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寛解までにはもう少し

 うつ病(単極性)や双極性障害なんかの精神疾患に罹ると、患者の症状にはどうしても波がある。何でもない時もあるかと思えば 自己嫌悪の沼に深く深く落ち込んで、自分の存在価値は地に落ちるようなマイナスパワーが患者自身に波状攻撃をしかけてくる。

 私は医師や臨床心理士でもないから理屈は全くわからないが、言葉を選ばずに表現すれば、どん底に落ちている時には 患者は一人苦しみの中にある肉の塊である。ただただ布団の中で動けずにうずくまっていることしかできない。医師から聞いたのだが、だからその時期には自殺の心配はそれほどないのだという。完全に落ち込んでいる時には自殺をする気力さえ起きないかららしい。周囲が気を付けないといけないのは 落ち込みがやや回復し、少しずつ活動を再開する時なんだそうだ。

 もう10年近くなるだろうか、妻は長らく伏せていたが、その間の家事は私がやることになり、特に妻の看護のために 仕事を辞めた時からしばらくの間は、家の中の一切の用事を私がした。もちろん食事の準備もしていたのだが、今でも子供たちは『サンマの塩焼きや親子丼は悲しい時期を思い出す』と半分笑いながら言う。
 それまでの結婚生活の中では 家族の夕食を作ることなど全くなかった私が、仕事から帰った後にできるだけ短時間で作れて美味しいものを と考えた時、その2つは私にとっての格好のメニューだったのだ。よって我が家ではヘビロテでこれが夕食に出た。息子はまだ小学生、上の子はその時間はバイトで不在だ。だから食事の支度を終えると 息子と私、そしてうつろな目をした妻の3人で毎日夕食を食べる。息子の中では家の中の陰鬱な雰囲気も含め、この頃の記憶がこびりついたように残っているらしい。こっちは必死だから 気づかないことではあったものの、悲しい味のする晩ご飯をみんなに食べさせてしまっていた訳だ。

 入院していた精神科の専門病院の退院後 1年程経った頃だろうか、いつものように私が夫婦2人分の朝食を作ろうと台所に立った時、眠そうではあったが妻も起きてきて『私が朝ごはんを作ろうか?』 と言い出した日があった。数年ぶりである。天にも昇る気持ちの私はもちろんOKした。『TVでも見といて』と言った妻の言葉に促され、私は朝のニュース番組を見ようとTVの電源を入れた。

 しばらく経った時、芸能ニュースに見入っていた私の耳に、台所からガリガリという耳慣れない音が聞こえてきたのだ。
 なんだ? 妻を覗いた私は動けなくなった。妻はこげ茶の焼き色がついたパンの焦げをフォークの先でこそぎ落としていたのだ。『ゴメンね•••』と寂しそうにいう妻。どうもトマトとキュウリを切っている間にトースターのパンを焦がしてしまったらしい。私はとっさに(これはマズい)と思った。『いい いい、全く問題ない!』と言う私に、『うまいことコゲは取れへんか。こんなコゲコゲ あかんわ』と妻がつぶやくや否や、その手から(目にも止まらぬ速さで)私はパンを奪い取った。

 起きたことは、ただパンが焦げただけのことだが、回復期に差し掛かった妻にとっては(こんなことさえ満足にできないのか・・・)という実証となってしまう恐れのあるできごとだった。よって私ができることは一つ、何の躊躇も問題もなく 美味そうにそれを食べることだ。
 バリバリと音が鳴るような部分もあるトーストを何事も無かったように食べた私は『あー美味かった!』と、親指を立て満面の笑顔で妻を見て思った。(助かった・・・)
 ちなみにもう1枚のパンは妻のものだったのだが、『私、こんな焦げたんいらん』と言って食べなかった。このあたりが独善的で視野が狭くなった精神疾患の患者の勝手なところだ(こんなことは良く起きた)。この時の私はそのトーストがたとえ炭になっていたとしても食べるつもりだったが(笑)

 なかなか終わりの見えないのが精神病である。また治ったかのように思えたのに 無情にもぶり返すのも辛いところだ。しかし寛解に向け本人も闘っているし 周囲の家族も必死にそれを支えていた頃の思い出である。


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