夏、彼らは宇宙にいた|スペジャニ感想・あらすじ
2022年。
例えば5年後の私たちは、この1年をどう形容するのだろう。この舞台「Space Journey!〜僕たちの軌跡〜」が発表されてからというもの、毎日そんなことばかり考えてしまう。
この舞台は2022年夏に大阪松竹座にて上演された、Lil かんさいの5人が二手に分かれて座長を務める舞台だ。松竹の公式ページはこちら
当noteでは、スペジャニのあらすじをざっくりとまとめてから、ストーリーについて感じたことなどを書いていく。ただし半ば備忘録のようなもののため、間違って記述しているところがあるかもしれない。
それでは早速本題に移っていく。
あらすじ部分はかなり長いので、目次から読み飛ばしてもらっても構わない。
あらすじ
登場人物
※キャスト名:(前半)/(後半)
ルイ(キャプテン) :西村拓哉/嶋﨑斗亜
イブキ(副キャプテン) :大西風雅/岡﨑彪太郎
ソウ(参謀) :小柴陸/當間琉巧
ハル :浦陸斗/角紳太郎
カナタ :山中一輝/真弓孟之
ナギサ :北村仁太郎/大内リオン
タイシ :岩倉司/千田藍生
ダイト :吉川太郎/岡佑吏
テンマ :丸岡晃聖/中川惺太
ユヅキ :永岡蓮王/亀井海聖
イズミ :嵜本孝太朗/上垣廣祐
ハヤト :井上一太/池川侑希弥
ストーリー
作品の舞台は2XXX年の宇宙空間。この時代の少年たちは10代という若さで既に成人という扱いをされていた。荒廃し緑を失った地球の未来のため、彼らは宇宙船に乗り、資源を得られる他の惑星を探索するため命懸けの旅に出ていた。
緊急事態にも関わらず、キャプテンのルイと副キャプテンのイブキは意見の違いから衝突していた。
副キャプテンであるイブキは、キャプテンであるルイの下す判断に納得できない。ルイの意見はできるだけリスクを取り除いた方法であるのに対し、イブキの意見はハイリスクハイリターンともいえる方法だった。
板挟みになる部下たち。一度はキャプテンであるルイの指示に従うも、その後も緊急事態は続き、結果的にその後イブキが指揮を取ることで船は無事に危機を脱する。
その後、イブキは「ルイの指示に従っていたら全員が命を落としていたかもしれない」と強くルイを叱責する。引き合いに出されたのは、以前の外惑星探索でのルイの行動についてのことだった。
(回想)
「あの判断は本当に危険だったと思っている」……最初から自分の指示に従っていれば船員たちが危険に晒されることはなかった。優柔不断であるルイは果たしてキャプテンに適任といえるのか? と、イブキは苦言を呈する。
そしてイブキが提案したのは「キャプテン交代の是非を船員らに問う」という案だった。投票により、今後のキャプテンにふさわしいのがルイとイブキのどちらなのかはっきりさせようというのだ。
イブキは学生時代から、優柔不断であるルイがリーダーの位置につくことに対し疑問を持っていた。それにもかかわらず彼はルイの補佐役にばかり就かなければならなかった。心底辟易していたのだ。
動揺する船員たち。しかしルイは意外にもその投票に積極的であった。ただしルイはひとつだけ「ハヤトには投票をさせない」という条件を提示する。ハヤトには自身に助けてもらったという恩がある、気を遣わせるわけにはいかないから、と。
結局、ルイ・イブキ・ハヤトを除く船員9名の投票によって、今後ルイとイブキのどちらに指揮を取らせるのかを判断することが決まった。
投票は紙を使い無記名で行われる。ソウのもとに記入済みの投票用紙が集められ、すぐに読み上げられる。1票目——「棄権」。え、とその場の空気が滞る。しかしイブキは「棄権も立派な意見だ」と、あくまで票の多かった方をキャプテンに据える考えを変えるそぶりは見せなかった。
2票目——「棄権」。3票目——「棄権」。——棄権、棄権と開票は続く。ついに最後の用紙を開くソウ。——最後の票に書かれていたのは「イブキ」だった。
言葉を失う面々。これでキャプテンの座はルイからイブキに譲られることが決まる。ひとり、うつむいて顔を青くしていたのは船員のテンマ。その様子からして、イブキに投票した人物が誰だったのかは誰の目から見ても明らかだった。
