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ひきこまれる写真の共通点とは

そもそも写真がいいなあって思い始めたのは
きっとあれにちがいない

それまでもたくさん写真はみてきたはずだし
興味ももってきた


しかし、ひきこまれたのは
梅佳代さん写真集だった


表紙が面白い
裏表紙も面白い
ページをめくると一つ一つが面白い
いや面白すぎる
ツッコミどころ満載だ
おもしろいという言葉以外になにがあるだろうか
完成度とか美的とか精密、緻密とか、一見素人くささがありつつも
そこになにかがある

子供もこっち向いてるし
大人もこっち向いてるよね
時々どこか宇宙を見てるよね
大人も宇宙見てるよね

しかも
どうやったらこの瞬間が寄ってくるんだろう
どうやったらこんな一枚が取れるんだろう
この人はどれだけカメラを持ち歩いているんだろう
しかも知らない人を取ってるんだろうか
これ全部親戚だろうか
知らない人にこういうポーズをさせて
「撮っていいですか」って聞いてるんだろうか

っていうか
とれちゃった一枚をこれ使っていいですかって許可とってるんだろうか
私なら知らない人が恥ずかしいポーズを隠し撮りされてて
たとえそれがプロの写真家であったとしても
これ使っていいかって聞かれた時にどうしようかって正直悩む


こうやって私は写真集と会話する


写真とは何だろう
答えのない問いに、ぐるぐると悩み悩み
まだ一枚を撮るということにビギナーの域を出ない私が
大した答えを持ってるわけでもなく

それでもいい写真というのは
見ている人を参加させるところにあるのではないか

ほらみて!いい写真撮れたぞ
どうだ!見てみろ!すごいだろう
といわんばかりに思いっきり見栄えの良い現像をして
映える写真をアップしてみたところで
どこか既視感のある写真を見て上手に取れたねと褒めてみたりする
で、そこまで

どこかの山だろうかどこかの海だろうか
その人にとっての思い出の場所なんだろうきっと
説明をされないとわからないような
説明を聞かないといけないような
そんな義務感に苛まれるような写真があったときには
大変な人生だったんですねと寄り添っておわり
無理やりお付き合いをさせるような一枚よりは
どうしても立ち止まりたくなるような一枚の方がいい

いい写真というのは
その一枚を媒介にしてコミュニケーションが取れる

見ている人が
その一枚のドラマの中へ入りたいと思ってくれるものではないだろうか

そんなひきこまれる一枚に、また、出会いたいし
わたしもその人のドラマの1シーンでありたい



人生はあっというまだよと
ふたりきり
真昼の幸せ


記し

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