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ちゃんしーのサンシーブルな人生#10 3人

これまで、私の爆誕から華のJK突入まで投稿してきましたが、その間に運命的な出会いがありました。記念すべき#10では、私を語る上で欠かせない存在について綴ります!

13歳の夏。野球にハマっていた私は「おおきく振りかぶって」(おお振り)というアニメを見ていました。

♪きらきら光る青春ラインを~

あ、オープニング変わった!と思ったのも束の間、私の耳はその音楽に夢中になりました。

なに、この透明感あふれる声!!

これが運命の出会い。最初のフレーズで耳と心がグワッと捕まれたような、衝撃的な出会いでした。

青春ライン

透き通るような歌声とキャッチーなメロディに夢中になっていると【いきものがかり】という名前の人が、この【青春ライン】という曲を歌っているらしい!という事がオープニングで分かりました。
続けて見ていると、聞いたばかりの「きらきら光る…」という音楽とともに CDのCMが始まりました。
「この人たちがいきものがかり…!!3人なんだ、この女の子が歌ってるんだ!」と一気に、いろんな情報を手に入れました。

当時まだ2つ折りの携帯電話を持っていた私は、着うたを取って良いか、母に直談判。
CMで着うた配信中って書いてあったから!!
当時はパケット通信もバカにならないからと、何かと親の承諾が必要でした。
OKをもらって、検索をかけ、無事に着うたをゲットしてからは、サビの部分だけをずーーーっと聞いていました。(リリース前だったから着うたフルじゃなかった!)

8月にCDがリリースされることを知って「私このCD買いに行きたい!」とカウントダウンしていたことを今でも覚えています。
元々知らなかったグループなのに、最初のあのフレーズで恋に落ちたような感じでしたね。一目惚れならぬ、一耳惚れでした。
(のちに、路上をやっていた時に足をとめてもらうため、頭サビからスタートする曲が多いというエピソードを聞いて、まんまと引き込まれていたことが判明!笑)

▼初めて買った夏空グラフィティ/青春ラインのCD!!持ち運んでいたので年季が!笑

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フルネーム

それからというもの、CDをリリースする度にお店へ買いに行くようになりました。
茜色の約束を買った時、初めてメンバーの名前がローマ字表記されているのを見て「きよえって読むんだ!ほたかって読むんだ!」と、ようやくメンバー3人のフルネームが分かるようになりました(笑)

もうそこからは怒涛の如く、まさに沼にハマるようにいきものがかりに夢中になっていき、いつかライブに行ってみたい!!と思うようになりました。

私がちょうど沼落ちしたあたりから、いきものがかりさん怒涛のリリース!あっという間にCDが溜まっていったし、知名度がどんどん上がっていって「昨日Mステにいきものがかり出てたね!」と中学校の友達からも言われることも増えていきました。

ファンクラブ

時は流れ、自分でお金を稼げるようになった高校生のとき、ファンクラブに入りました。
高校で一番の仲良しだったみさきちゃんも、いきものがかりのことを知っていて、一緒にライブに行ってみたいね!なんて話もしていファンクラブに入ったおかげでチケットをとることもできて、人生初のライブはいきものがかりに捧げられました👏👏

部活終わり、みさきと部室を勢いよく飛び出して横浜アリーナに向かい、いざ3人が登場すると「本当にいるんだ…!!」と感動したことは、一生忘れないと思います。

高校を卒業するまでは、近くで開催されるライブやイベントに、みさきや親戚の子と行っていました。ファンクラブイベントは一人でも勇んで行きました!
これまでの、サンシーブルな人生を読んでくれた方は分かると思いますが、もう1人で電車に乗れない…なんて私の姿はどこにもありません。(笑)

