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はじめての梅干し

大人になると、できるようになると、
思っていたことがあった。

左手の薬指にリングがあること
庭のある家に住んでいること
小さな子どもの手を引いていること…etc  

そんな、私の勝手な
いくつかの思い込みの中に、
梅干しを漬けること、というものが 含まれていた。 

無意識でもセットできるご飯のように、
祖母や、母がずっとそうしていたように、
求めなくても、いつか、
できるようになるものだと思っていた。

けれど、その日はなかなか来なくて、
少しずつ老いる母の背中に、
若干の寂しさと不安を感じ始めたころ、

あぁ、もしかして…と、
ようやく気づいた。
求めないと学べないということを。 

ちょうど自粛期間中に
梅の季節が訪れた。

はじめて触れると思っていた
青い梅の実のかおりは、
意外にも懐かしさを運んできた。  

ずっと触れてきていた。
祖母の膝で、母の側で。 

6月の初め。
やわらかな日差しの中で、
母のする梅しごと。 

知り合いの専門家から学んだ
一人暮らし用の梅の漬け方は、
母のそれとは違っていたようだった。

塩で漬け込み、梅酢を絡め、
長かった梅雨の後に 3日3晩、
天日で干した末、完成した。  

とはいえ、食べるタイミングがわからず、
延ばし延ばしにもったいぶって、
しばらく経ってしまった。

ところが、ある日、なぜかふと粗食が食べたくなった。
おぉそうだ、と思い出して、
満を辞して、食べてみることにした。

土鍋で白米を炊き、
大好きな鰰を焼き、
万全の体制で出迎えた。  

ご飯のうえにポンと一つ乗せた白梅を、
箸ですうっと割き、少しほぐす。

ご飯と梅、
9対1の割合で、
口に入れた。

思いがけない衝撃が口の中に広がった。

「ちがう…」 

そんな言葉が頭に浮かんだ。

口に入れた梅干しは、 
果たして、想像している味と
まったくちがっていた。  

おいしいか、おいしくないか、
と聞かれると、
これはこれとして、とてもおいしい。

けれどちがっていた。

私にとっての梅干しは、
祖母と母が漬けたものだけだった。
それ以外の梅干しを、
満足に食べたことがなかったのだ。

もちろん、旅館や外食で出されたものを
食べたことはあったのだけれど、

なんというか、私にとってそれは、
イベント的な食事の一つで、
日常の梅干しとはちがうものだった。

母の味とちがうその梅干しを、
戸惑いながら、考えながら、
それでも全部食べてみた。 

味わうでもなく、
ただ、咀嚼して、
飲み込んでいた。

一人で梅干しを漬けられるようになった。
来年は、母にレシピを教わろう
いつまでも、いつかがあるとは思わずに。

そう思うと、なぜか少しさみしくなった。

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