コト消費からヒト消費へ。サードプレイスとしてのサッカークラブを創りたい。
これは「#10年後にスポーツ業界を盛り上げる若者たち のAdvent Calendar 2023」の23日目の記事です。
https://adventar.org/calendars/9020
昨日は、板本 大輝 / 株式会社 Emerさんの「スポーツが生み出す熱狂で世界を変える」の記事でした。
今日この23日目までの過程でみなさんが書き上げた素敵な投稿を見て、わざわざ後半に書くことを決めた約1ヶ月前の自分を今必死に攻めています。
ただ、せっかくの機会なので自分がこれからサッカー・スポーツの力で何をしたいのかを少しだけ丁寧に言葉にしたいと思います。
少しだけお付き合いいただけると幸いです。
2023年9月に「NERIMA CITY FC」の設立を発表してから約2ヶ月。
想いと明確な理念だけでお金も人脈も経験もない大学生がわざわざ1からサッカークラブを創り、来年からの始動に向けて準備に明け暮れる日々を過ごしているのが最近の日常です。
当初は凡人大学生一人の頭の中から始まったプロジェクトだったけれど、ありがたいことに運営メンバーは4人に増え、学生コーチも一人最近加わってくれました。
わざわざ1からサッカークラブを作ってまで、丸野は一体何を成し遂げたくてそれがなぜサッカークラブなのか。
もう一つの居場所(サードプレイス)を創りたい
ここは一定以前のnoteで触れていたので、簡潔に。
僕はもう一つの居場所(サードプレイス)を創りたい。
生きていれば、いろんな事があると思うんです。僕はまだ22歳になったばかりで、誰がどう見ても若者と呼ばれる年齢ですが、きっとこれから先、良い事も悪い事もいろんな事があるのだろうということぐらいは予想できます。現にたった22年間の人生でもいろんな事がありました。
人間関係、夢、仕事などと、人それぞれではありながらも、誰しもが生きていればストレスとは切り離せないこの世の中だと思います。
「辛い・逃げたい」
「なんの為に生きてるのだろう」
思い返すと、一つや二つとみなさんにも当てはまる経験があるかもしれません。
僕は、こうした悩みやストレスを、その居場所にいる時間だけは忘れられたり、各々が抱えていることに立ち向かう勇気を届けられる居場所を創りたい。
居場所を創る手段はいくつもある中で、なぜサッカークラブを選んだのか?
居場所(サードプレイス)を創るなら、いくつか手段があると思います。
まずサードプレイスと聞いておそらく最初に連想するのがスターバックス。
スタバみたいにカフェで居場所を創ることもできるし。他にもシェアハウスとか、飲食店だったりとか、いろんな形のやり方があるのかなと。
でも、僕はサッカークラブという手段に拘りました。
なぜか。
生きる気力を失った大学一年生
僕がサッカークラブに拘りをもつことになった大きなキッカケは大学一年生の時です。
猛威を奮ったコロナウイルスが流行り出したタイミングですね。(2020年)
当時は人に会う機会が圧倒的に減り、高校まで続けたサッカーからも離れ、大好きなJリーグも無観客開催になったりと。
・日常で夢中になれる(熱狂できる)何か
・人と心で繋がっている感覚
この二つを失い、精神的にもかなり不安定な時間を過ごしていました。
夢中になれることがなく、何の為に生きているのかもわからず活力が湧かない。一人の時間が増え、いろんな感情を共有する機会が減ることで感じた孤独。
この二つの要素が満たされることが、いかに幸福感において重要なのことなのかを身をもって感じたのが個人的に大きな学びとなりました。
だからこそ、自分が誰かの幸福にどう貢献していきたいかといった問いに対しては、
何か日常に夢中になれる(熱狂できる)モノやコトがあり、そこで引き出された感情を誰かと共有することで、心のつながりを感じられるような状態をつくることに、相手が見える距離感で関わることで貢献したい。
という答えがその経験で明確になった気がします。
では、実際にそれを満たしていく為には同じサードプレイスでも熱狂や夢中といった感情を引き出し、集う人たちから自発的にコミュニケーションが生まれやすいコンテンツを提供する必要があり、そこにスポーツないしサッカーがピッタシだろうといった経緯でサッカークラブという手段を選びました。
会場に足を運び、サッカーが生み出す熱狂を隣にいる誰かと共有することで心のつながりを感じる。そうした日常があれば、今より生きるがちょっと楽しくなるんじゃないかなと。
コト消費からヒト消費へ
近年はAI、IT と、物質的にはとても便利になったんだろうなと思います。それも凄まじいスピードで。
おそらく今後もこの分野は発展していくと思いますし、世の中で便利なものが増えていくのはもちろん良いことです。
ただ、失っているモノもあるんじゃないか。
AI、IT分野を中心に身の回りのモノがどんどん効率化・合理化されていくからこそ、何か大切なモノを失っているような感覚が最近すごく頭の中にあるんですよね。
例えば、SNSの普及、コロナウイルスによって広がったリモートワーク、オンライン会議など。人同士のコミュニケーションがこうした効率・合理的なツールの誕生によって、表面上の人間関係が増え孤独を感じる人間が増えているような気がしていて。(そもそも孤独が悪いことなのかについてはここでは触れません。)
他には、都心部の街並み。
なんだか日に日にチェーン店が増えている気がします。マニュアル通りの接客、ロボットが運ぶ料理、無人レジでの会計。確かに、便利なことは確かなんだけど、何か満たされない。
最近、友人とご飯に行く時の会話でも感じるのですが、お店を選ぶ時に、自営業のお店や、少し小汚い街並みの居酒屋、例えば吉祥寺のハーモニカ横丁や新宿ゴールデン街、老夫婦が営む定食屋のような。そんなお店に足を運びたいといった会話が増えた気がする(これは僕の周りの話なので偏りがあるとは思います)。
みんながそういったお店に行きたいとなる理由は3つの期待があるからだと思うんです。
・人の温かみに触れられるという期待(優しい老夫婦の定食屋)
・人間味に触れられるという期待(個人経営のマニュアルのない接客)
・予期せぬ人との出会いへの期待(ゴールデン街のように同じお店のお客さんと仲良くなりやすい雰囲気)
いずれもヒトを求めてる。
前述したコミュニケーションのデジタル化についても、わざわざ会いに行って会話をし、五感を共有したりと対面での交流の場が価値が増している気がします。
このように、今後もテクノロジーの発展が進むに連れて、人にまつわる需要が大きくなるような気がしています。(かなりの主観です。)
だからこそ、スポーツないしサッカーが持つ力として、
・一緒にボールを蹴ることで、ヒトと心の距離が自然と近づいていく感覚。(する)
・好きなサッカークラブの試合をスタジアムで見て、見知らぬヒトたちが一つのスタジアムに集い、同じユニホームを着て、一つのチャントを歌うことで心がつながる感覚。(観る)
こうしたスポーツの価値がこれからのヒト消費の需要に応えていくコンテンツとして存在感を大きくしていくのではと考えています。
そうして、改めてサッカークラブの価値を
関わる全ての人に夢と感動を与え、そこで引き出された感情を誰かと共有することで、心のつながりを感じられるもう一つの居場所(サードプレイス)
と再定義し、テクノロジーの発展に逆張りしながら、ヒトとヒトとの繋がりとヒトが生み出す、時に非合理・非効率的な意思決定が交わり構成されるコンテンツを提供していけるような存在になれたらと強く思います。
明日は安野春輝さんの記事です!
お楽しみに!!
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