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「シャニアニ第1幕」論【アニメ感想】

 シャニアニ第1幕を観た。私は辺境の片田舎に住んでるので映画館に行くにも車でそれなりにかかるし、ようやくたどり着いたその映画館もお世辞にも良い映画館というわけではなかった。それでも絶対に映画館で観るぞ!という決意があったし、もちろん舞台挨拶のライブビューイングの回を取った。田舎なので私含め十数人しか観客が居らず座席はガラガラだったが、それでもここに集まった"本物の仲間達"に自然と胸が熱くなった。まぁ別にそこで名刺交換とかをするわけでもなかったが。
 アイドルたちが動く姿に開始3秒で涙を流し、OPのときにはもうぐちゃぐちゃになりそうだった。ただそこが私のピークだった。あ、嘘、ユニットごとのライブシーンはもちろんぶち上がった。だから歌と、それに3Dモデルの良さを合わせたダンス、ライブシーンは非常に良かった。でも、何と言うか歯がゆさを覚えてしまう。もちろんもちろん、私はこのアニメを非常に楽しめた。なんならもう1回2回と見てもいいし、第2幕第3幕も確実に劇場に見に行く。でもシャニアニには私がシャニアニに求めていた、たった一つの要素が足りない気がしているのだ。だって私はこの作品をシャニマスを知らない人には絶対に勧めないと思うから。

 ここでアニメの絶対的な良し悪しについて議論を始めてしまうと収拾がつかなくなってしまうので、あくまでも私はシャニアニをいまだシャニマスを知らない新規プロデューサーへのスターターキットとして、大いなる役割を果たす存在として見ており、そのはしごが外されたような気がして不安に思っている、という一点について話をすることを念頭においてほしい。
 まず、第1幕の全4話では、イルミネーションスターズの結成と、それ以外の3ユニットのユニット紹介的エピソードが披露された。その構成自体はなんの問題もない、しかし、最大5人のアイドルとそのユニット、そしてライブシーンを詰め込むには24分程度では全然足りなかった。いやそうだよ、そりゃそうだ、こちとら16回WINGして4回ファン感謝祭して得た情報だろうが。それをたった4話で説明しきるなんて無理だ。しかもEDに何故かカラオケ版の曲を流して尺を稼いでいる。その結果どことなく薄味になってしまっている印象が拭えない。唯一お話としてまとまりがあった第4話の放クラ回だって、あれは方クラの5人のキャラクターの分かりやすさに頼ったものであり、果たしてあのお話を見て「小宮果穂は小学生で、でも最初はプロデューサーが勘違いしたほど外見は大人びており、しかし中身は年相応で戦隊ヒーローが好きなのに外見からのイメージとの乖離によりさらされる期待みたいなものにどことないもどかしさを覚え始めた少女」みたいなことが感じられるだろうか。うーん、難しい。しかも私は果穂担当ではないため、上の文章だってこれだけで小宮果穂を表現できているとはとても思えない。そもそもそういった言葉では言い表せない複雑な感情や葛藤を頑張って表現するのがenza版シャニマスではなかったか。だからこそシャニアニは無い行間を受け手が持つ膨大な情報によって成り立っているのでは?みたいな疑念が拭えない。千雪さんの引っ越しダンボールにアプリコットの雑誌が入ってた、それは良いよ。でも果たして回収されるのか?残り8話で。多分されないでしょ、だってアレに反応する人はもう答え知ってるんだから。というかアプリコットが大事な雑誌なんならあんなふうに斜めに雑多にダンボールに詰めないでしょうが。放クラの合宿だって気づけば終わってるし、知らない枕投げと知らない肝試しの絵を見せられても分かるのはユニットのカラーじゃなくてenza版シャニマス絶賛サービス中!って事だけだ。勘の良い人ならこれはゲームやらないと分からないんだなってすぐ気づくし、そしたらそもそもアニメ版見なくていいだろってなっちゃわないか?

 じゃあシャニアニはそもそも既存プロデューサー向けに作られたものなのだろうか。いや、そのほうがまだ分かる。そもそも初見向けに〜なんて考えていた私のほうが勝手な願いを押し付けていた可能性だってある思う。でもそれならユニット紹介回いるのか?いやユニット毎のライブシーンはそりゃ見たいよ。でも既存のプロデューサーにわざわざアンティーカの強さとか、アルストロメリアの幸福とか、放クラの最高さとかいる?しかもいきなり総括の如くアンティーカの色はこれなんだ!って言われても、お、おう……としかならんくないか?少なくとも私はなった。別に言っていることを単純に批判しているのではなく今まで頑張って精緻に積み上げてきた大事なものを一言で片付けようとしていいの?と思ってしまう。これは私のアンティーカへの理解が浅いからなのだろうか。うーん、分からない。
 ただ、既存プロデューサーなら確実に楽しめるはずだ。愛を注いだアイドルたちが動き、歌って、踊っている。それだけで泣けるし嬉しいし、申し分なく最高だ。それでいいじゃないかと言われればたしかにそうだ。実際問題私は劇場で最高の気分になったのだから。少なくとも舞台挨拶のライブビューイングを見ている間までは最高だった。それがどうしてこんな批判的になってしまったのだろうか。そういえば舞台挨拶の話をしていなかった。まぁいつも通りだった、あのメンバーでいつも通りじゃないことがあるだろうか。そういえば演者入場のときに何故かカメラがほのけだけを追っており、カメラマンほのけ好きかよ〜と一人で笑っていたのだがライビュを見ていたら急に私も黒木ほの香を好きだったことを思い出して、カメラマンのことを褒め称え始めた。いや、これもいつも通りか。


 と、ここまでの文を読み返したらとんでもなく批判的で自分でびっくりしてしまった。褒めてるところが黒木ほの香しかない。正直公開していいものか悩んでしまい、すでに視聴、執筆から1週間が経過している。何回でもいうが私はシャニアニを非常に楽しめたし、幸せになった。それがどうしてこうなったのだろうか。なんか批判的な感想が帰ってきそうだな、と思いつつ、すでに出力してしまったものを捻じ曲げることも出来なかったため、こうやってあとがきを追加する形で公開することにした。
 よくよく考えればまだ第1幕の4話しか見ていないのだ。それでシャニアニをわかった気になるのは早計というものだろう。それに、作画がひどいだの、ストーリーが意味不明だのといったことは一切ない。言ってしまえば凡庸なアニメというところだが、先述したようにまだ自己紹介が終わったところで、残り8話で一気に加速していくこと、または例を見ない神回が現れることを期待しても全然良いのだ。だからこそこの記事は私のマイルストーンとして公開させてもらおう。願わくば私の手のひらがドリルになるくらいの神回が第2幕第3幕で現れることを願って。

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