見出し画像

就活の核心

 2年生の就活がいよいよシーズン本番を迎えている。生徒たちは国家試験のレッスンと夏休みに実施される大規模なショーの準備に加え、希望就職先への入社を目指して泣き笑いの毎日を送っている。そんな就活生に水を差すつもりは微塵もないのだが、私は以前から就活のキモである面接というものに疑問を持っている。以下は我が学園に職員として応募してくる方々の面接官をしながら常に感じる違和感である(生徒たちの面接には立ち会えないので w )。迷わせてしまうので決して生徒たちには言えないことだが。

 日本人はいつから『自分の長所は・・・』なとどいう厚顔無恥で身の程知らずなことを主張するようになったのだろうか。自分のアピールポイントなど他人にペラペラ言わないのが我が民族の美徳ではなかったのか? しかしそれを誰も不思議だとは思わず、就活なんだから当たり前だと思っているらしい。

曰く
『決めたことは最後までやり抜く』、
『常に向上心を忘れない』、
『主体的で仲間を引っ張る立場』、
逆に『集団ではひと匙の砂糖のような存在』・・・。

 ダメだなぁと思うのは、応募者が記憶してきた事を間違えずに言うことを目指すことだ。1つの回答を終えると次の質問にスムーズに答えるために、何を訊かれるのかを想定して覚えてきた自慢話を頭の中で予行し、運よくヤマが当たれば再生する・・・これの繰り返し。しかしこれをおかしいと思っている応募者は見たことがないし、こんなことで応募者を判断できるわけがない。

 こう訊かれればこう答える。こう言えばヤル気のある人だと思わせられる。ノックは3回。座れと言われてから座る。髪色は、メイクは、アクセサリーは、手を置く場所は、視線は・・・こんなコトをガキではない者同士がまじめに演じるのは茶番でしかないし、例えれば乗せるものや並べ方までがはじめから固定されたワンプレートランチではないか! せっかく入りたいと思った企業から、『あなたはどこにでもいる、周りと何一つ変わらない人ですね』と評価されることに恐怖を抱かないものなのか・・・。


 話はガラッと変わるが、我々美容の接客業では就活の武器でわかりやすいものの一つに、悔しいことながら男女共に容姿というものがある。ハッキリ言えば、容姿が良ければ入社試験に受かりやすいことは間違いない。いつの時代もイケメンと美人はとにかく強いのだ。東京で美容室を訪れればそれはすぐわかる。しかしその強力な武器に負けずとも劣らない破壊力があるのは、いつも笑顔で前向きで一生懸命な人だ。こんな人材は誰からも好かれ、誰もが放っておかない。

 就活における応募者が努力しなければいけないことは、決して自分以外の誰かが作った言葉を覚えることではない。しかしそんな自然体で面接に臨んでくれる応募者に出会うことは稀有である。50人いや100人に一人、その人の内側から豊かな人格が湧き出るのが垣間見えるような人はそれでも確かにいる。そんな人財を企業の誰もが求めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?