ゆれる
「ゆれる」オダギリジョー主演の映画だ。男兄弟の弟として演じるオダギリジョーは、田舎から上京しカメラマンとして一旗揚げ、売れ始めてきたころ、母の一年忌に際して実家に久しぶりに帰省するところから始まる。
実家では、兄が実家のガソリンスタンドの跡を継ぎ、一生田舎という押し入れにギューッと押し込まれている様子が描かれている。
久しぶりの帰省、弟は昔の彼女とガソリンスタンドで再会する。兄はこの女性と付き合いたいと思っていた。
そこで、兄弟とその彼女とで昔よく行った桟橋に行くことにする。
兄は高いところは苦手で、弟はサッと向こう側へと渡り、兄と彼女は二人きりになり、女は兄の手を振り払い、橋中腹まで行き、そこへ追いかける兄。
ここでもみ合いになった両者は、彼女が橋から落ちて死んでしまったところから、兄弟の感情や周辺の環境などを読み取っていくことで、ラストシーンの考察がはかどるという流れになっている、と感じた。
私は、今まさに向こう側に渡れずに、橋に落ちるか、刑務所に入るか、それくらいのスピードで落ちているような気がする。
実家のために、我慢する兄。本や映画を見ていくれれば分かると思うが、終始兄が、内に秘める心をさらけ出さず、我慢し笑顔でいるところがとても不気味に思えるし、一瞬の素が出たときには、見てはいけない物を見てしまった感がとても強く感じれた。
実家に縛られた兄。ここに、私に通ずるものがあると思った。兄弟の一人は海外、もう一人は、どっかの都道府県にいる。お互いのことをよく知れない。兄弟は、年に一度も帰省せず、2~3年ほどたっている。そして、親の事を考えると実家の近くにいなきゃいけんし、父は映画のような頑固もんで、母は良いように使われているし、その様子を小さい頃から見ていると、やはり、母のために戻った方がいいのではないか?と逡巡するのだ。
だが、実家の近くでもあまり寄りたくないから、都心の大学に行ったのに、もう一度嫌な所に戻るのも、、、と考えてしまい、ギュッとなる。
母は父の生贄になって欲しくないし、私も生贄として戻りたくもない。
正直、そういう感情があるから就活もしたくなくなったのかもしれない。どちらも裏切るからだ。自分の思いにも、母に対する思いにも。
都合の良い言い訳を並べているだけなのかもしれない。
だから、私は「ゆれる」という映画に、恐ろしさを感じた。自分が見ていた風景がそのまま、映像として出されたような気がして、不気味だし、将来、私もこの映画の兄のような感じになっちまうのか、、、と。
家族は大切だが、恐ろしいことに家族は、とても厄介で、すぐに縁の切れる友達でもないのだ。私と家族は、切っても切れない。だって、血がつながって、ずぅーっと育ててくれた人々だからだ。
頭が重い。
嫌だなぁ。 映画でも見よ。
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