テンマはルイに頭を下げる。その場の誰もテンマを咎めることはしなかった。しかし耐えかねてその場を立ち去ってしまうテンマ。仲間がその後を追う。そしてルイも、イブキに「キャプテンの席も副キャプテンの席も座り心地は変わらないから安心してくれ」と言い残し、その場を去る。
キャプテンたちのいない場で「みんな棄権したとは思わなかった」と突っ伏して泣くテンマ。「あの状況じゃ仕方ないよ」「テンマは正直者だ」など、思い思いの言葉で慰める面々。
その後、「みんなでUNOをやろう」とアサヒに誘われ、テンマらは別室に移動する。ハヤトとユヅキが部屋に残る。
ハヤトが活動のレポートを書いている横で、ユヅキは「イブキさんはキャプテンに適任だと思う」と声高に語り始める。ルイの判断に従っていれば死んでいたかもしれないのだからと。
するとハヤトは激昂し「ルイさんにはルイさんなりの考えがあったんだ!」と大声を上げた。ユヅキは机を叩き付けながら立ち上がり「僕たちはそのせいで死んでいたかもしれないんだぞ!」と言い返す。
その後、「ごめん」と立ち去ったハヤトは何かメモを落とした。拾ったユヅキは「これって……」と目を見張る。
ハヤトは自室に戻ったルイのもとを訪れ、活動レポートを提出する。それから「すみませんでした」と頭を下げると、ルイは「ひとつだけ言っておくけど、俺がお前を助けたのは、お前が弟だからじゃない。だから自分のせいだと思うな」と言う。
実は、ルイとハヤトは血の繋がった兄弟だった。「扉が閉まっていたら中の声は聞こえない」と、この部屋では敬語を使わず話すようハヤトに求めるルイ。
「どうだ? 憧れの探査団は」
「思ったより大変だよ」
「はは、そりゃそうだろ。簡単じゃないんだから」
キャプテンの弟として肩身の狭い思いをさせたくない一心からルイはハヤトとの血縁関係を隠していたが、ハヤトが宇宙探索クルーを志願した理由こそ、兄でありキャプテンであるルイの存在に他ならなかった。
「兄ちゃんに守ってもらってばっかりだ」と言うハヤトに、ルイは「俺はお前を守るって父さんと母さんと約束したんだ」と話す。
彼らは身寄りを失っている。たった2人だけの家族であるからこそ、その絆は他よりも強く、かけがえのないものだったのだ。
ルイはあぐらをかき、ハヤトはその隣に体育座りをし、しばし兄弟水入らずの時間を過ごす。
キャプテンを交代した一行は、イブキの指示のもと活動を続けていた。イブキさん、と呼びかけたソウに対しイブキは「コックピットではキャプテンと呼べ」と忠告するが、ソウは「いえ、イブキさんと呼ばせてください」と食い下がる。
そんな折、船内に警告音が響く。どうやら、宇宙船に積載されている小型船第7ポッドの修理が必要らしい。「大したエラーじゃなさそうだな」とイブキはハヤトに修理を命じる。ハヤトは命令通り持ち場を離れてポッドへ向かう。
活動は順調かのように思われたが、突然船内に緊急事態を知らせるアラートが鳴り響く。なんと、何らかの要因によって、船体の維持に必要なエネルギーが第7ポッドへ流れ出しているというのだ。
その上、第7ポッドの扉にはロックがかかり、ハヤトは無線での交信は可能ながら、脱出不可能な状態となっている。しかしこのままでは本艦が燃料切れを起こしてしまう。
何かこの状況を打開する策はないのか、——という矢先、船員のカナタがぽつりと苦しい提案をする。「船体から、第7ポッドを切り離せば」。……もちろん、そうすればハヤトがどうなってしまうかということは船員の誰もが分かっていた。
判断はキャプテンのイブキに委ねられるが、すぐに結論を出すことはできない。しかしエネルギーはみるみるうちに吸い取られていく。そこへ、アラートを聞いたルイが駆けつける。状況を把握したルイは「第7ポッドを切り離せばいいんじゃないか?」と提案する——その中にはハヤトが閉じ込められているのだと知らされ、彼は血相を変えてコックピットへ走り出す。
「あらゆる手は尽くしました」ハヤトの表情は存外明るいものだった。
「僕は外惑星探索で一度死んだ人間です」
「だめだ、またいなくなるために助けたんじゃない!」ガラス張りのコックピットを前にルイは崩れ落ちる。
