見出し画像

<日曜の朝は…>

*この記事は「脱サラをする前に」というサイトから転載したものです。

僕は毎週日曜の朝はフジテレビの「はやく起きた朝は…」という番組を観ることからはじまります。この番組は磯野貴理子さん、松居直美さん、森尾由美さんのお三方が視聴者からのハガキを読みながらトークを繰り広げる番組ですが、かれこれ20年以上は観ていると思います。我が家のテレビチャンネル権は妻が100%握っていますので、要は妻が好んでいることが理由ですが、なんと言っても番組が30年続いているのはすごいことです。

この30年の間にはお三方それぞれに個人的な環境変化もありましたが、そうしたことを乗り越えて続けていることは賞賛に値します。僕に関しますと、毎週必ず観ていたわけではなく、仕事の都合で観ることができなかった期間もありました。ときには1~2年も観られない時期もありましたが、そうした状況を乗り越えて今現在も楽しく観続けていられることは、やはり素晴らしいことです。

しかし、正直に言いますと、初めの頃は今ほど好きではありませんでした。理由は、お三方の関係性が今一つスムーズに感じられなかったからです。番組上のキャラもあったのかもしれませんが、松居さんが強気で押しが強い性格に対して、森尾さんが一歩引いて遠慮しているように感じていました。その二人の関係を磯野さんが「取り持っている」という感じです。つまりは、まだ3人全員が上っ面で接し、本音でつきあっていないように見えていました。

そうした印象が消えたのは磯野さんが大病をしたあとです。磯野さんは病気のあとに離婚をなさっているのですが、そうした環境の変化が3人の心の壁を取り払ったように勝手に推測しています。やはり無理をしているように映る雰囲気よりも自然な振る舞いに見える関係性のほうが視聴者からしますと心地よいものを感じます。

「はやく起きた…」が終わったあとは「ボクらの時代」へと続くのですが、この番組もはじまってから17年くらい経つようです。「ボクらの時代」もやはり3人の出演者がトークをする番組ですが、「はやく起きた…」と異なるのは毎回出演者が違っているところです。テレビや映画などの宣伝のことも多いですが、知り合いの3人が話している雰囲気はとても好感です。

3人の関係性が旧知の間柄のこともあれば、出演作で初めて出会ったというケースもあり、どちらにしてもそれぞれ観ていて楽しいものがあります。僕が一番印象に残っているのは、不倫でお茶の間を賑わせた東出昌大さんがまだ純真で売っていた頃に一緒に出演していた、まだ大麻で逮捕される前の伊勢谷友介さんに環境問題について尋ねている場面です。なぜその映像が記憶に残っているのか自分でも不思議なのですが、真面目な東出さんと社会貢献に励んでいた伊勢谷さんが印象的でした。

「ボクらの時代」が終わったあとは報道番組「日曜報道 THE PRIME」を観ます。かねてよりフジテレビは保守系と言われていますので、保守の論陣を張る方がゲストのことが多いのですが、僕は8時からTBSの「サンデーモーニング」を観ますので、その比較、対比という意味で参考にしています。

あくまで僕の個人的見解ですが、「サンデーモーニング」はどちらかといいますとリベラル系と思っていますが、同番組は2015年に「放送人グランプリ」という賞を受賞しています。その際にMCを務めていた関口さんは「28年前に番組が始まった時から、中庸の精神で真ん中のつもりでやってきましたが、いつの間にか、左の方にいた番組がなくなって、一番左みたいになってしまいました。でも、最初の思いは変わっていないつもりです」と語っています。中庸を目指しているのが僕が好感している理由です。

「サンデーモーニング」は3月にMCの交代があり、関口宏さんに代わって膳場貴子さんがMCを務めています。ネットではいろいろと言われていますが、今のところそつなく務めているのではないでしょうか。MCが膳場さんに代わってからパネラーの顔ぶれも変わっているのですが、実はもっとシンプルな変化を感じています。

