もしも別れが22歳じゃなかったら

 『22歳の別れ』は昭和の昔に流行った名曲(1975年2月5日 日本クラウンより発売)だ。こんな私にも学生時代があり、その頃は曲を聴いても変だとは思わなかったが、最近になってなんとなくサブスクでこの曲に触れる機会があって、その歌詞に大いに違和感を持った次第。そこからスタートして妄想を膨らませた今回は『22歳じゃない別れ』を20年ごとに区切って考えてみた。
 こんなシチュエーションで歌を作ったら、、、という妄想が膨らんで、歌の感じに合わせて歌手まで設定してみた。伊勢正三さんゴメンなさい。完全にフザケて茶化してますがバカにはしていません。


2歳の別れ (歌唱 橋本 環奈)
 『本当にもう終わりなのか?』『そうね、私たちきっと同じことを繰り返すだけだもんね』『でも悲しいよな、この子の記憶には俺は残らないんだろうな』『子供の話はやめようよ。2人で話し合って決めたことじゃない』『いつもお前はそうやって自分の考えばかり言ってきたよな』『何言ってんのよ、そういうあんただって・・・。ダメダメ。ケンカして別れるのはやめよう。・・・あんたがさ、初めて私のお母さんに会った時のこと覚えてる?・・・え?あんた泣いてんの? やめてよバカ、辛くなるじゃない』『・・・俺たち本当にもう終わりなんだな』『・・・うん。この子にとってもこれがいいんだと思うよ』『そうか・・・。幸せにな』『あんたもね』

《元歌》22歳の別れ (歌唱 伊勢 正三)
 女性が17歳の時から2人同棲していた男女。でもその女性(私)は彼氏に黙って親に勧められた縁談に乗ったという別れの曲。しかしよく考えれば若い! 17歳だぜ! どうするよこれ!
 (このままだと私の人生ダメだよなぁ)って思っている所に縁談が飛びこんできた。・・・あれ? ちょっと待て。この歌詞通りの状況だとしたら、親は娘が男と住んでることも居場所も知ってるんだよね(だから縁談を持っていける)? なら家出の駆け落ちじゃないってことだ。しかし17歳ってことは高校生の歳だ。同棲なんかやっちゃうって、ちとトンガリ過ぎてないか?

42歳の別れ (歌唱 テレサ・テン)
 結婚してもう10年・・・。夫とは別に何も問題がある訳ではなく、平々凡々な毎日だ。この『何もない』ということは幸せなことなのかもしれないんだけど、どうしても物足りなくてイライラするようになってきた私・・・。そんなことを思う時、職場で知り合ったヒロシ君のことがいつも頭に浮かぶ。こんなオバサンの私のことを『好きだ』と言ってくれたヒロシ君と一緒に暮らせたら、どんなにワクワクした人生が送れるんだろう。まだ22歳のヒロシ君は何もかも俺に任せてほしいと真っすぐな目で私に訴える。小学校4年になる娘のことは心配だけど、今の夫と一緒に過ごすこれからの人生を考えたら・・・。

62歳の別れ (歌唱 西田 敏行)
 子供も夫もいなくなった家は静かだ。なんだか知らないけどちょっと前に娘も出て行って男と住んでいる。2人とも結婚はするつもりはないらしい。彼氏は家に留守番させて(気を遣うからイヤなんだと)、時々実家に遊びに来る娘にこないだ言われた。『お母さん、なんでお父さんなんかと結婚したの?』と。夫が出て行って帰らなくなったのが3年前。聞くところによると何処にいるのかわからなくなって3年経ったら離婚できるらしいんだけど、弁護士に相談したりして結構面倒な手続きがいるらしい。
 結局私は今まで何やってたんだろ。人生ってこんなものなんだろうか。寂しさが音を立てずに降り積もっていく・・・。

82歳の別れ (歌唱 倍賞 千恵子)
 お父さん、寝てても痛い痛いってずっと言ってるのよ。私ね、もう十分だと思って。もう頑張らなくてもね。看護師さんは『モルヒネが効いている時には患者さんは夢を見て気持ちいいんですよ』なんて言ってたけど、なんだかもう見てられなくてね・・・。あんたも来週あたり帰ってこなきゃダメになるからそろそろ覚悟しときなさいよ。
 なんであの時私、『あんたのせいよ!』なんて言っちゃったんだろ。あの時からお父さんほとんど喋らなくなったでしょ。だからお父さん、ここ1年ずっと痛いのを私たちに言わずに我慢してたんだよね。それを考えると母さん辛くてね、後悔しかないのよ。私のことを恨んだままお別れすることになるんだろな。こうして何事もなく暮らせているのはみんなお父さんのお陰なのにね・・・。

 今回は『22歳の別れ』にちなんで色んな男女の別れを拙文にてあらわしてみたが、いつの世もそして老若男女問わず、別れは辛いものだ。

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