未だ判断を下しかねるイブキに、ハヤトは無線で「切り離してください」と訴え続ける。そしてルイも苦しい表情を浮かべながら、ポッドを切り離すよう求め始める。
「本当にそれでいいんですか」と声を上げたのはユヅキだった。「ハヤトはルイさんの弟なんでしょう!」
イブキを含む船員全員が「えっ」と声を上げる。ユヅキはハヤトの落としたメモから彼らが兄弟であることに勘づいていたのだ。ユヅキの訴えかけにルイは「ユヅキ黙ってろ!」と声を荒らげる。ユヅキは悔しさから顔を伏せる。
泣き尽くすルイをよそに、ハヤトは切り離しを要請し続けていた。他の船員もイブキの指示を待っている。アラートが鳴り響き、船内が赤く光る中、判断は完全にイブキに委ねられた。
イブキは判断を下せない。キャプテン、キャプテンと呼びかけられ続けるが「今考えている!」と声を上げるばかり。
このままでは宇宙船のエネルギーが全てポッドに移行してしまい、探索は続行不可能になる。イブキは黙ったままだったが、周りに判断を求められ続け、それからようやく「第7ポッドを切り離せ」と指示を出した。10代の少年が下すにはあまりに重すぎる決断でもあった。
切り離され、宇宙空間に放り出されるハヤトの姿を、ルイはただ見送ることしかできなかった。無線のハヤトの声は明るく、「僕、守られてばっかりだったけど、やっと兄ちゃんを守ることができた」と言う。……やがて無線は受信可能な範囲を超え、プツンと通信は途絶えてしまった。
その後しばらくして、座り込んでいたルイは立ち上がり、自嘲するような笑みを浮かべながら、宇宙の果てを見上げる。
父さん母さん、ごめん、俺、ハヤトのこと守ってやれなかっ……、
やがて声を上げ、ルイは泣き叫び続けた。ハヤト、ごめんなあ、ごめんなあ、……。
「入っていいか?」自室に戻ったルイのもとをイブキが訪ねる。
——「すまなかった」。イブキは開口一番に謝罪の言葉を口にし頭を下げた。ルイはすぐに「あれはハヤトの判断で——」と言いかけるが、イブキは「俺にキャプテンはできない」と頭を下げたまま言う。
キャプテンになるまで分からなかった、キャプテンと副キャプテンは全くの別物だったと。ルイが判断を下せなかったのは優柔不断なせいではなく、副キャプテンとは比べ物にならない重さの責任を負っていたからだったのかと、同じ立場に立ってようやく気づいたのだと。
それからイブキが差し出したのは、先日の外惑星探索で得たサンプルの分析結果だった。とても良い結果が得られていた。これで胸を張って地球に帰還できる。確かにルイの判断は一行を危険に晒したが、結果的に正しかった。これで、地球の未来に貢献することができる。
そしてイブキは、もう一度ルイにキャプテンとして船を指揮してほしいと伝える。自分には2番手が合っているのだと。二つ返事とはいかないルイに、イブキは「じゃあこうしよう。これはキャプテン命令だ」と強く言う。
そうして再びルイをキャプテンに据え活動は続けられていたが、ある時またしても船内にアラートが鳴り響いた。
今度は、船内の機能が続々と停止し始めているというのだ。原因は究明中だが一向に分からないという。
船体は現在いずれの重力圏にも入っていない。このまま完全に停止すれば、船員らは宇宙空間で浮かび続けるだけ……ただ死を待つだけとなってしまう。何か手はないのか。彼らは必死に救援要請を送り続ける。
もう諦めるしかないのかと思われた矢先、さっきまでは音沙汰のなかったレーダーが何かの反応を捉える。隕石か何かか——と思われたが、ユヅキはそれがどうやら人工物のものらしいとすぐに解析する。プツプツと無線が入り始める。一行は注意してその無線に耳を傾ける。
……「こちら、小型船第7ポッド」
声の主はなんとハヤトだった。ハヤトは本体から切り離されたあとも、諦めずにその後を追っていたというのだ。
そして船員たちは「第7ポッドを船体と連結して、操縦不能になった本体をいずれかの重力圏内まで引っ張ってもらう」という方法を取る。そのためには船外での危険な作業が必要な上に、2人で息を合わせる必要があったが、イブキは「まあ、俺たちしかいないだろうな」とルイとともにその船外活動に臨む。
