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自分を理解されたいけどその辺の軽薄なヤツらとつるむなんてごめんだって思ってたあの頃の私の話

オタク以外の人と普通に会話することができなかった頃、クラスの明るくて爽やかな女子の話すタイミングや声のトーンをひたすら観察していた。

話しかけてくれた時にも、相手が笑顔なら同じように笑顔で返したり。
爽やかかどうかはわからないけど、それなりに明るく話せるようにはなった。

「あの子たちを見習おう」と思えるようになるまでは、「あいつらは軽薄で中身がない。私は深い繋がりを求めている」とか思っていた。
今思えば、「私はあの人たちのように振る舞えなくてもいい。なぜならば〜」という言い訳だったんだけど。

深く繋がれる相手を探したければ、広く浅くいろんな人と付き合ってみて、お互い深く踏み込んでも心地よいと思えるラインを探っていけばいいんだ。
「最初から私の本質をわかってくれる人」を探したくて、「オッスこれオラの本質!いっちょやってみっか!」と相手に出会い頭に投げつけて、受け止めてくれた相手だけと交流していた。
そんな風にたまたま投げたものが受け入れてもらえたところで、他の部分で合わないことも多い。
合わなくても、コミュニティが深く狭ければ離れにくい。

オタクコミュニティやイベントでの揉め事の最大の原因って、ここだと思う。
相手の人となりをよく知らないうちから、一つの共通点をもとにオフ会で集って、他の部分で地雷な相手と仲良く過ごさなきゃいけない。
そして噂は、「あいつ凄まじい地雷だった」と与太話として駆け巡る。

もちろん、明るくて爽やかに広く浅く付き合ってもそういう危険性はあるんだけど、広く浅く付き合っていれば、「あ、やばそう」と思ったらすぐに距離を置くことができる。
それ以上深く相互理解を求めようとすると、いじめなどに発展する。

これは私の黒歴史なんだけど、おそらく結構な人に流れ弾が当たると思う。

自己紹介で割とコアな趣味とか、一部の人にしか通じないノリを出して、場の空気がいたたまれない感じになるやつ。

広く受け入れられていないものは、手札から出せるのがかなり後になる。
人となりがわからないうちに出すと、「ヤバいかもしれない」と警戒されてしまう。

ここでこのたとえを出すのもまた「後に出すべき手札」ではあるんだけど、「遊戯王」にたとえさせてほしい。
モンスターを生贄に捧げないと召喚できないのに、「おれの最強のカード!ブルーアイズホワイトドラゴンだぜー!!!」と1ターン目の初手からやらかしてる感じ。

まず大多数の人との共通言語から入り、そこから一対一の共通言語を探っていく。
そうすることによって、「私はあなたと共通の文化基盤を持っており、コミュニケーションが可能な相手です」と示したうえで、個人同士の交流を始めることができる。
ドラマや漫画ではほとんどの場合、こうした共通言語の探り合いの部分は物語に無関係なためか、省略されたり印象を薄くしたりして作られていて、挨拶したと思ったら一対一の交流が始まってしまう。

「今日から転校してきたA村B子です」「あー!お前はあの時の!」

これは極端な例だけど。
実際のコミュニケーションはもっと綿密に、慎重に行われている。
しかも、コミュニケーションに抵抗のない多くの人は、無意識にそれを行なっている。

私には無意識にそれを行なうことができなかった。
だから、クラスメイトの女子が何をいつどんな風に行うことで円滑にコミュニケーションしているのか、観察して読み取って学ぶことで、コミュニケーションが可能になった。

「同じように話しかけてるのに、私が話しかけた時だけ静かになる」
そこでいじけていたら直せなかった。
「この子たちを見習ってみよう」と思えたのは、その明るく爽やかな女の子達が私に気負わず話しかけてくれたからだ。
もし向こうからの働きかけがなければ、ずっといじけたままだったかもしれない。

そのチャンスを見逃さずに頑張ってくれて、ありがとうな、あの頃の私。
おかげで今、すっごく楽しいよ。

よろしくお願いします!