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となり合わせ|「今度は愛妻家」を観劇した感想

2022年は密かに「今年は舞台をたくさん観る年にするぞ!」という抱負を立てており、その結果様々な舞台作品に触れる1年となった。「今度は愛妻家」も、その流れでたまたまチケットを取った舞台であった。

結果、本当に、本当に観てよかった。

舞台についての事前知識も特に入れることなく観劇したのだが、パンフレットの戸塚くんの言葉通り、1回のみのつもりが2回観ることとなった。それくらい心を動かされたし、もう一度観たいと思わされる舞台だった。

⬆公式からダイジェスト動画が出ました。


この舞台の主人公は戸塚くんが演じるカメラマンの北見という男。そしてその妻・さくらを三倉佳奈さんが演じる。

さくらは長生きと健康に凝っていて、「テレビで博多大吉がいいと言っていたから」と影響されてニンジン茶(周囲からは大不評)を淹れたり、無農薬に関する新聞記事のスクラップブックを作ったりしていた。北見の弟子の誠(浦くん)が現れた際、彼が持っていたコンビニ袋を「コンビニのご飯は体に悪いよ」と取り上げるほど。

夫婦は仲睦まじく生活していたが、2人には子どもがいなかった。妻のさくらは子どもを欲しがっており、その年のクリスマス付近が彼女の排卵日と重なることをきっかけに、2人で沖縄へ”子作り旅行”をしに出かけようと北見に持ちかけるところから舞台はスタートする。

その後唐突に場面転換があるのだが、切り替わると部屋はやけに荒れており、1人ソファに横たわる北見もどこかだらしない様子である。

その旅行以降、さくらは「やめたの。もう家のことは何もしません」と北見に宣言して、1人で箱根旅行に出かけるなど自由奔放になっていたり、代わりに「ブンちゃん」と名乗るオネエ(渡辺徹さん)が部屋の掃除に訪れたり、手作りの惣菜を届けに現れたりということが増えた。

そして北見はカメラマンの仕事への意欲をなくし、生活は荒みきっていた。

自分に来た大きな仕事を簡単に弟子の誠に任せたり、大事にしていたカメラをも誠に譲ろうとするなど、ほとんど廃人のような状態で、貯金を切り崩しながら暮らしていた。「蘭子」と名乗る若い女性(黒沢ともよさん)を家に連れ込むなど、浮気をしているような描写も目立ち始めた。


生活面や女性関係においてあまりにだらしない北見。タイトルの「愛妻家」は恐らくこの北見のことなのだろうとは思っていたが、これがどう繋がるのか分からず、前半はかなり違和感を憶えながら観ていた。しかし、作中でその違和感はすぐに解かれることとなる。

妻のさくらは12月の沖縄旅行中に死亡していた。


作中で北見が「なんで死んじゃったんだよ」とさくらに語りかけたときにようやく気づいてぞわっとした。確かに、沖縄旅行を計画する冒頭シーン以降のさくらは全身白色の服装に身を包んでいて、持ち物も全て白に揃えられていた。玄関から出ていったはずなのに家の中から再登場したり、北見のしたこと、考えていることを全て見破っており、考えてみれば端々に違和感があった。

それから、オネエのブンちゃんはさくらの父親であった。家に入り浸っていたのは、さくらに代わって北見の身の回りの世話をするため。

言うまでもなく北見が仕事をしなくなったのは愛する妻の死により気力を失ったからだが、それでも弟子の誠はずっと北見の事務所に顔を出していた。実はというと、誠はブンちゃんから「北見を1人にすると後追いするかもしれないから」と毎月20万円を渡され、傍にいてあげることを依頼されていたのだった。

そしてあの旅行以降、さくらが登場するのは決まって北見と2人きりのシーンだけ。劇中の北見は、もう死んでしまっている妻のさくらがとなりにいると思い込み、語りかけ続けていたということになる。


