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10年前の口喧嘩

祖父の人柄

農家生まれ農家育ち。
戦争の最中に生まれた為、学力は乏しく読み書きはあまり出来ない。
沢山の兄弟に囲まれて、揉まれて育ってきた。
数人の友人がおり、旅行が大好き。
愛煙家で、酔ったら食卓の小皿を灰皿にしていた。
亭主関白で家事はできないししない。
たまに農業を祖母に任せてパチンコに行く。
認知症になる前の祖父はそんな人だった。

私が物心ついた頃の祖父は"明るく声が大きく、よくパチンコと旅行に行く"という人だったが、少しずつ気性が荒くなり"自分の思い通りにならないと怒る"という人にに変わっていった。

「お風呂掃除がてらであっても、祖父より先にお風呂に入っていると祖父に怒られる」
「祖父がついていけない話で、食卓が盛り上がると祖父に怒られる」
「食卓でテレビを見て笑っていると祖父に怒られる」
私達兄弟は祖父に怒られるとうんざりし、母や祖母は怒られないようフォローしたり庇ってくれていた。

祖父の友人が亡くなったり、難聴が悪化し補聴器となったり、色々なことも要因としてあるがおそらくこの頃から晩年までの15年〜20年程度認知症による怒り認知の症状が出ていたのではないかと思う。
そのくらい、祖父は感情のコントロールが難しくなっていた。そして家族も、もともと亭主関白で怒ることはあるがだんだん激しく突発的に怒るようになった祖父を認知症とは理解できず困惑しながら対応していた。


そんな中、祖父と父の2人が大きく仲を悪くしたのは、10年前。
きっかけは愛煙家の父が吸っていた1本の煙草だった。

10年前の喧嘩


私の両親はお見合い結婚だ。
父は所謂"マスオさん"としてこの家の婿養子になった。
農家生まれで亭主関白の祖父"波平"とTHE会社員の"マスオ"は考え方が合わず、当初から特別仲は良くなかったそうだ。

父は釣りと酒と煙草が大好き。
工具や機械を触るのが得意で、何かが壊れると修理をしてくれる。
意見ははっきり言うが仕事の愚痴は一切漏らさない。その代わり、その愚痴を煙草の煙で吐き出しているんだと私は思っていた。
「煙草を辞めるくらいなら死ぬ」父はそのくらいの愛煙家。

ある日リビングで夕食後に煙草を吸っていた父に対し、隣に座っていた母が少し煙たそうに顔をしかめた。
それを見た祖父が「タバコを吸うな」と言い「貴方も昔吸っていたじゃないか」と父が返し口喧嘩になった。
売り言葉に買い言葉で、どちらもお酒の勢いもあり大声での口喧嘩となった。
大声だったが、あくまで口喧嘩だった。

祖父と父の口喧嘩は珍しかったが、「また祖父が荒れて今度は父と喧嘩になった」程度にしか私は思っていなかった。そのくらい、祖父の気性の荒さは当時から珍しくなかったように思う。

その後、しばらく冷戦のような状態が続いた。父の捌いた刺身を出された際に祖父が「こんなもん食えるか」と一蹴したことで再度口喧嘩となった。

この10年前の口喧嘩が、"父が祖父へ暴力を振るった"ということにされてしまうとは当時誰も思わなかった。




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