点】中学生の頃の息子の不登校から解決までの道のり③
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私の中で死んだもの
心療内科に言って話を聞いてもらい、そこまで体調面にはまだ症状が出ていないこともあったので様子見となり何かあったらまた受診して、ということでした。
息子が思うようにならないこと、自分の気持ちも自分でコントロールできないこと、学校にも心配をかけているし、もしかして不登校になった原因は自分にもあるかもしれない…
「もしかしてひとり親だからか?」や「私の勝手で息子を振り回してきたせいかも」など、自分のせいかも…
などなど、色々なことがめぐって、にっちもさっちもいかなくなっていました。
そんな頃でした。
偶然、息子のスマホの画面が開いたままになっていた画面を見た私は、それを見て硬直してしまいました。
〈 死にたい 〉
そこに投稿された一言。
サーッと背筋が寒くなり、心が凍り付いたようでした。
恐る恐る、その投稿を少しスクロールしてみると、そこにはネット環境に対する不満が書かれた投稿があり、その続きの言葉のようでした。
当時我が家はポケットWi-Fiのみの通信環境の中で、息子はオンラインゲームをしていて、当然「ラグい」(動きが悪い)ので、しょっちゅう不満をもらしていました。
それを知って少しホッとした私は、その時思いました。
(もし無理矢理学校に行かせて、息子があまりに嫌すぎて生きることすらも放棄したら…)
…そんなの絶対に嫌だ!!
息子が「いない」ことになるくらいなら…
学校なんかどうでもいい!!!!!
そう思った瞬間、私の中にあった「学校は行くもの」という価値観は死にました。
![](https://assets.st-note.com/img/1715602081200-xv9h1G6TmS.png?width=1200)
タロットカードの「死」というカード。
この概念は、古いサイクルから次のサイクルへ移行する、ちょうど境目のようなものです。
これまであったものが終わりを告げられて死んでいく世界です。
ですが、死のその向こうにあるのは明るい兆しです。
「死」という言葉が「無」を連想させしまいますが、「死」を「受容」と捉えてみることで、それは終わりではなく続いていくもののつなぎ目であるように思えてきます。
■慢性期
不登校の「混乱期」から「慢性期」へと移っていく時に一番大事になってくるのが、周りが本人を受け入れる…というところだそうです。
周り、つまりは一番近い存在の親が子どもやその状況を受け入れる。
そんな周りを見ることで、本人も不登校の自分や状況を受け入れて自己受容できて安心する。
そうなることで、ゆっくり回復に向かう準備のサイクルに入るということです。
奇しくも私が不登校を受け入れたきっかけは、息子のつぶやきを勘違いしたことでした。
私が思った意味合いではなくてホッとしたものの、もしそれが現実になるくらいなら、「不登校でいい」と心底思えてすんなり受け入れることができました。
あの時、息子のつぶやきを見ていなかったら、私はなかなか「不登校の息子」を受け入れることができず、私も息子もお互い苦しいまま、「混乱期」が長引いていたと思います。
「慢性期」に入った私たちは、もう登校することにこだわることがなくなっていました。
中学3年に進級してから、息子は一度も教室には上がりませんでした。
学校にも行きませんでした。
息子は毎日家でダラダラ好きに過ごしていたし、私ももう何かを言うことはなくなりました。
なぜなら、息子が家にいてくれるだけで充分と思っていたからです。
毎日顔を合わせて、たわいのない話で笑って、一緒に猫を撫でて、また笑う。
息子の笑顔が見れるから、それだけで充分だと思っていたからです。
■回復期
高校3年生になり、高校受験の話が学校から伝わってくるようになりました。
私は高校だけは卒業してほしかったので、息子が行ってもいいかなと思える高校を探しました。
ゲームが好きな息子の興味を惹く、とっておきのもの
それは…
「eスポーツ部」でした。
市内に「eスポーツ部」があるのはこの高校しかなく、登校制のこの通信高校の話を6月頃に息子にすすめ、学校見学にも行きました。
本格的なゲーミングパソコンを見て、気持ちは通信高校に向いたようでした。
それから同級生たちが受験準備を始める頃。
同じく、息子も面接練習だけは担任とする必要があるため、年末頃から毎週金曜日の放課後に学校に行きました。
私は1時間だけ早く仕事を上がらせてもらい急いで帰宅し、息子を学校に連れていく…というのを1か月半ほど続けました。
家でも一緒に面接の練習をしたりして、息子の気持ちも前向きに変わっていました
試験は面接と簡単な作文だけというもの。
それでも緊張した様子の息子でしたが、無事合格し高校入学へとこの先進んで行きます。
毎日家にいた生活から変化していき、高校は週2日登校しながら、バイトを始める、新しい生活スタイルになっていきました。
つづく・・・
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