見出し画像

『多様性』➖性別編➖

 多様性として語る項目ではないかもしれないが、ジェンダー問題の関連として、性別に関することについても思うところを。

 日本では女性しか助産師にはなれない。しかし産科医には男性もいる。綾野剛さんが演じた感動的なドラマも大変良かったし毎週欠かさず観たものだ。でもどうして助産師は女性に限られるのだろう? 医師はよくて助産師がダメな理由は? きっとその答えは、はっきり言えば気持ち悪いと思う妊婦さんが多いからなんじゃないのかな? 「お医者さんならともかく助産師さんが男なんてねぇ、アタシ嫌だわ・・・」ってところじゃないのだろうかと思う。知らんけど(笑)   多分この規則の制定に携わった人は、妊婦さんが「気色ワルいと思うだろうから」という理由では後世には残さなかっただろうとは思うが、これが正当な職業選択の自由を奪っているのならば、やはり男性差別だと言われても仕方ない。

 『女性議員を増やすべきだ!』と主張している政党の代表がいる。彼女たち、女性議員の人数を増やそうとする前に、なぜ女性議員が少ないのかを考えたのか。ただ『数を増やそう!』では文字通り頭数が増えるだけだ。万に一つも衆参議員中の女性議員の比率が法的に定められるような事態にでもなれば、政治家としての『資質』や『能力』不足の人材を『数』の縛りによって、議員にしなければならなくなる可能性だってあり得る。私に言わせれば、女性議員が少ないのはなろうとする人が男性に比べて少ないだけだ。決して能力も胆力も求心力もあるのに、女性であるというだけで弾かれてしまっているわけではないと思う。男女問わず議員としての資質や能力があるものが議員として働けば良いだけだ。

 もう一つ。それを女性差別だと騒ぐ人を納得させることができないような伝統が我が国にはある。正直私にとってはこれもうるさいとしか感じないのだが、宗教上の女人禁制(大峰山など)や、大相撲における土俵には女性は上がれないしきたりなどがそれにあたる。ある人が大相撲は純粋なスポーツというより神事であると言ったのを聞いたことがある。遠い昔我々の先祖たちは、そのような決まりを長い時間かけて制定し、神仏に接する際の侵さざるしきたりとして現在まで守り継いできた。現代の目でそれを判断するならば『否』なのかもしれないが、簡単にひっくり返せるものではないと思っている。

 天皇のお世継ぎ問題もしかり。ある意味リベラルな思想を持つ方々の中には新天皇が即位する条件を女性差別だとする一群も存在しており、女性天皇だ男系男子だと喧しい。皇室典範で語られるところの男系男子とは有り体に言えば『天皇のY染色体を持つ父から生まれた男子』ということである。よって現在の天皇陛下に何かあっても雅子妃や愛子様は天皇にはなれない。男子ではないからだ。仮に候補者不足のためという名目で皇室典範を改正し『男子』は問わないことにして『男系』という部分だけを守り、愛子様(男系の女子)が即位されたとしても、次の世代となるお子様は『男系』ではないため天皇にはなれない。よって次の天皇、そのまた次の天皇と二代続いてお世継ぎ問題が起きてしまうものと思われる。ならばいっそ男系の縛りも撤廃しても良いではないかという向きもある。しかし万世一系、これまで千数百年を繋いできた伝統を簡単に変えられるのかという大きな問題がここでものしかかる。となれば秋篠宮家ご長男の悠仁様が次の天皇になる、というところまでは良いが、問題はやはりその後だ。悠仁天皇に女の子しか生まれなければ先が無いのである。今の時代、天皇家とはいえ側室を持つことが許されるはずもないのだから。
 私自身は旧宮家を皇籍復帰させるしかないと思っている。また過去にも存在したように女性天皇は容認されたとしても、女系天皇の誕生には反対である。様々な困難を乗り越え守り通してきた、世界に類を見ない伝統と文化をあっさり変えるのは畏れ多いと思えるからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?