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珈琲「さんぽ」のお冷グラス

明日香村をサイクリングしていて、お昼をすぎたころに岡寺ちかくの珈琲店に入った。

珈琲「さんぽ」、いい名前だなぁと思う。

あいにくランチは完売していたので、デザートとホットコーヒーを注文。お水を飲もうと、机上に置かれたグラスを手に取り、わたしは驚いた。

これは、わたしが思い描いた、理想のコップそのものじゃないか…。

わたしの手は、人曰く、子供のように小さい。さすがにそんなことはないはずと思っているものの、同じ成人女性の手と大きさを比べても、たいていひと関節分くらい小さい。掌が小さいのか指が短いのかについては、深く考えないようにしている。

こうも小さいと、世間で見かける一般的な規格のものを手の中に収めることができない。町の食堂で出てきそうなシンプルなお冷グラスでさえ、わたしの手には少し大きいのだ。マグカップなんてもってのほかで、コーヒーカップよりもさらに一回り小さいくらいがちょうどいい、そんな感じ。

そしてわたしは心配性だ。普段使いの食器には、ある程度の雑さを許容してくれる、頼もしさがほしいと思っている。ふんふんと機嫌よく洗い物をしていて、うっかりかけたり、割れたりしまったらどうしよう。そんな不安を感じさせない安心感。うすくて繊細な素材や、デザインに凹凸があったりするものは、憧れはするものの、わたしは恐々としてしまう。とはいえ、いかついよりも、かわいらしさのあるたたずまいであってほしい。


手の小ささと心配性に、フィットしてくれるガラスのコップはないものか。

ちいさくて、ちょっと厚くて、それでいてかわいらしいもの。

それを思いがけず、見つけたのだ。
私のコップだと思わずにはいられなかった。


どきどきしながら、店員さんに尋ねる。

「このコップ、とってもすてきだなと思って…購入できないでしょうか」

お買い求めいただけますよという返事に、聞いておいてびっくりしてしまった。そのグラスは、隣接する硝子工房「さんぽ」でつくられたもので、ひとつひとつ格好や表情が少しずつ異なっていた。無色、透明で、底にささやくような文字で「さんぽ」と書かれている。

「さんぽ」

「たくさんあるので、選んでいただけますよ」

工房から、未使用のものをいくつも持ってきてくださった。あえてコップと呼びたくなってしまう、お冷グラス。わたしはうんと時間をかけて、そのなかからひとつを選んだ。

わたしのコップ

頭のなかで思い描いたものに、思いがけず出会うことがある。そういうときの買いものは、たまらない気持ちで、買ったばかりのものをだきしめたくなってしまう。そして、早く日常のなかに置いてみたいと、待ちきれない思いになる。

生活にとけこんでいくにつれて、
コップは景色まるごと思い出になっていった。

水を飲み、牛乳も飲み、紅茶も、ビールも飲む。
じぶんにぴったりのコップがある。そのことがとてもいとおしい。

お水を飲む、すこし手前


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