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絶対音感と相対音感の狭間で

毎朝、電車の発車メロディーが、私に声をかけてくれる。
言葉ならぬ、音葉で。


物心がついた頃には、周囲を流れる音の多くはドレミの音名で聴こえていた。
スーパーで流れるBGM、レンジの音、ハトの鳴き声、
聴こえてくる音には、ドレミファソラシドの言葉がついていた。

しかし、恐らくこれが絶対音感という能力であることを、私は大人になるまで気が付かなかった。
音が音名で聴こえるという世界が当たり前だったからだ。


そんな自分の音感に気付いたきっかけは、海外の街中でふと聴こえてきた音楽だった。
本来、現地の言葉しか聞こえてこないはずなのに、流れてきたメロディーには日本語の言葉が乗っていた。不思議な感覚を抱いた。
日本でなら、周囲の話し声も音も、同じ日本語で聴こえていたから違和感はなかったのだ。
そのことがきっかけで、詳しく音感の定義を調べてみた。


絶対音感とは
ある単独の音を聴いたときに、基準音がなくても、絶対的に音名が分かるという能力である。
しかし、その精度も人によりけりで、絶対音感持ちが全員、どんな音でもわかるといったわけではないという。

・楽器の音のみわかる
・生活音の音もわかる
・ヘルツ単位でわかる

……など個人差がある。


それに対し、相対音感という能力がある。
これはある基準音を聴き、その音を基準とした、相対的な音名が分かるという能力である。
例えば、ドの音を聴いたときに、どれがソの音になるのか判断できることが、相対音感がある、ということである。

両者を比較すると、
絶対音感持ちは「固定ド」(基準音が固定されている)
相対音感持ちは「移動ド」(基準音が移動する)
といった感覚の違いがある。

以上のことを踏まえて、果たして自分の音感は、絶対音感と相対音感のどちらなのか問われると、恐らく絶対音感を持ちつつも、若干の相対音感もあるという結論にたどり着いた。


今回は、私自身の音楽人生の中で感じた、絶対音感と相対音感の狭間の世界の話をしようと思う。


初めて楽器というもの触れたのは、5歳の頃。
近所の友達がピアノを始めるというから、
「あんたもやってみる?」という母親の勧めで、ピアノとはどういうものなのかもよく分からないまま、ピアノのレッスンを始めた。

元々好奇心旺盛な子どもであったため、みるみる音楽の世界にのめり込み、そこから、小学6年生までピアノを弾かない日はほとんどないくらい、ピアノに熱中した。
将来はピアニストになるなんて、健気に卒業アルバムにも書いたが、今思えば全く大したレベルでもなく、小学校の音楽会で6年間ピアノの伴奏を務めたぐらい。
聴音やソルフェージュも、レッスンの時に少しかじったくらいである。

その後、中学に上がり、音楽繋がりで吹奏楽部に入った。

担当楽器は、クラリネットだった。
入部後、大体の人は色々な楽器を体験して担当楽器を決めるのだが、私は他の楽器には目もくれず、最初からクラリネットを希望した。
理由はあまり覚えていない。
多分、直感だっだ。一目惚れってやつ。
いや、一聴惚れ?

しかし吹奏楽部に入るまでは、クラリネットという楽器の形や音すら知らなかった。
知っていたのは「クラリネット壊しちゃった」の曲で、オーパッキャラマド~のフレーズが印象的だったことくらい。
ちなみにオーパッキャラマドって、音を表しているのかと思っていたら、フランス語で「友よ一緒に行こう」という意味らしい。
ただクラリネット壊したヤバイ息子の歌ではなく、お父さんが、クラリネットを練習中の息子に一歩一歩進んでいこうと励ましている、深い意味がある歌だった。

そして、そのクラリネットこそが、絶妙な相対音感を身に着けてしまうきっかけとなる。

ちなみにピアノは中学1年生で辞めてしまった。
部活が忙しくなってきて、ピアノの練習に割ける時間が減ってしまったからだ。
ある日、学校から帰ってきて「ピアノのレッスン行ってくるね!」と出かけようとしたら、「もう辞めたわよ」と衝撃の事実を母親から伝えられた。
本人に相談もなく、すでに辞めた後にその事実を告げられるという出来事は、当時13歳だった私には残酷だった。
めちゃくちゃ泣いたけれども、幼心なりに心の整理をし、クラリネットにシフトチェンジをする決意をした。

そして、そのクラリネットとは、B♭管という移調楽器である。

移調楽器とは、ある楽器で楽譜に沿って音を出した時に、ピアノとは異なる音が出る楽器のことである。
例えば、クラリネットの譜面で「ドレミファソラシド」と吹くと、実音(ピアノの音)は「シ♭ドレミ♭ファソラシ♭」である、といった具合だ。

最初に移調の壁にぶち当たったのは、先輩たちが吹くコンクール曲を耳コピしようとした時である。
当時、入部したての1年生はコンクールに出られず、先輩の練習を前で聴いているといった具合だった。
私はどうしてもそのコンクール曲が吹きたかったのだが、まだ楽器を始めて数か月のひよっこには楽譜が欲しいだなんて言える勇気はなかった。
仕方なく、耳コピでこっそり吹いてみようとしたが、聴いた音をそのまま吹くと、1音ずれる。
(聴こえてきた音はドでも、クラリネットで吹くドは、実際はシ♭であるから)
なんとかクラリネットの音階に己の脳を適応させようと、頑張って1音ズラして吹いた。

