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宗教

 妻の調子が今より悪かった時期、それでも2人で奈良の天理から山辺の道をぶらっと散歩でもしようと誘ったことがある。ほぼ家から一歩も出ない状態だった妻にとっては2,3ヶ月に1度の外出であった。私もその街は初めてだったため、すぐ戻るからと駅前の広場にあるベンチに妻を座らせ、これから行こうとしている道が正しいのかどうか確認しに走った。
 戻ってみると妻が座るベンチの前に中年の女性がおり、何やら妻の頭の上に手をかざしている。走り寄って『何ですか?』と問う私にその女性は『ご希望でしたので幸運をお祈りさせていただいています』と言った。きっとその方に『よろしければ・・・』と言われ、言葉のままするに任せたのであろう。その頃の妻にはあらゆる判断能力は無かった。勧められればどんな商品であっても、入会であっても、極端な話 薬物や犯罪行為であっても、拒否できなかっただろう。丁重にお断りし、妻の手を取ってその場を去ったことを今でも覚えている。

 元首相の暗殺で、にわかに政界とある宗教団体との関連が取り沙汰されているが、今のマスコミや政府の動きは甚だ異常だと思う。違和感と形容されるレベルのものではない。繋がりがあった、献金を受けた、講演に行った・・・。何がそんなにアカンの? 会うだけでダメなのか? 会合に出るだけでそれは罪になるのか? 叩く人、つつく人、それを見て『そうだそうだ!』とハヤす人、怒る人。しかし面識も無い人によくまぁどうこう言えるものだ。大部分の『外野』は事情は知らないんだろう? 
 日本人の特性として最も残念だと思うことの一つは、世間で『こうだ』と位置付けられた人やモノがあれば、よくわからないくせに雰囲気や勢いだけでワーッと考え無しに周囲の流れに加担するところだと思う。最近ではマスク着用の同調圧力がこれにあたるだろうし、いわゆるイジメもこんな国民性が加勢しているのではないだろうか。自虐に走り過ぎかもしれないが、集団が好きで集団の中にさえいれば、時に理屈を超え、牙を剥くことさえあるのが我々日本人の暗部だと思う。

 宗教というものが生活の一部になり得ていない日本人にとっては『新興宗教』と聞いた時点でそれはネガティブな響きでしかなくなり、『ダマされるんじゃないか?』と身構える人が多いんじゃないのかなと思う。日本人の宗教アレルギーは、無信仰ゆえのことであろうが、比較的新しい宗教団体というものは、話題沸騰中である韓国発のもの以外にも星の数ほどある。霊感商法の壺で大騒ぎしているが、もちろん藁にもすがる弱者を騙す悪どさは言語道断である。しかし現代の日本において正当(?)な宗教だとされている仏教の各宗派においてさえ、お布施が強制されていたり、戒名の価格システム、はたまた仏壇や掛軸を買わされたりすることについては、件の宗教団体と何が違うのか?と思う。

 以前は選挙がある度に創価学会の地方支部から、私の自宅に届け物があった。それとは時期を若干ずらして公明党候補への投票のお願いもされる。依頼と届け物が同時ではないのが巧妙といえば巧妙だが、最近10年ほどは受取りを断っている。つれない態度を取り続けているためか、前までは新聞を勧められたり、会合や講演会に誘われたものだが、今はさっぱり無い。ところで我が国の現政権与党である公明党は、この創価学会を基盤としているが、そこに問題は無いのだろうか?

 私は現在ニュースを賑わせている例の宗教団体を是とせよと言っているのではない。ある宗教だけが悪であり、そこと関わることは1ミリも許されないというのは変であり、他の宗教・宗派だって色々おかしな部分がありますよ、と言いたいだけだ。なんなら各政党の現役議員数百人をタテに並べ、ヨコには宗教団体をずらっと並べ、その宗教団体と関わりがある議員には○、無い議員には✖️、不明瞭なのは△を記した一覧表でも作ったらどうだろうか。まぁ少なくとも自公の議員は、創価学会への関連は◯になるだろうが、問題は他の政党、他の宗教団体だ。きっと言い訳や言い逃れ、釈明の嵐になるんだろうが、ゲームとしては面白いものが出来そうだ。

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