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序:今日

何もない。
不意に、思った。

自分の中の空白を、見つけてしまった。
ほんの僅かな違和感から、自分の感情の不調和の原因を探るべく覗きこんだ隙間に、みるみる吸い込まれるように飲まれていった。
その先は、僕の内的世界であるはずなのに、見知らぬ空間で、自分がいかに孤独で貧しく、つまらない存在であったのかを思い知らされた。
僕はどうにか繋ぎ留めていた希望を、手放していくのと同時に意識が遠のき、自分が空虚だったのか、虚空に自分が浮かんでいるのかわからない、ふわふわした心地になり、やがて僕は僕を僕たらしめていたものを失った。

何もない。
何もなくなってしまった。
いや、あると思い込み、必死でかき集めるように生きてきたのに。
結局何一つ、自分の身につくものではなかった。自分が自分の形を保つために揃えたものは、初めから今に至るまでの全てが見込み違いだったが故に、ここに来て崩壊してしまった。

今日。
ほんの些細なきっかけだった。
第六感とか、霊感だとか、そういう証明できない類の不愉快な違和感。
それを生み出していた怪物に、僕の必死で取り繕っていた日常は一息に飲み込まれ、食い潰されて霧散した。
何もかも失った、むしろ虚飾にまみれた自分から逃れた僕は、今日街を出る。
ダイニングテーブルには、彼女が用意した朝食。コーヒーメーカーに冷めたコーヒーが残っている。
学生時代から暮らしたこの部屋も、随分彼女に浸食されてしまったな、と過ごしていたが、まさかこんな結末になるとは思っても見なかった。

どこに行こう。
どこにでも行ける、となると、行きたい場所などどこにもない事に気づく。


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