「イブキ、頼んだぞ」
「了解、キャプテン」
ルイとイブキは息を合わせ、無事連結を完了させた。そうしてハヤトにより宇宙船は再び操縦可能となった。喜ぶ船員たち。
宇宙船は速度を上げる。ルイは「未来のために、みんな、頼むぞ!」とクルーに呼びかけた。
感想・考察
※これ以降は個人の主観的な意見を多く含みます。ここで記述することが必ず正しいという訳ではありません。
ANOTHERとは違い、舞台に出ているメンバー全員に役名とセリフがあるところは何より魅力的だなと思った。新曲「We are」の歌詞にもある通り「ステージの主役はみんな」だった。
幕が開く前はWキャスト制での公演に少々否定的な意見を持ってしまったこともあったが、各々の出番が増えたことはもちろん、前半・後半のキャストの違いによる雰囲気の違いもあって、同じセリフでも感じ方が変わり、ストーリーを把握していても新鮮な気持ちで観劇することができた。
初演ということで、参考にできるものがまだない分、年下のメンバーも含めのびのびと演じている印象があった。中でも印象的だったのがBoys beの亀井海聖くんと上垣廣祐くん。積極的にアドリブを入れて挑戦しようとしているのが見て取れて、こちらも清々しかった。
また、外惑星にて火山活動の最中にハヤトとルイの元に駆け寄るイブキ(後半:岡﨑彪太郎くん)の演技についても印象的だった。
このシーンではイブキが防護服を着ることなく宇宙船から飛び出してハヤトらを救いに行くのだが、前半公演や後半公演の初めの方では特に何の違和感もなく船外に出ていた。
しかし、それより後の公演では大きく咳き込みながら船外の彼らの元に駆け寄っており、「防具なしでの船外活動は危険」という要素が明らかに加わっていた。これこそが初演の醍醐味なのだろうか、演じられながら少しずつストーリーや人物像が固められていくようで、その瞬間に立ち会えていることが嬉しくてたまらなかった。
他にも、同じシーンに「無線のイブキからの指示が煩わしく、ルイがヘッドセットを外す」という演出があったが、これに関しては前半公演でのみ行われていたように思う(拓哉くんはやっていたが斗亜くんはやっていなかった)。Wキャストゆえ、演者によって解釈や演じ方に違いがあり、何度観ても飽きない舞台だった。
彼らはこの公演の合間に先輩グループのバックダンサーを務めていたため、スケジュール的に厳しかったのだろうと察するが、これだけ面白い舞台にも関わらず、前半チームと後半チームの演じ方を観比べる(後半を見た後にもう一度前半を観る)という楽しみ方ができなかったことは少し残念だとも思った。同じメンバーでの再演は難しいかもしれないが、これは次の機会に期待したい。
世界観についての考察
この舞台を観てまず考えたのは、「何をもって彼らを成人とみなすのだろうか」ということについてだった。
舞台設定上は彼らは成人という扱いをされているが、見た目や声はまだあどけない。作中でも空き時間はUNOをし、イタズラの方法としてブーブークッションを提案する。カレーライスとハヤシライスの区別はついていないし、他人丼も親子丼と言い張る。それに、一刻を争う大事な場面でトイレについて言い合いをする。キャプテンと副キャプテンがだ。
そんな彼らをただの少年ではなく2XXX年における成人とみなすときに、彼らには子供との圧倒的な違いがあることに気づいた。
それは「責任の有無」である。
おそらくだが、これはスペジャニにおけるひとつのテーマなのではないかと思っている。
どうしても比較したくなったのが、4月に公開された映画「ぼくらのサバイバルウォーズ」だ。少年忍者とLil かんさいが主演を務めたこの映画では、ボーイスカウトを題材に、若い少年たちがぶつかり合いや助け合いを重ねながら人間として成長していく様子が描かれている。
ぼくサバもスペジャニも、10代の若者を扱っているという点では似通っている。しかしやはり彼らは違う。大人であるかどうか……つまり責任を負っているかどうかという点で全く違うのだ。
ぼくサバのストーリーについては割愛するが、作中で登場人物らは子供だけで山を登ったり、山奥の廃工場を目指したりするという場面がある。