それは、パネラーの席の間隔が以前よりも狭まっていることです。おそらく膳場さんに向かって右隣に新たに男性キャスターが座ったことの影響だと思いますが、パネラー間が近いと一人のパネラーが話しているときに隣の席のパネラーの腕や肩が映ってしまうようになってしまいました。大したことではありませんが、最近はそれが気になっています。

膳場さんの隣に男性キャスターが座るようになった理由は、膳場さんがスポーツに詳しくないからだろうと思います。この番組は後半でスポーツコーナーがあり「喝!」と「あっぱれ!」が人気を博しています。当然スポーツコーナーではMCはコメンテーターとやりとりをすることになりますが、スポーツに詳しくなければコメンテーターとのやりとりもうまくできず、「喝!」や「あっぱれ!」のタイミングなども難しくなります。それを補佐する役割の男性キャスターだと思います。

この番組には必ず重鎮的な役割を果たすパネラーがMCの一番近い席に鎮座しているのですが、だいたいにおいてその席に座る人は決まっています。最近では寺島実郎さんが隔週に座り、そのほかには元法政大学学長の田中優子さんや元外務省事務次官の藪中三十二さんなどが座っています。そして、パネラーの最後はニュースキャスターの松原耕二さんとジャーナリストの青木理さんが交互に務めています。

それ以外は交代でいろいろな方が出演しているのですが、本日は少しばかり畑違いと思える方が出演していました。シンガーソングライターの加藤登紀子さんだったのですが、畑違いの方が出演しますと、見ているほうも少しばかり緊張してしまいます。「的外れな発言をするのではないか」と心配するからですが、加藤さんに関しは杞憂でした。シンガーソングライターの立場から的確な発言をしていたように思います。

ですが、僕からしますと一つだけ、朝ドラの「虎と翼」の主人公ふうに言いますと、「はて?」と思う発言がありました。ウクライナやガザの戦争に関連する発言でしたが、その中で「戦争に勝利者などいない」「戦争を終わらせた人が勝利者」と話していたことです。

僕はあとのほうの「戦争を終わらせた人が勝利者」という言葉に「はて?」と思ってしまったのです。加藤さんは先の戦争の日本の状況も含めて「最後まで戦い抜く」という考えに疑問を呈し、その考えが「被害を拡大させる」と持論を述べていました。しかし、最後まで戦い抜かった場合、敗戦国の国民は未来永劫戦勝国の思いのままに生きていかなければいけないのです。「戦争を終わらせるため」に敗戦を受け入れたあとの暮らしへの想像が欠けているように思えてなりません。

先の戦争において、日本は民主主義国家の米国に占領されたからよかったものの、仮にソ連に占領されていたなら現在のような自由な暮らしは望めなかったでしょう。冷戦終結後にソ連の同盟国がこぞって西側に入ってきたのを見ていますと十分に想像がつきます。ほぼすべてのソ連同盟国が西側への流れ込んできたのは、いかにソ連同盟国の暮らしが苦しかったかの証です。

もし、ウクライナがロシアに抵抗せずに侵攻を受け入れていたなら、言い方を変えるなら「戦争をしなかったなら」、ウクライナの肥沃な農地はすべてロシアに召し取られてしまうことになります。過去にウクライナでは農作物をソ連に搾取されて多くの人が亡くなった「ホロドモール」という事件がありました。600万人が餓死したといわれていますが、「敗戦を受けいれる」ということはそうした可能性もあることです。

そうした未来が予想できるときに「最後まで戦い抜く」考えもあながち間違いではないように思います。しかし、僕は軍隊という組織が好きではありません。なにしろ上官の命令に逆らえないのですから、そのような組織に所属すること自体が僕からしますと「戦争に負けた国民」と同じになります。

最近僕はXで「戦争をしない国」「戦争をしかけられない国」と投稿しましたが、それを実現するためには先見の明のある政治家を選ぶことしかありません。最近の政界を見ていますと、なんとなく国政選挙の風が漂いそうな雰囲気がしないでもありませんが、選挙の際は投票に行き、戦争を起こさない政治家に一票を入れましょう。

そんなことを考えた日曜の朝でした。

じゃ、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?