高校時代は、いつもの仲良しメンバーでカラオケに行くことが多かったのですが、最後の1曲はちゃんしーの歌うじょいふるで、みんな踊り狂って締める!というのがお決まりでした💃🕺
聖恵ちゃんがオールナイトニッポンをやっていた時は、録音したものを通学中にニヤニヤしながら聞くのも楽しみで、青春時代はいきものがかりの音楽とともにありました。

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遠征

大学生になると、友達の友達という縁から、いきものがかりファンの知り合いの輪が、どんどん広がっていきました。基本的には近くのライブに行っていた私ですが、全国各地にいきものがかりで繋がった友達がたくさん出来ました。(以下いき友と呼びます)
同い年のグループでワイワイしたり、住む場所も年齢も違う友達と交流したり、いい刺激になっていました。

ライブがてら旅行をする、という楽しみ方をしている人もいて、私も行きたい!!と大学の勉強をしながら、バイトに励んだこともありました。

初めての遠征は大阪で、現地のいき友さんに美味しいものを教えてもらったり、案内されて大阪を満喫したり。ライブ以外にも、楽しい思い出がたくさん、たくさん出来ました。

この時に出来たいき友のなかには、今でも連絡を取りあって、ライブ関係なく遊びに行く人もいます。学校の友達でも職場の人でもない、いきものがかりが好きで知り合った仲間たちだからこそ、話せることがあるんですよね。大切な人たちです。

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▲同い年のみんなが全国から幕張に集合!
▼同い年グループで旅行に行った時もいきものタオルで記念撮影!

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15年

タイムリーな話題になりますが、先日メンバーのほっち(山下穂尊さん)がこの夏でグループを離れることが発表されました。
ちょうど、3人体制ラストとなるライブの日はチケットを取っていたので、同い年のいき友と一緒に見届けてきました。

とってもとっても寂しいです。あんなにわんわん泣いたのに、2日間もライブ行ったのに、まだ信じられないです🥺
次のライブもまた3人で出てくるんじゃないかなって思っちゃうくらい、最後まで【泣き笑いせつなポップ3人組】でした。

ライブ我慢が続いてたから、ライブに来れたというだけでも胸がいっぱいで、涙が止まりませんでした🥲人生初のライブがいきものがかりだったから、その時の衝撃や、感動に近いものを感じました。
大好きな人達がステージにいて、間に他の観客の揺れがあって、重低音が地響きみたいに体の真ん中まで届いて、照明がまぶしくて美しくて…
この上ない幸せに体が喜んでいました。

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▲デビュー曲から最新のアルバムまで揃っています!
高校生の時、本厚木にあった【じょいふるミュージック】に行って、持っていなかったCDを大人買い!笑


デビューからの約15年、私の生活にずっといきものがかりの音楽がありました。人生の半分以上、3人の紡ぐ音楽を浴びて生きてきました👣
いつも寄り添ってくれて、変わらずそこにあってくれて、どれだけ救われたことか。
私の人生を3人の音で彩ってくれてありがとう。そして、いきものがかり3人の青春を見せてくれて、分けてくれて、本当にありがとう。
最後のライブでは、3人が路上時代の顔になっていたような気がして、とっても楽しそうで…そんな姿が心に残ってます😌✨(路上時代の3人を、実際に見たことは無いんだけれど)

2人になる、新?神?シン?いきものがかりも、違う道を歩いていくほっちのことも、変わらず応援していきます。今までたくさんたくさんありがとう。

人生初のライブも、遠征も、全国に友達ができたのも。きっかけは全部いきものがかりでした。このサンシーブルな人生をシリーズで書いているのも、聖恵ちゃんのキヨエノオトに感化されたことが一つの理由です。

高校受験をするときも、大学に合格したときも、社会人になったときも。ずっとそばに、いきものがかりの曲がありました。
この曲をよく聴いていた時は、あんなことしてたなあって、良きも悪きも鮮明に蘇ります。
きっとこの先も、いきものがかりの曲とともに生きていくのだと思います。

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輝いた今日に感謝と 惜しみなく続く拍手を


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