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中絶手術から一年後に抱える悩み

中絶について、どう向き合うことができるのか、実体験を振り返りながら綴っているnoteですが、実は先日自分が中絶手術を受けて丸一年が経ちました。

その時のパートナーとは今も一緒に暮らしていて、命日のような日は二人で心の中で祈りました。

そう、前向きに解決したいと思って文章を綴る一方で、私も自分の生活では今も日々中絶体験と葛藤しています。

正直、立ち直るのには時間がかかると腹を括っていたものの、丸一年経ったか……と思うといろんな感情がうごめきます。今回は、日々の中で私自身が「今」向き合っている問題について具体的に書いていきます。


◼️セックスに以前ほど喜びを感じない
性的な欲求は強い方だったのですが、中絶体験を通じて性欲がぐんと減りました。自分一人の悩みにとどまらず、パートナーとの関係性に影響を与えてしまう問題なので、改善させたい気持ちがあるものの、今も正直どうやって乗り越えていけばいいのか模索中です。

回数でいうと4分の1かそれ以下になりました。性欲が低下しただけでなく、実際にその状況になると身体的に拒絶したくなったり、全く濡れなかったり、行為中もいろんなことを考えてしまいます。シンプルにセックスを楽しむことができなくなりました。

「相手にセックスを求められても応えられない」ストレスは一年続くと拒む側も積み重なるように、言葉にはしないけど相手にもあると思います。今も、たまに相手の気持ちを勘ぐって不安になっては落ち込むことも。

その時はできるだけ、自分がなぜセックスが怖いのか、できるだけ相手にわかるように言語化するようにしています。理解してもらえなくても、知ってもらえるだけでこちらも安心しますし、相手も幾分か状況を共有できるから。

追記(2020/3/29):
先日、初めてオンラインカウンセリングを受けました。臨床心理士の方に「あなたの何がトラウマなのか」と(話の節々に3、4回)聞かれ、なんとかひねり出した言葉が「あの手術台にもう戻りたくない」でした。

私は諸事情があって、中絶手術を3回経験しました。3回目、心も体もボロボロで、なんでこんな目に合わなければならないんだ、と思った強い感情が自分の中で風化してなかったのだと思います。

わかったからと言ってすぐよくなるものじゃないんだけど、言葉にできたことが大きな節目になりました。いつか消える痛みだろうと我慢せず、話せる人に話し続ける、知人友人だと気が引けるようなら、オンラインでカウンセリングを受けてみたりするのもおすすめです。

個人的には今も、無理に「がんばらない」のがいいと思ってるので、今も自分の気持ち次第でセックスには応えています。ペースも自分で誘導するようになりました。そしたら段々と怖くなくなった。ゆっくり行こう。


◼️「もしも生まれていたら……」と成長をふと想像してしまう
悲しい想像だとわかってはいるのですが、せずにはいられません。今ごろ6ヶ月だ、出産時期だ、などと頭の中で、命が成長しているんです。

これを相方に話したら驚いていました。中絶当時から、彼は常にサポートを全力で行ってくれましたが、やはり肉体で体験していないので、感情も風化するし、嫌な思い出は忘れるように人間はできているんだな、男と女の違いでもあるな、と認めざるを得ない瞬間が今でも時々あります。

なんでこんなに頭に染み付いてるのかなと思いつつ、あの体験を決して忘れたくない自分もいるんですよね。

いろんな意味で学びの多い経験だったし、わずかな時間でも立派な命だから。私はいつも頭の片隅で考えているんだってことを、これも相方にはたまに話します。それで幾分か救われているように思えます。


◼️取り戻せない過去の日常に対して喪失感を抱いてしまう
妊娠が発覚し、中絶を決断した当時は、深夜0時近くまで会社で働いていた馬車馬時代(笑)でした。精神状況も常にギリギリなのにさらに追い討ちをかけられたようで、早く体のことを心配せずに「日常に戻りたい」と願う気持ちが大きかったです。

しかし、これも運命なのですが、1度目の手術の後もなかなか妊娠反応がなくならず、結果的にもう2回、計3回も中絶手術を行いました。期間にしたら1ヶ月半くらいの間での出来事でしたが、なぜ妊娠反応がなくならないのか、理由も不明瞭で、最後の手術の前には「一種の癌のようなものの可能性がある」とまで言われて、子宮摘出も可能性はゼロではないと伝えられました。

避妊具が破れてしまった後、なぜかその時緊急避妊ピルの存在を思い出せず、結果的に避妊に失敗してしまった当時の自分をあためて責めました。そして予定外の妊娠をしてしまったがために、結果子供が産めなくなる体になる可能性がある事実を受け止めきれず、いっぱいいっぱいだったのを覚えています。病院の設備の理由上、転院も必要で経済的・精神的負担もだんだんと大きくなっていきました。


そして3度目の手術の数日前、公園で弁当を広げて食べながら、相方に「私、仕事やめる」と言ったのを今でも覚えています。トップの写真のように少し桜が咲きはじめた頃でした。

相方は「よく考えた方がいい、3度目の手術の結果もわからないんだから焦る必要はないよ」と言ってくれましたが、私は十分待ったと思っていました。そしてこれは、今の環境をかえる「チャンス」だとも思いました。

当時働いていた会社は、小さな2〜3人体制の事務所だったので、常に人手が足りずに回っていました。憧れの業種だったので精一杯働いていましたが、同時に体調不良や今回の手術やそれに伴う検査による欠勤や早退はあからさまに迷惑がられており、必要な時に十分な休みをもらえない環境に少しずつ疑問を抱いていました。

「3度目の手術が成功しても、私の心はもう限界。またあの日常に戻って無になって働くことはできない」
「また体調を壊して、ギリギリになるまで働いても誰も責任はとってくれない。選ぶのは自分だ」

こう思っての退社の決断でした。今も決意してよかったと思います。

しかし、同時に「中絶がなければ、くださなかった決断」という鎖も自分がかけてしまったんです。今回宿った命のおかげで、私は人間らしい生活を取り戻せた、と言うこともできます。実際、普段はそう思うようにしているのですが、それでもふとした時に、もっとその業界で挑戦してみたかった、やりきれなかったのではないかという過去への悔いのようなものが今もゼロではありません。

でも、きっとこれは、今後私がどう生きていくかで変わっていくもの。それを日々自分に言い聞かせながら暮らしています。

・・・

こんな感じで、今も日々葛藤が続きますが、結果的に今幸せです。

やはり物理的・経済的に当時産んで育てることは難しかったし、妊娠と数回に渡る手術のおかげでブラックな会社と縁を切ることも決心できたし、大切な相方とは絆が深まったし、私は自分の身体を一番に労って、より自分らしい生き方を選択できるようになりました。

中絶したことを後悔したことはありませんが、あの苦痛は必然だったのだろうか(もっと少ない負担で世の中の女性が向き合える世界にならないだろうか)と日々思っています。


自分の今の生き方が、遠い空にいる「あの子」にとっての幸せでもあることを祈って。また、心あらたに毎日過ごそうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。一個人の記録ですが、どなたかの力になったら幸いです。