その中で、足を引きずりながら登山を続けたひとりの少年が崖下に落ちてしまうという回想シーンがあるが、その際仲間の団員がとった行動は「すぐに大人に連絡して助けてもらう」というものだった。
また、彼らが山奥の廃工場にたどり着いた際にも、居合わせた警察官に「保護者が心配しているから今すぐに下山しなさい」と指示され、従う様子が描かれている。
主体性を持ち、自分たちだけで物事を解決していくことが重要視されるボーイスカウトでさえ、緊急時には大人の力を借りる必要がある。その理由こそ、彼らがまだ子供だからなのだ。どんなに優れたボーイスカウトのリーダーも、まだ大きな責任を負うことはできない。あくまで大人の管轄内であるという条件付きでボーイスカウトとしての活動を行っている。
しかしスペジャニはどうだろう。
スペジャニの登場人物は常に何らかの責任を背負っている。ルイ・イブキ・ソウはもちろんだが、例えばルイの弟であるハヤトなら「自分が外惑星探索で迷惑をかけてしまったためにチーム全体を危険に晒してしまった」、投票の際ひとりイブキの名前を書いてしまったテンマなら「自分が空気を読まなかったためにキャプテンを交代させてしまった」など、彼らは自分がしたことに必ず責任を感じており、決して放棄しない。そして問題は必ず彼ら自身で解決する必要がある。時には彼らの判断が生死を分けることもある。
ぼくサバとスペジャニの大きな違いは時代背景だけだ。スペジャニの登場人物だって中身はまだ幼い少年なのである。最年少キャスト(船員役)が中学1年生だったため、設定上はそれと同じくらいか、それより下……現代でいう小学校高学年くらいの少年がクルーとして搭乗している可能性もある。そんな彼らが、地球の未来という重すぎる責任を負っている。このことが異常視されないのがスペジャニの世界だ。
私はこの時代背景をかなり恐ろしく感じる。
若い少年たちが成人扱いをされているということは、少年と大人の間の時期をすっ飛ばしているということだ。その時期は思春期ともいう。
多くの若者はこの思春期を経ることで、子供である自分/大人になっていく自分のギャップに苦しみつつ、悩みながら成熟していく。子供と大人が入り混じる特別な時期だ。こう言っちゃなんだが、この時期の少年を応援するのが好きでJr.担をやっているというオタクも多いのではないか。
スペジャニの世界では、子供はこの時期を経ないまま大人になる。作中で誰もこのことを異常だと思っていないところにも、私がこの設定を普通に受け入れてしまったことにもゾッとする。物語とはいえ、2XXX年の彼らは確かに成人した大人としてその時代を生きている。本来、彼らの成長のために消費されるべきだった時間を、地球の未来のために費やしている。そして彼らは若さゆえその残酷さを知らない。
本来ならルイもイブキもソウもまだまだ子供のはずなのだ。もちろん他のクルーたちだってそうだろう。しかし彼らは劇中で「帰りたい」「寂しい」のようなネガティブな発言を一切しない。そればかりか常に地球の未来を案じている。これは彼らの使命感から来るものなのか、はたまた、2XXX年の教育が彼らをそうさせたのか。
きっとこのような見方をするべき作品ではないのだとは思うが、全員生還というハッピーエンドを遂げたにも関わらず、観劇後ぱっとしない気持ちを憶えた私は、その理由を探らざるを得なかった。
ただしスペジャニのストーリーは紛れもなくハッピーエンドだ。何より、地球に生還したルイたちに平穏な生活が待っていることを望むばかりである。
重なる部分
2021年に上演された舞台「ANOTHER」、そして先ほども今作と比較した「ぼくサバ」を始めとする、ジャニーズJr.が多く出演する作品というのはやはり現実の彼らと重なる部分を楽しむことも醍醐味のひとつだ。例えば登場人物の関係性、主人公たちが直面する問題などがそうである。
スペジャニも例に漏れず今のLil かんさいと重なる部分を持っていると思う。
Lil かんさいはご存知の通り、「メンバー全員が中学生」という触れ込みで2019年1月に結成されたグループだ。彼らはすぐに「全員高校生」となり、ついに2022年の3月でその肩書きからも卒業することとなった。
