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決めつけられる事の不快感・優しい偏見への違和感

人からどう見られているか「どうでもいい」「気にしていない」
とか思いつつも、自分の事を勝手に「決めつけ」られる事に対して
どうしようもなくモヤモヤする事がある、

その人の勝手な解釈とイメージだけで決めつけられるのが居心地が悪い。
場合によっては、胸糞悪い・・・(いいすぎ?)

なにが悪いかって、勝手に思うだけなら、そんなことは発想の自由?なのだし、どうでもいい事なのだが、いかにも分かった風に面と向かって言われる事が不快なのだ。

そんな事は、日常茶飯事で、きっと私に限った事ではなく、誰もが遭遇するささいな出来事なのだろうけど。

例えば、悪い方にイメージされる事は言うまでもなく不愉快だけど、逆にイメージ的にはいい方、「別に勝手に思う分にはマイナスな事ではないのでは?」というような事にも、なんだかモヤモヤしてしまう。

だいぶ昔、会社の面接に行った時にその時面接をした人に言われたことが、何故か今でも覚えている。

趣味の話か何かをラフな感じで話していた時だと思う(向こうはラフな感じだが私は面接だからもちろん緊張していたが・・・)映画の話になり

「〇〇さんは『アメリ』好きそうだよね。」

と、さも当たり前のように言われた。
有名どころ?の一時期話題になったオシャレな映画をただ言っただけかもしれないが、明らかに、

20代の女子なら好きで当たり前でしょ?
あなたも好きに決まってるよね?
女の子はみんな好きだよね??

オーラ出まくりで決めつけられていた感が満載で、私が何と返答したかは全く覚えてないが、とにかく何故だか悔しかった。

自意識過剰の考えすぎだとつくづく思うが、20年以上たった今でも覚えているという事は、相当悔しかったのだろうか。

ただ、

確かに、わたしは「アメリ」が大好きである。
なんなら、DVDも買っている。

・・・・・・・
・・・・・
・・・
おい、結局あの時の面接官の思った通りではないか。

しかし、弁解させてもらうわけではないが、確かに「アメリ」は好きだけど、当時の私の好きな映画№1は『レオン』だ。
うん、名前は3文字で一緒。
「レオン」も「アメリ」もフランス人だし一緒。
アメリの髪型とマチルダの髪型も似ているね。
オシャレなカフェで働くアメリとオシャレな?マフィアのダイナーに通うレオンとカフェ通い繋がりだね、、、、、うん、、、

じゃなくて!!(限界すぎる)

他にも、当時は「アメリ」と同様に「ハンニバル」「スリーパーズ」「キルビル」「フェイスオフ」「シンプルプラン」「ファイトクラブ」「スリングブレイド」etc、etc、、、
もちろん、ほかにもドラマチックなものや、ラブコメディーなものも好きだけど、特に私の好きな映画の中心は「サスペンス」「ホラー」中心だった。

きっと悔しかったのは、見た目や雰囲気だけで「私」を決めつけられてしまったから。
私はもっと見えないところでこういう側面を持っているのに、ただただ年齢と性別と容姿なんかで、簡単に判断されてしまった事に強い違和感があったのだと思う。

しかし、考えてみれば
初対面で、しかも履歴書一枚で「私」をわかってもらえるわけなどないのに、しかも口下手な私の。いったい何を期待してたのだろうか。
それに、もしかしたら、きっと私が好きであろう「アメリ」の話をきっかけに、話しやすい雰囲気に持っていこうとしてくれた一種の気遣いがそこにあったのかもしれない。
それを何を勘違いしてギスギスしてんだか、、、、
と、今でこそ思わないでもないが、20代の私にはそこまでおもんばかる心の余裕が持てなかった。

ちなみに、当のその会社は予想通り?不採用となりました。
「アメリ」話の時に不穏な空気が漂ったのばれたかしら?

「アメリ」ほんとうに良き映画です(久しぶりに観たくなった)

ここまで言ってなんだけど、そういう私もきっと見知らぬ間に誰かをこういう人なんだと決めつけている事があるのだろうなと思う。

気を付けよう。本当に。
20年間も根に持たれたくはないしね。。。。(そんな人もいない?)


またこれは全く別の話だが、

我が家では、薪ストーブを使用している為、燃料となる材木が必須なのである。
ある時、知り合いの大工さんから、近所の家の木を伐採した際に不要な材木が出たから、よかったら取りにおいでよ、とありがたく声をかけて頂いた。

当日私と母で現場に向かい、大工さんは仕事の為不在だったが、その近所の材木を譲ってくださる家のおじさんがいて、しかし前日にも材木片づけの作業をした際に腰を痛めたらしく「手伝えなくてごめんね」と、とてもすまなそうに、私と母が木々を運ぶのを時折出て来ては見守っておられた。

それは全然一向にかまわないし、むしろタダで譲って頂けて、こちらこそ本当にすみません、助かります。といった具合だったのだが。

運び終わった後、挨拶をして帰ろうとしたらば、しきりにおじさんが
「それにしても、偉いねえ。本当に偉いね。立派なもんだ。ありがとうね」としみじみと繰り返すので「いや、何をそんなに褒めちぎってんだ?こっちはタダで頂いてそれを取りに来ただけなのに」と不思議に思っていたら、あとで母から「女二人で取りに行ったから、そう言ったんじゃない?」と言われ納得した。

なるほど、おじさんはてっきり材木を取りに来るのは男の人が来ると思ってたのに。まさか女の私たちが行ったのが予想外だったのだ。

それで

「それにしても、(女の人がこんな重い木を運んで)偉いねえ。本当に偉いね。(女の人なのに男のような力仕事ができて)立派なもんだ。ありがとうね」

だったのだ。

そう思うと、納得のおじさんの発言ではあったが・・・・
うーーーん、何か違和感があるぞ。いやおじさんは悪くない、、、というか全く悪気も悪意も違和感もなく自然にかけてくれた言葉だから、本来普通に受け流してもよかったのだが、なんだか感じた違和感の正体はその「優しい偏見」にあったのだな。

これこそ、誰にでも、それこそ私にだって起きうる事で、見知らぬうちに「優しく」誰かを傷つけたり、不快にさせたり、時には怒らせてしまう事もあるかもしれない。

かといって、あまりに気にしすぎてコミュニケーションがぎくしゃくしたり、こう言っちゃったけど、今のは偏見に聞こえたかな?とその都度疑心暗鬼なりながらコミュニケーションを図るのも疲れてしまうと思うし、、、

人間はむつかしい・・・

気にしすぎるなって事?

さいごまで読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです(o^―^o)!! 貴重なあなたの時間の一部が、よいものとなりますように✨