この舞台では特に前半でやたらと下ネタが多く、初めて観たときはかなり衝撃的で「この話を受け入れられるだろうか……」と思ってしまったりもしたが、これはきっと後半に語られるさくらの死を際立たせるための対比だった。

さくらがとにかく子どもを欲しがっていたのも、誠が自らの女性経験について気にしていたのも、蘭子が妊娠したのも、全て「人が生まれる」というところに直結する(=「死」と真反対にある)。

最後の最後、北見の前にさくらが現れなくなってしまう(これは北見が「さくらはもう死んだ」と受け入れ始めていることを示唆しているんじゃないかと思う)が、ここで孤独に襲われる北見の元へ現れたのはオネエのブンちゃんだった。

ブンちゃんは「独り身同士仲良くやりましょ」とクリスマスケーキを持って現れるのだが、そうして北見を救うのが「体は男性だが女性として男性を愛する=女性と恋愛をして子どもを作ることは望んでいない」という存在であることは少し皮肉的かもしれないと思う。※当然ながらトランスジェンダーの方が子どもを持つことを否定する意見ではありません。これは主語をブンちゃんに限った考えです。

ブンちゃんもまた、人が生まれることとは少し遠い存在である。そして還暦だという。まだまだ現役といえる年齢ではあるが、人生の折り返し地点は恐らく過ぎている。寿命を考えることもあるかもしれない。

生前のさくらが長生きのためにやたらと健康に凝っていたこともそうだ。考えてみれば舞台のいたるところに「生」が散りばめられていた。全ては、さくらの死をショッキングに描き、観客にも北見の感じている絶望感を同じように感じさせるための要素であったに違いない。

そしてこの舞台のセットは終始同じ北見の家のまま。もちろん冒頭からだ。だから、幸せな日々の匂いがまだ残っている部屋で独り生き続ける北見の苦しささえも伝わってくる。つらかった。そして彼は確かに「愛妻家」だった。


結末を知った状態で観劇すれば確かに冒頭以降のさくらは死んでいると分かるのに、あれだけの違和感と伏線を残しながらも死を悟らせなかったのはやはり舞台作品としての凄みである。観劇後、スタンディングオベーションを送りながら一番に思ったのは(舞台っておもしろい!!)だった。

もう舞台を観るたびに思うことだが、舞台って本当におもしろい。その世界で起こることの全てがラストの展開へと繋がるから目が離せないし、没入感がまるで違う。


私は戸塚担でも浦担でもないから、「今年は舞台をたくさん観る年にする」なんて気まぐれがなければ私はこの舞台を見逃していたかも、と思うとぞっとする。

たった5人だけの演者が表現した生と死。とても考えさせられた。面白かったし、恐ろしくもあった。死と生はとなり合わせだとはよく聞くが、それはある意味では恐怖でありながら、残されたものにとっては救いにもなるのかもしれない。


追記

2022年12月2日、渡辺徹さんが11月28日に逝去されたことが報じられました。

「今度は愛妻家」の上演は2022年10月。決してそうとは感じさせず、約1ヶ月前の渡辺さんはブンちゃんを明るく演じていらっしゃいました。

そして私はこの舞台を見て「死と生は隣り合わせだが、それは残されたものにとっての救いにもなるのかもしれない」という感想を抱きました。(まさかこんなに早くに実感することになるとは考えてもいませんでしたが、)渡辺さんもさくらのように、思ったよりも私たちの近くで見守ってくれているのかもしれないな。と思います。

私が渡辺さんの姿を生で拝見することができたのはこの「今度は愛妻家」きり。これが図らずも死を扱う舞台だったことは、私にとってより深く「人が亡くなる」ということについて考える機会になっています。

私はブンちゃんの生き方や考え方に気付かされ、共感し、「私もブンちゃんのような人に出会いたい」と思わされました。渡辺徹さんが最後に魂を分け与えたキャラクターと出会うことができて、心から、心からうれしいです。謹んでお悔やみ申し上げます。

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