結成が早かったために、Lil かんさいは平均年齢18.4歳にして結成4年目を迎えている。Boys be、AmBitiousと後発グループの活動も目立ってきており、Lil かんさいの立ち位置は既に中堅であるといえる。
しかし、彼らを指すとき人は「リトル」と言う。
Lil かんさいの置かれた状況はかなり難しい。
彼らはこれまで、その名の通り「リトル」なイメージを求められてきた。小さく、かわいらしく、あどけない5人組。当時、同じ関ジュという括りにいた絶対的な王道グループ・なにわ男子との差別化を図る上でも、「リトル」を押し出すことは必要だったのだろう。
しかし、彼らはずっと「リトル」のままでいるわけにもいかない。
なぜならBoys beの存在があるからだ。彼らもまた現役中学生ばかりで結成されたグループであり、「リトル」感を求めるならば今やBoys beの方が適任である。その後ろにも21年組が控えており、Lil かんさいはいつしか先輩の立ち位置にいる。
小さく、かわいらしいものであることを求められてきたLil かんさいだが、近頃はそうして急激な成長を強いられているのだ(アイドルとして生き残るために必要なことではあるが)。
スペジャニの感想を噛み砕いたとき、「子供が段階を踏まずに(思春期を経験せずに)大人扱いをされる」という舞台設定がどうもこの状況と重なった。
言ってしまえば、Lil かんさいのメンバーはまだ「甘える側」でもおかしくない年代だ。最年長である拓哉もまだ19歳。成人年齢であるとはいえ「大人だから」と括られるにはまだ早すぎるのではないかという気がする。
しかし世に出るならばそんなことは言っていられないだろう。経験を積んだ20代半ばのJr.とも争っていかなければならない世界だ。ひとたび事務所の枠を出たならば他事務所のライバルとも戦わなくてはならない。
彼らは既に「大人」として扱われている。
しかし彼らはまだ「子供」でもいいはずの年齢だ。
大人であり関ジュの中堅組であることは紛れもない事実なので、彼らがこのことで弱音を吐いたり、ネガティブなことを言うことはまずない。まだ、ある程度は誰かに甘えて、誰かの背中を見てもよい段階だと思うのだが……それは私に危機感がなさすぎるだろうか。
そしてスペジャニの舞台は宇宙。どこまで広がっているのかも分からない真っ暗な空間。その先に求めていたものがあるとは限らない、その先にあるものはブラックホールかもしれない。けれど目的のためには進むしかない。「Space Journey」とは、きっとジャニーズJr.が生きる世界のことだ。
ちょうどこの夏は、詳しくは書かないが、Lil かんさいに関して悔しいと感じる出来事が多かった。
そんな中でのスペジャニ。きっと私は、5年経っても、10年経っても、この舞台とともに2022年のLil かんさいが置かれていた状況を思い出すのだろうなと思う。そうして思い出すたびに彼らをもっと好きになるのだろう。
さいごに
やたら難しく書いてしまったが、スペジャニはここに書いていないようなギャグシーンや日替わりのおもしろ要素など満載の楽しい舞台だった。前半のハル(浦くん)のアイドル擬人化が見られたり、後半のハル(角くん)とアサヒ(楽)が愛してるよゲームをしたり、異星人役のキャストが日替わりでメンバーの暴露話をしたり。アドリブも本当に面白かった。
と同時に、今は小さいBoys beのメンバーが数年後にはルイやイブキを演じているかもしれないと思うとかなり感慨深いものがある。
この素晴らしい舞台の初演をこの目で見届けることができたことを心から誇りに思っている。少年たちやANOTHERなどと並ぶくらい、スペジャニという舞台が今後も松竹座で愛され続けることを願う。
かなり長い文章になってしまった。ここまでお読みいただいた皆様に感謝したい。
この夏でスペジャニは一旦千秋楽を迎える。きっとこの舞台も、その時々の関ジュに寄り添って成長していく作品になるのだろう。再び幕が開くとき、私たちはどのような思いでこの宇宙を見つめるのだろうか。