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うつのこと。4〜「ストレスとうまく付き合う」ってどういうこと?〜

ストレスに鈍いわたしたち

先日、私と同じくうつ傾向のある友人と話していてふと気付いたことがある。

私たちって、
△ ストレスに弱い わけじゃなくて、
◎ ストレスに鈍感 なんじゃない?

友人は繊細な感性の持ち主だが、話していて「ストレスに弱いタイプだな」などと感じることはない。むしろ、我慢強く、ストレス耐性は高そうに思える。
けれどもしかして、その我慢強さが裏目に出て、ストレスによる問題が起こりやすいのではないか。

実はそうした気づきは以前にもあった。
私は昨年から彼氏と同棲をしている。一緒に暮らしていて違和感やすれ違いもなく、穏やかに暮らしている中で、「この人は私とは違うな」と思ったことが一つある。
それは、私が「そういうもの」として無意識に受け入れてしまいがちな生活の中の小さな不便に、彼はすぐ対処するということだ。

たとえば、いま住んでいる家ではキッチンが実家より狭く、収納も少ない。
ある日彼氏がキッチンの流し脇にぴったりと収まる水切りラックを導入した。
※こういうやつ
https://item.rakuten.co.jp/rack-town/mm-700076/?scid=wi_ichi_iphoneapp_item_share
それまでは流しの左半分を古い水切りラックに占領されていたので、そういえば狭くて洗い物がしにくかった。地味にストレスだったのに、便利になるまで気づかなかった。

それに気づいて、私は「なるほど、対処すれば生活の中で積み重なる小さなストレスは減らせるのか」と理解した。
こうして文字にすると、今なら自分でも「そんなの、当たり前じゃないか」と思えるのだけど、私は自分とは違う人間と暮らすまで、その小さなストレスの存在にすら気づいていなかったのだ。

いま思えば、実家は「我慢の家」だった。
何か不便があっても「仕方ない」と受け入れ、大きな不都合が起きるまではその不便は見えない。
彼氏という比較対象ができるまで、私は自分が我慢しているということに気づきさえしなかった。
私は、ストレスに鈍かったのだ。

我慢強いこと ≠ ストレス耐性が高いこと

ストレス耐性が高いというと、多くの人は我慢強い人を思い浮かべるだろう。
それは間違いではないけどイコールではない、と私は思う。
我慢強さをストレスを受け止める器にたとえるとする。
器が大きい人 = 我慢強い人 は、器の小さい人より大きいストレスに耐えられるかもしれない。
しかし、我慢強い分、ストレスをギリギリまで溜め込んで放置してしまっていたら、ある日器が小さくても大したことないような小さなストレスで爆発してしまうかもしれない。
また、器の大きさが同じ人が同じストレスを受けた時、どちらか一方はストレスを溜め込んでいなくて、もう一方はギリギリまで溜め込んで耐えていたとしたら、溢れてしまうのは溜め込んでいた方だ。


ストレスが小さい(重なっていない)うちに対処して溢れないようにすることが習慣づいているかどうかも、ストレス耐性の要素の一つではないだろうか。
そして、その習慣を生むにはまず、ストレスに気づくことができる必要があるのではないか。
私や友人は、まず自分がストレスを受けていることに気づいていないのではないか。

症状としてのストレス耐性低下

うつ状態というのはストレス耐性がとみに低下するというのが私の体感だ。
とにかく傷つきやすい。それだけではない。普通の状態なら低反発枕のようにしばらくすれば元に戻れるが、うつがひどい時は生花用の緑の吸水スポンジ(商標名で言うなら「オアシス」)のように、ズブっと押したら元には戻らない。小さなストレスが積み重なり、心がグズグズになっていく感覚がある。
ゆえに、うつ状態においては極力「ズブっと押さない」(=ストレスを受けない)ことを心がける(ちなみにストレスには、精神的なものだけでなく、寒さ、痛みなど身体的なものも含まれる)。

回復への道標

うつ状態が回復し始めてから、「とにかく、ストレスを減らそう」と心がけ、今ではうつになる前よりもストレス耐性は高くなったとさえ感じている。
それは前述したようになるべくストレスを受けないことを心がけるようになったからであり、それにはある意味ストレスに敏感になること、つまり自分がストレスを感じていることに気づけるようになることを必要とした。
私の場合、生育環境の異なる他者との生活がそれを助けてくれたが、誰かにとって、このnoteを読んだことが同じように助けとなってくれれば幸いだ。

よろしくお願いします!