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<都知事選、想>

*この記事は「脱サラをする前に」というサイトから転載したものです。

都知事選はなんだかんだ言って、小池百合子現職の圧勝でした。元来、都知事選は「現職が強い」と言われていましたので想定内のことではありましたが、あそこまで圧勝するとは思いませんでした。あと一つ予想外だったのは、広島県安芸高田市の元市長・石丸伸二氏が蓮舫さんを抜いて2位になったことです。

5月のコラムで書きましたように、僕はたまたま YouTube で石丸氏を知っていましたが、知名度の点でいいますと、まだまだ蓮舫さんには到底及ばないと思っていました。ところが、蓋を開けてみますと蓮舫さんに大差をつけて2位に入っていました。石丸氏が立候補を表明したあとも、当初は大手メディアで取り上げられることがほとんどなかったことを思いますと、想像もできない結果でした。

大手メディアが石丸氏を取り上げるようになったのは、残り1週間を切ったあたりでしょうか。それまで大手メディアは、小池氏と蓮舫氏の対立ばかりに焦点を当てており、候補者掲示板の権利を売買する怪しげな候補者たちと変わらない扱いになっていました。そうした対応が大手メディアの意図的なものなのか、偶然のものなのかわかりかねますが、結果的には石丸氏の持つパワーに気がつかなかったことになります。大手メディアは世論の動きや情報の集め方を反省する必要があると思っています。

大手メディアの「手のひら返し」はよく見る光景ですが、石丸氏が2位に躍進したあとの扱いは、まさにそれでした。なんとも情けない姿です。選挙後の会見で、NHKから「(当選に)及ばなかった要因は?」と問われて、「NHKをはじめ、マスメディアが当初まったく扱わなかったから」と答えていましたが、この切り替えしはまさに石丸節(構文?)の真骨頂でした。

小池都知事の勝利要因は公務に名を借りた選挙活動が大きいと言われていますが、それと同時に大きな力となったのは組織票の大きさです。それを考えるなら、蓮舫氏にも盤石の組織票があったのですから、その組織票に勝利した石丸氏の得票数は大きな意味があります。政界では今後の石丸氏の動きに注目と言いますか、警戒心が芽生えているそうですが、それもわかるというものです。

僕は基本的に「組織票で勝敗が決まる選挙」に批判的です。ジャーナリストの青木理さんが、「普通の人が投票に行かないと、組織票が勝っちゃう」と話していましたが、同感です。僕が思うに、政治は世の中をよくするために行われるべきなのに、組織票はその組織を利するための一票です。「世の中のため」ではなく「組織のため」が目的です。組織票で当選した政治家が世の中を公平にするために活動するわけがありません。

ここで注意しなければいけないことがあります。組織票として一票を投じる有権者は、同時に個人としての一票の持ち主でもあることです。記名投票ではないのですから、どちらを選ぶかは個人の自由です。組織票を選択して一票を投じた人は「世の中」よりも「組織」を選んだ認識を持たなければなりません。

石丸氏ほど注目が集まった候補者となりますと、選挙後は各マスコミからのオファーも増えます。ですので、テレビ各局への出演が続いていましたが、そうした中、いわゆる知識人といわれるコメンテーターなどとのやり取りが物議を醸していました。例えば、社会学者の古市憲寿氏や荻上チキ氏、武田砂鉄氏などです。

全体的に「かみ合っていない」と評されることが多かったのですが、僕の個人的な感想としては、選挙が終わったばかりだったことが関係しているように思います。石丸氏がまだ戦闘モードから抜け切れていない、という印象です。その証拠に今朝(7月14日)フジテレビでは戦闘モードが感じられませんでした。

僕は、石丸氏の安芸高田市時代の議会での戦闘モードもときおり観ていましたが、論破モードに入ったときの迫力、悪い言い方をするなら「詰め方」は尋常ではないものがありました。都知事選が終わってしばらく過ぎた頃の石丸氏は明らかに戦闘モードを解除していました。おそらく石丸氏は自分がどのように見られているか、思われているか、も認識して振る舞いを変えています。

そうした石丸氏に対して、挑発するような質問をしてくるコメンテーターは、僕からしますと、「石丸氏を論破すること」で名を上げようとする輩のように映ります。そもそも「立候補」という行動を実際に起こした人を口だけしか動かさないコメンテーターが挑発すること自体が僕は好きではありません。やはり、行動を起こした人に対してはリスペクトの気持ちを持って然るべきだと思います。

石丸氏の功績をあと一つ上げるなら、それは投票率です。「60.62%」と前回を「5.62%」上回ったそうです。「ネットの使い方がうまかっただけ」と揶揄する声もありますが、今までだれもできなかったことをやったのですから、十分立派な戦い方です。自分ができなかったことを棚に上げて、行動を起こした人を非難・批判する人が社会をよりよい方向に導けるはずがありません。

先ほどネットニュースで、『蓮舫さんが「今は国政選挙を考えていない」と述べた』と流れてきました。僕は至極真っ当な対応だと思いましたが、仮にこれで「国政に戻る」ことを考えたなら炎上は間違いないところでしょう。その覚悟を選挙が終わる前に訴えていたなら、選挙にいい影響があったように思うのですが…。それとも、「3位」という結果がそう思わせたのでしょうか。

蓮舫さんの流れで「連合」についても触れたいと思います。僕は基本的には「労働組合」を応援したい側の人間ですが、今の「連合」は「労働組合」とは呼べない団体になっているように思っています。今回の都知事選においても「東京都の連合」だけが小池氏を応援していました。大元の連合が蓮舫さんを応援しているにもかかわらず、堂々と反旗を翻していました。

その「連合」が蓮舫さんが惨敗した理由として共産党との連携を上げ、次選挙においては「共産党と距離をとる」ことを立憲民主党求めています。連合が誕生した当時のいきさつを思いますと、共産党にあまりよい印象を持っていないことは想像がつきますが、野党共闘が求められる今の時期に昔のこだわりから抜けきれないのはいかがなものでしょう。

野党共闘と言いますと、やはり小沢一郎氏が思い浮かびますが、その小沢氏が立憲民主党の泉健太代表に対して退陣を要求していました。そのニュースに触れて「まだそんな元気があるのか」と驚いたのですが、同年代の人どころか後輩のほとんども現役から離れている中で、意気揚々としているのは、やはり並の精神力ではありません。

最後に、都知事選が公示された当初、真っ先に話題になったのは候補者の人数の多さでした。50人以上という尋常ではない候補者数は選挙制度の在り方に一石を投じました。今回たくさんの候補者を擁立したある政党は、過激な主張で一定の得票率を集める手法で伸びていましたが、実際にそうやって国政の議席をとってしまっています。ここに民主主義の限界を感じ取る人もいましたが、それが現実です。

まさにチャーチルさんが言っていましたが、「民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」が証明されています。それに倣うなら「人間は最悪の生物と言うことができる。これまでに生きてきた人間以外のあらゆる生物を除けば」と神さまが言っているかもしれません。

今回は政治色の強いコラムになってしまいましたが、何卒お許しください。だって、今の僕の心の中なんだもの。

じゃ、また。

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