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尊敬する人?

 20年程前までは我々のような学校においても『あなたの尊敬する人は誰ですか?』と生徒に訊くことができたのだが(ホントは当時もダメだったのかもしれない)、その質問には『親』だと答える生徒が多かった。しかしそんな時いつも私は、もうちょっとスケールの大きな話は無いのか? と生徒たちに言ったものだ。親に感謝するのは結構だが、尊敬? 親を? 私がなんだかスッキリしなかったのは、スケールが小さ過ぎて小ぢんまりしてるようにしか感じなかったからだ。
 今考えるともしかしたらその頃あたりから、今に続く 若い世代の『安定平均水平・出る杭になりたくない症候群』が始まっていたのかもしれない。

 少し前、世界各国の子供たちを対象に『自分の親を尊敬しているか?』というアンケート行われたらしいのだが(尊敬している人は誰?ではない)、その結果『とても尊敬している』とする回答がアメリカにおいては約70%であり、アンケートを実施した先進国の中ではぶっちぎりの一位であるとのニュースを聞いた。同じアンケートで日本は約35%とアメリカの半分しかなく、いつの間にか日本人の『親の尊敬度』はゲキ下がりしたのか? と考えさせられた。しかし悲しいことには違いないが、ある意味納得できるところもあって複雑な思いだ。

 ところで今や『尊敬する人』について、中でも我々のような学校関係者は、生徒や入学希望者に尋ねてはいけないことになっている。本来個人個人が自由であるべき事柄は答えさせてはいけないかららしい。これ以外にも放送禁止用語のように、例えば面接会場で尋ねてはいけない項目は少なくない。親の職業、本籍、住まいの周囲の環境、笑えるものとしては愛読書やよく読む雑誌に至るまで。これらのものは個人の自由であるべき思想や信条を反映するから、そんなことを把握しようとするような質問は避けるべきだというのだ。私個人はその考え方はズレているとしか思えないのだが、賢い大学を出たであろう知識人が何人も寄って決めたことであり、府からもわざわざ文書で『こんなことは聞いたらダメ!』と通達が来る。本籍地を聞いてはいけない根拠について労働局のHP曰く。【本籍を質問することは、結果的に就職差別につながるおそれがあり、公正な採用選考から同和関係者や在日韓国・朝鮮人の人たちを排除してしまうことになりかねません。】だと。逆に失礼極まりない差別ではないかと思う。心からアホらしい。

 今から10年以上も前になろうか、我が校の教員が入学希望者(高校生)の面接において、勉強不足から 昔からの定番であった『尊敬する人物』を尋ねてしまうということが起きた。すると案の定その日の夕刻、その応募者が在籍する高校の教員から我が校に電話が入った。『貴校の先生が本校生徒に、面接で尊敬する人物をお尋ねになったと聞いたのですが、その意図はどういったものなのかをお聞きしたい』と。私が電話を代わると相手の教師は中年の女性のようだった。私からは、特別な意図は無くウチの教員が誤って質問しただけであることを説明、そして謝罪した。『文部科学省からも、通達がありましたよね? ご存知ないんですか?』と電話口の向こうからスマしてはいるが勝ち誇ったような声が聞こえた。
 私は偉そうなその物言いにカチンときてしまった。昔からあるきっかけでスイッチが入り、突如ファイティングスピリッツが沸き起こるのは私の悪い癖だ。私は「指導が行き届かず申し訳ありませんが、でもどうしてそれがダメだとお思いなのですか?」とできる限り嫌味に聞こえないよう尋ねた。その女性教師にとってはそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう、『個人の信条や思想は自由であるべきで、、、』とまごつくや、すかさず私は『ですのでどうして先生はそれを聞くと個人の思想を侵すことになるんだとお思いなのですか?』と続けた。『それは・・・』。電話の向こうの狼狽が手に取るようにわかった。
 国の通達を知らない専門学校の無知な教員をやり込めてやろうとしたのだろうが、マウントを取ろうとした本人自身、目的や意味などよくはわかっていなかったというオチだ。悲しいことに私の経験上、一部の私学を除き、中学や高校にはこのレベルの教員も少なくないのが現実である。長年『先生』と呼ばれているベテランほど目線はあくまで高く、自分は正しいと思い込んでいるパターンが多く 残念この上ない。

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