さらに吹奏楽にのめり込んだ私は、音楽コースのある、吹奏楽の強豪校へ進学した。
将来は音楽大学へ進むんだという目標を携えて。

県内有数の吹奏楽強豪校だったため、音楽コース関係なく、部員のレベルも高かった。
絶対音感持ちもたくさんいた。
和音の音もすべて把握できる人、移調を容易くこなせる人もゴロゴロいた。

聴音やソルフェージュの授業もあったが、レベルごとにクラス分けがされており、私は一番下のクラスからのスタートだった。

音はすべて分かるのに、楽譜が書けない。
昔からリズムを取るのが苦手で、楽譜に音符を落とし込む作業が最初はできなかった。
演奏の際にも、一度音源を聴いて耳でリズムを覚えるタイプだった。
最終的には1つ上のクラスに上がれたが、成績は可もなく不可もなく、5段階中の3。


そして結局、音楽コースに在籍はしていたものの、自分の実力と費用のことを考えた結果、音大進学は諦めることとなった。
また、吹奏楽部の活動が、めちゃくちゃハードであったこともあり、高校卒業の際には、もう一生音楽はやらんと誓った。
しかしなんやかんやで、今も趣味で吹奏楽を続けている。
高校卒業後、1年だけ吹奏楽を離れていたが、友人の誘いでまた吹奏楽を始めた。
一度、嫌いになりかけた音楽だったが、やはりやってみると楽しい。

ちなみに余談だが、昨年、貯金をはたいてクラリネットを新調した。
アマチュアの分際で、良い楽器を買ってしまったので、一生のパートナーとして共に生きることを決意。
健やかなる時も、病める時もってやつですよ。
いや、病める時はアカンな……


少し前置きのエピソードが長くなってしまったのだが、
このように、いつの間にかピアノ人生より、クラリネット人生の時間の方が長くなってしまった結果、自分の音の基準が、ある時少しずれ始めてきていることに気が付いた。
というよりかは、二つの音名が同時に聴こえてくるといった具合だ。

これが、絶妙な相対音感の感覚であると認識した所以である。

例えば、有名な第九のメロディーを例に取ってみる。(分かりやすいように調号は省略)
ピアノの実音が「ファファソラ ラソファミ レレミファ ファミミ」なのだが、クラリネットを基準とした聴こえ方としては「ソソラシ シラソファ ミミファソ ソファファ」となる。

通常であれば、どちらか一つの音名が聞こえるものだと思うが、私は同時に2つの音名が聴こえてくる。
感覚としては、英語と日本語が同時に話されているような感じ。

しかし曲によっては、そのどちらかしか聞こえない場合もある。
恐らく、その曲の調によって、ピアノの実音に聴こえるか、クラリネットの基準で聴こえるかが変わってきているようだ。
ただ、集中をすれば、ピアノ基準にもクラリネット基準にも聴くことができる。

ところが、これがE♭管のサックス基準や、F管のホルン基準にして聴こうとすると、途端にできない。
楽譜を見ても、その音で歌うことができない。


E♭管のアルトクラリネットを担当していた時も、苦労した。
吹奏楽の合奏中、楽譜を歌うという練習方法があるのだが、なにせ全くその音通りに歌えない。
楽譜はドの音なのに、実音はミ♭なのだ。
その際には毎回口パクでやり過ごしていた、ごめんなさい。

あくまでも、相対音感が発動されるのは、クラリネット基準だけなのである。


ちなみに、絶対音感持ちのサックス吹きの友人に、吹奏楽の練習の時、どういう風に音は聴こえてくるの?と質問をしたことがある。

その友人は、楽譜はそのまま読めるけれども、聴こえてくる音は実音で聴こえてくるらしい。

私の場合は、クラリネットの音は、クラリネットの音名で聴こえるように、脳が適応してしまったから、その能力はとても羨ましい。

「音を聴く」という脳の働きにも、様々なパターンがあるのだと感じた。


このように、絶対音感と相対音感の狭間で感じたこととしては、

・音名が2つ同時に聴こえる
・実音、クラリネット基準の片方しか聴こえない時もある(調によって変わってくる)
・実音とクラリネット基準以外では聴くことができない


元々は絶対音感のみを持っていたが、移調楽器をやってきたがために、その楽器のみの相対音感を身に着けてしまった、という結論である。

しかし、やはり絶対音感と相対音感を、両方を完璧に手に入れるのは難しいように感じる。
絶対音感が強い人は、自分の中での基準音が確立されているため、どうしてもその音に依存しがちになる。


今回は、その両方の狭間にいる感覚を伝えたくて文章を綴ってきたが、結局音感というものは、絶対音感、相対音感に関わらず、音楽をより深く理解するためのひとつのツールにすぎない。

そのツールを上手く使いこなすのも自分次第、今日も今日とて、周囲に溢れている音と戯れて、日々を楽しんでいきたい所存です。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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